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会員の声

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【その1】 短歌の記憶を呼び覚ますはたらきについて
     
                                鬼塚 邦子
         
11月会報和歌3
 

 古来、この国の風土とそこで生き死にを繰り返した人々は一体どのような暮らしをしてどのような情感をもっていたか、その思いを短詩系文学によって窺い知ることができます。紀元759年4500首もの詩歌が万葉集として編まれ、その大らかな調子は現代でも好まれ研究され続けています。その後勅撰和歌集である古今和歌集が900年代に、さらに1205年には新古今和歌集が編まれました。中世期に至っても数多くの和歌集が編まれ続けてきました。王朝文化が華やかな時代に政治の世界でも事あるごとに詠まれた和歌は、単に貴族の遊びや教養だけに留まらないはたらきがあったということです。
 
大きく時代が変化した現代になると、正岡子規1867‐1902(慶応3-明治35)による短詩系の改革と後に続く主にアララギ派と呼ばれる人々の努力と熱意で繋がれてきました。

それ以後も安定した短詩系文学の位置が揺るぎ無いものとしてあったわけではなく、72年前の敗戦によりすっかり自信を無くした人々の目には古来受け継がれてきた文化も色褪せて見え、短詩系の文学そのものが否定され消滅してしまいそうな時期もあったようです。

しかし、また現在は口語短歌もほぼ容認され、この30年ほどの間には俵万智を始めとして短歌で自身の思いを自在に表現する若い世代の出現も相次いでいます。ネット社会となり様々な人、特に若者が自由に発信するようになった時代背景もあるからでしょう。
                                   11月会報短歌1

普段短歌に関心がなく、鑑賞する機会も少ない方に戦中戦後に詠まれた短歌、また東日本大震災とその地震による原発崩壊後に詠まれた短歌をご紹介したいと思います。私自身戦後生まれなので、非常事態にある社会でこのような短歌も詠まれていたことを今回知って、改めて衝撃を受けました。どちらかと言えば忘れ去り葬りたい体験であっても、書き残されたことはこの上なく意味深く感じられます。
 
《戦中、戦後に詠まれた短歌》
 

 自爆する飛行機が見え遠ければ海にいたるまでにいとまありけり     佐藤佐太郎
   (自爆機を沖合に見つめながら、その飛行機が実際に海に突っ込むまでの切なさを詠んだ)

 東京の焼野を跨ぐ大虹の立ちたる脚のまさやかに見ゆ          窪田章一郎
 
 独房に狂わんとするを支えては若き兵らが詠みし歌はも          同
 
 自爆せし敵のむくろの若かるを哀れみつつは振り返り見ず        宮 柊二
 
 猫も食ひ鼠も食ひし野(や)のいくさこころ痛みて吾は語らなく       同
 
 新しき国興るさまをラヂオ伝ふ亡ぶるよりもあはれなるかな       土屋文明
 
 弾痕がつらぬきし一冊の絵本ありねむらむとしてしばしば開く      斎藤 史
 
 濁流だ濁流だと叫び流れゆく末は泥土か夜明けか知らぬ          同                               

《2011年3月11日以降に詠まれた短歌》


なきがらを捜索する人、搬ぶ人、検死する人、記録する人          伊藤一彦

暖房も電灯もなき避難所にいのち誕生の記事は小さき           石川良一

強制退避の集落は闇となり果てて見捨てられたる牛の尻写る        大平修身

子を連れて西へ西へと逃げてゆく愚かな母と言うならば言え        俵 万智

三十キロを歩き明け方の帰宅なり地震・津波のニュースを視つむ      平山公一

                 ―2013年3月11日 現代歌人協会選「東日本大震災歌集」より

被災地で震災を体験していなくても、ほぼ時を同じくしてTVなどの映像によりあの未曽有の災害を私たちは追体験しました。話として或いは書かれた記録として伝わった大正12年の震災とは異なる点です。その時の恐怖、大切なものが奪われていった喪失感を言葉にとどめることで忘れない、短歌には一瞬にして記憶を呼び覚ますはたらきがあるのではないでしょうか。

私自身は市の公民館で「短歌入門」という講座を受講し、ちょうどその頃初孫の誕生もあったのでそれをきっかけに短歌を詠んでみたいと始めたのでした。ところが10年以上たっても作った短歌の数は一向に増えません。飽きっぽい性格は変わらないことと、詠むための努力を続けることの難しさを痛感しています。次の短歌は平成17年に亡くなった父を、また平成28年に亡くなった母を詠んだものです。これらは私の個人的な体験ですが、読み返すと父の穏やかな笑顔、母の介護に通っていた日々が一瞬で思い出されるのです。
  
   在りし日の父の未来を語る時眼尻の皺の懐かしき
   
   未来とは明るいものと疑わず穏やかなりし父の晩年
   
   この月は無人となりし母の家朽ちてゆくもの積もりゆくもの
   
   厨房の網戸の蝉の抜殻が私の季節は終わったと告ぐ
      
   もう誰もいなくなるこの家の庭人を頼みて夏草を刈る
   
   こどもらに追われることもなくなりてあまりに軽き蝉の亡躯
  
   一粒の土さえあれば芽吹く草窓あけ放ち今日のはじまり
 
この5首は月刊誌「短歌研究」平成26年11月号で佐佐木幸綱先生が採って下さったものです。唯一私にとって記念となりました。 



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