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11月会報


                              11月の会報(花3)
     
      
 11月会報         
                      
                                    



◎10月26日 野外学習会に参加して
                                
                                         山田 健
 昨日までの鬱陶しい秋雨が嘘のように晴れ上がり、爽やかな青空の下、参加者51名を乗せたバスが予定より少し早く午前7時20分国分寺駅南口を出発した。今回のテーマは「筑波で先端文化に親しむ」。外環道から常磐道を経てサイエンスの街つくばへ。

 最初に訪れたのは国土地理院「地図と測量の科学館。元国土地理院院長星埜由尚様の直々のご案内という特典付き。まず屋外にある20万分の1の日本列島球体模型を見学した。竹島や尖閣諸島、南鳥島、沖ノ鳥島など東西南北の領土・領海の広さを実感できた。また地球の丸さも体感でき、ここだけでも地図の好きな方は見飽きることを知らない。近くにはGPS電子基準点も設置されており、また室内で三角点が今はほとんど使われていないというお話を伺って、地図の世界の時代の変遷を感じた。

 次に「宇宙航空研究開発機構(JAXA)筑波宇宙センター」に移動、職員食堂を使わせていただいて昼食。昼食後は記念撮影の後フリータイムで展示館「スペースドーム」の見学、ミュージアムショップでの買い物等で過ごした。
 午後はJAXA構内見学ツアー。全員名簿通り整列いただき、身分証明書との照合検査を受けた。紹介ビデオを見た後、バスで構内へ。衛星試験棟保管庫と宇宙飛行士養成棟の2か所をガイド付きで見学した。ロシアの衛星実物や宇宙メダカ、宇宙服、宇宙食、宇宙飛行士訓練施設等を見ることができた。

     11月会報(野外学習会2)

                         11月会報(帰還したカプセル)

 JAXAを後にし「筑波実験植物園」に向かった。ここは国立科学博物館が植物の研究を推進するために作ったという。季節によってさまざまな珍しい植物が観察できる植物好きには垂涎の施設であろう。屋外の展示はもとより温室も充実しており、ヤシやバナナ、サボテン、ベゴニア、水生植物等見どころ一杯。屋外は今の時期なのであまり華やかな花々は少なかったようだが、セコイアの巨木やニッケイ(ニッキ、シナモン)の木などが見られた。

 予定通り16時ちょうどに植物園を出発して帰路に。途中高速道路の渋滞に巻き込まれたが19時に出発地に戻ることができた。お疲れ様でした。

   (記念写真は最終ページをごらんください)




◎「お知らせ」


①会費値上げのお知らせと会員更新手続きのお願い

 欅友会の運営に関しましては日頃よりご理解とご支援を賜り、誠に有り難く、厚く御礼を申し上げます。来年はお陰様で35年目を迎えることとなります。 
        
<会費値上げのお知らせ>

 会費につきましては23年間2000円に据え置きのまま運営をして来ておりますが、昨今の会員数増加による事務用品費の増加、郵便料値上げを含めた会報郵送費の増加などを主因に、予算の逼迫が予想され、次年度以降もこの傾向が続くものと予測されます。

 そこで、今後の会の安定的な運営を図るため、下記の通り会費の値上げをお願いし収支の安定化を図りたく、ご理解とご協力をお願い申し上げます。
 なお、年会費につきましては、これまで一律の設定にして参りましたが、会報を郵送している会員とメール配信をしている会員の実コストの差が大きいため、下記の通り2本立ての会費設定とさせて頂きたく、これを機会に可能な方はメールでの配信に切り替えをして頂きますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。

   「2017年度会費」
    ○会報のメール配信希望  年間2500円(現状2000円)
    ○会報の郵送配信希望   年間3000円(現状2000円)


<更新手続きのお願い>

会費振込の期限は12月末とさせて頂きます。

来年1月の第一回学習会までに会員を確定させる必要があります。なるべく年内早めに、遅くとも12月末までに同封の専用振込用紙にて郵便局より金額をご確認の上、お振り込みください。よろしくお願い申し上げます。

※なお、2017年度会報から役員による手配りは、配布時の交通リスク増加などを勘案し、全面的に取りやめる事としましたので、ご理解頂きたくお願いいたします。




②会報300号記念投稿募集…「わたしと会報」

先月号でお知らせしましたが、会報300号を記念して、「わたしと会報」というテーマで原稿
を募集しています。昔の会報のこと、投稿の思い出、会報を読んで思うこと、会報をこのよう
に利用しているなど、会報にまつわる話題全般について400字以内で書いて下の送付先までお
送りください。締切日を11月25日(金)まで延期して、ご投稿をお待ちしています。




③2017年(平成29年)学習会スケジュール

      来年の学習会の講師・テーマ・日程が固まりましたので、お知らせいたします。
      多彩な内容となっておりますので、多くの皆様のご参加を期待しております。
11月会報スケデュール


★スケジュールは事情により変更、中止する場合があります。予めご了承ください。
○学習場所 東京経済大学の教室  4月以降の教室は決定次第お知らせします。                              
○各学習日とも土曜日 13:30~15:30 (受付開始は12:30より))
○下記の学習会は映画上映のため終了時間が1時間遅くなります。
      ★ 7月29日  13:30~16:30 



 

   10月会報「わたしの」
         7月会報忘れ得ぬ言葉1
                             (Ⅱ)



「今も心の内にある大切な言葉 」       関塚 恵子         
11月会報(忘れえぬ言葉1)

 吉川英治さんは私のすきな作家の一人です。「我以外皆教師なり」と言う言葉を残しています。私も同様、似たような気持があります。その時々によって、恩師、先輩、同輩、後輩の人達の言葉に、どれだけ助けられ、又、励まされてきたことでしょう!
 
息子たちが小学生中学年になった頃のことです。PTAの父母会でクラスの委員をした翌年、執行部の一人として書記をさせて頂くことになりました。計算に強いと自負していた私は、会計だったら良いのにと心の内で思いました。そしてまるで私の心を見透かすかのように、K会長は得意なことはよいのでは…不得意なことを得意にしてみてはの言葉に、頭が下がる思いでした。又、国分寺市P連の会合で、「今自分がどんな生き方をしているかが大切。そして継続することが…」のA会長の言葉に納得。今もそれらのことを心掛けるようにしています。今日迄生きてきて、本当に良き人達に恵まれ、出会えたことに感謝です。


「わたしの忘れ得ぬ言葉」              上原 祥孝  

                                    11月会報(忘れえぬ言葉2)

 振り返れば、昭和21年8月、父が殉職(女学校の教員)した為、私ども兄弟4人、祖母と母の女手で育てられた。その関係か、忘れ得ぬ言葉、二つ共、女性の言葉である。

その1. 退職後は音楽に親しむ事も多いが、思春期の頃、高知県須崎中学校の音楽の時間、40代の女性の重松先生が私の教科書のすれ破れを見て“傷んだ物”こそ大切にしてやらなくてはと、優しく諭された事、白いブラウスの上品で綺麗な先生が、山奥の檮原(ゆすはら)村初瀬という所へ転任された事を高校生の春、新聞で知った事でした。

その2. 高校を卒業し大手菓子メーカーに入社、地元勤務となり、或る日、市内の有力パチンコ店の交換景品受注に廻っていた二十歳過ぎの頃、営業職に自信が持てず悩んでいた折、景品発注の中年女性が“地のままの、まじめな固さでいい”と騒音の中で云ってくれた事が忘れられない。転勤で研鑚を重ねた営業職、管理職の人生は家族の支えもあり胸を張って生きている。 


「自由と規律」                          鶴野 哲夫              
11月会報(忘れえぬ言葉3)

 私は昭和一桁生まれの所謂戦中派の端くれである。敗戦前は軍国主義教育で鍛えられ、戦後はにわか自由主義、民主主義の時代に様変わりし中味を良く理解せずに高校を卒業し社会に出た。当時の風潮や行動は戦争・軍人・修身など旧制度は悪であり、自己主張・権利主張のみが大手を振っていたように思う。

 昭和26年10月転職、代官町にあった警視庁警察学校に警察官の卵として入校した。6ヶ月の教育期間は自由などとは縁遠い厳しい訓練とルールに拘束された団体生活である。在校中、諸先輩警察官から指導教育を受けたが、朝礼で訓示をされた警視 並木教頭の「自由と規律」の語句は未だに忘れられない。自由の意味を放縦とはき違えている若者が多い時代でもあり、自由には前提として守るべき規律があるとの趣旨を特に警察組織であるが故に話されたと思う。官民を問わず国家間も含め組織の行動にはルール(内規・規則・法律・条約etc.)があり、現在でも充分通用する正論と信じる。

「菊根分けあとは自分の土で咲け」          岡安 隆 

                                      11月会報(忘れえぬ言葉)
                
 入社5年目にお世話になった先輩が家業を継ぐことになり退社することになった。7月の会議の最後に挨拶をした。「吉川英治が最愛の娘が嫁ぐ朝に『菊根分けあとは自分の土で咲け』と一句詠んだ。私はこの会社で諸先輩から教わり、勉強させてもらってしっかりとした根ができました。これからは故郷の町で新しい人生を切り開いていきます。永きにわたりお世話になりました。」と話した。

 「菊根分け」は当時の結婚式で花嫁の父が贈る言葉の定番であった。父親がとつとつと話し、隣の母親が感極まって涙をぬぐっている、いつの時代でも親は子の幸せを願っている、そして新婦も涙ぐむ、ほほえましい光景です。先輩は吉川英治の句を引き合いに出して、感謝の言葉と将来の決意を述べた。その後、私が結婚式に列席した時は先輩の言葉を思い出し、新郎新婦、頑張れと心の中でエールを贈った。                    


「銀行の土台は腐っていませんでした。経営陣の一部に問題がありました」                        内山 晴信

11月会報(忘れえぬ言葉4)

 平成2年頃金融機関で不祥事発覚。私の勤務先も同様。翌年日本銀行(考査局)から「銀行以外に直系ノンバンクも調査対象とする」旨の通告あり。本部内で協議し「前代未聞乍ら、この際きちんと当局に説明しよう」との結論。所管外ではあるが私が説明を引き受け。

 個々の貸出先に関する各種資料を集め所定報告書に取り纏め(約2か月間)、案件すべて頭に入れ準備万端。平成3年7月朝9時過ぎから夜7時頃まで(時には9時)約1か月間、主席考査官に貸出残高の大きい先から順次500社まで説明。
 不正や不適切な融資案件は無く、「自分の融資・審査案件でもないが自身の問題として逃げずに対応する人物の存在」、「関連会社の役員・部長他が顧客から的確な資料集めを行う体制の存在」を見て、最終日に冒頭の言葉が出た。私としては、困難と思われることも完徹する自信をつけ、また誠意をもって対応すれば相手の信用・信頼感を得られると実感し現在に至る。



「歴史(れきし)は囈(げい)語(ご)に非(あら)ず警策(けいさく)にして次(じ)世(せい)の指針(ししん)たり」  
                                       木村 稔    
     
                                  11月会報(忘れえぬ言葉5)

 戦後、社会党を代表し黒田寿男・佐々木更三が2度毛沢東に謝罪した。毛は「日本軍の侵略に感謝する」幾度も話す皇軍なしに現政権は不可能と継いだ◆インド~東南アジア独立はこの戦争によるプラスの成果だと◆日露戦争大勝利を喧伝した軍の驕りが第二次大戦を誘引した◆帝政崩壊はレーニン革命蜂起で失意した皇帝による◆革命を後方支援した陸軍諜報部明石大佐の銃器供与に触れず、東郷・乃木を過大評価◆戦費穴埋めでアラスカを捨値3百万円で入手 漁夫の利に喜ぶ米国は講和を取り持ち 日本と革命勢力有利に条件提示 帝政破滅を露日米3国で追い込んだ史実は隠蔽 東郷・乃木神社を祀る。◆ブラジル五輪・聖火最終走者デリマがアテネ大会で五輪史上唯一クーベルタン章付き銅メダルを受賞した美談やTV観戦の小泉総理がデリマに面会 号泣した話は語られず閉幕◆学制改革で校舎無し机無しの新制校を避け大学付属に入学 教授的伊藤先生に常々教えられた言葉です。



「俺は寒くない、外へ出てみろ!」      松元 俊夫                 
11月会報(忘れえぬ言葉6)

 50年近く前に、ロンドンのホテルでコンシェルジュと喋っていて、「今日は寒そうですね、コートを着て行った方がよいかな」と言ったところ、「私は寒くない、外へ出てみてはどうですか」という返事。自分では「そうですね、雨も降りそうですから、コートをお持ちになった方がよいかもしれませんね」といった反応を期待していたのかもしれない。暑いか寒いか、美味いか不味いかなどは、個々人が感じることであるから、確かに彼の言うとおりであった。

 大袈裟に言えば、英国人と日本人の文化の違いの一面に触れたように感じたものである。言いふるされたことであるが、とかく日本人は、相手の気持を慮って曖昧な返事をしたり、周りの人の様子を窺ってから行動したりするのは今でも変らないと思う。以後、日本人はシャイであるなんてことは、私には通用しなくなって日々図々しさが増すばかりで、興味があればどこへでも出かけて行き、誰にでも声をかけてしまうわけである。
テレビの天気予報で「もう冬物でよいでしょう」とか、「折り畳み傘を持ってお出かけ下さい」などと聞いて、大きなお世話だと文句を言いながら・・・
 

「Persuade or Perish 」          小笠原 正文              

 一寸キザなタイトルで申し訳ないが、学生時代に読んだ「クリオの顔」の最初の部分に書かれていた言葉で、確か「説得せよ、さもなくば破滅あるのみ」と訳されていたと思う。著者のハーバート・ノーマンは外交官兼歴史学者であったが、1950年代にアメリカで吹き荒れたマッカーシー旋風(赤狩り)の犠牲となり、カイロで自殺した。その人の言葉だけに、この言葉を知った時は大きな衝撃を受けた。

 その後この言葉に匹敵するような事態に陥った経験もなく、人生の指針となった訳でも無いが時々思い出している。特に現役時代、話の通じ難い近隣の某国に駐在の折は商売のみならず、いろいろのことで折り合いが難しく、「破滅」とはいかなくてもここで「負けたら」とこの言葉を思い出しながら、一生懸命こちらの主張を試みたものである。


「実るほど頭を垂れる稲穂かな」       飯沼 直躬

                                 11月会報(忘れえぬ言葉7)

 私が中学生のころ今は亡きお袋が折に触れてこんな箴言を教えてくれた。「実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな、と昔から言い伝えられてきたが人間も同じだ、稲穂は人生の生き写しだ。お前もこの稲穂のような実りある人生を送りなさい。そのためにはこの言葉の意味するところをしっかり理解しなさい。」

 しかし、当時の私はこんな言葉の意味など分かるはずもなく、単に聞き流していた。そして、サラリーマン生活の最中に時々思い出してはいたものの、その場の応対に忙しく、ゆっくり考えることもなかった。
今こうして職から解放され、静かな生活を送る身になると、なぜか昔のお袋の言葉を思い出す。
また、その意味も多少分かりかけて来たものの、なかなか諺のようにはいかないことを痛感しています。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・    2回にわたり掲載した特集「わたしの忘れ得ぬ言葉」、お楽しみいただけたでしょうか。
ご投稿くださった18名の方々に、心からお礼申し上げます。





◎会員の声


山と俳句紀行 キリマンジャロ登頂
                                     川越 尚子


 憧れであったキリマンジャロへ行った。
11月会報(ナイロビ空港)

 ローマに一泊し、翌日ナイロビの空港におりたったのは夜の帳もおりる頃であった。 
 翌朝、車はひたすら南へと突っ走る。両側には鋭い棘を持つテーブルツリーと呼ばれるアカシアの木があり、その傍らには一抱えもあるような蟻塚があちこちに見られ、番いのダチョウやラクダが悠々と歩き、アフリカの広さを目のあたりにした感があった。

赤道の真下影さす鰯雲

 ケニアからタンザニアへと国境を越える。幅広いまっすぐな道の両側にはジャカランダの街路樹が薄紫色の花をいっぱいつけて、青く澄んだ空にマッチして見事であった。日本で云えば桜に例えられようか、葉をつけず枝という枝に花が満開でよい季節に来たものだと思う。砂漠の彼方に覆っていた雲を払いのけてキリマンジャロ山が姿を現した時には、大歓声を上げた。数日後に登頂する予定の山の頂には万年雪を置いて穏やかに端正な山容を見せていた。

               11月会報ジャカランタ2

雲切れてキリマンジャロの爽やかに

 
いくつかのマサイ族の部落を過ぎ、今夜の宿に着く。カンナ、アジサイ、ナデシコなど日本でお馴染みの花々にかこまれたホテルは山懐に囲まれたリゾートホテルであった。
翌日、迎えの車で登山基地に到着、手続きを済ませるといよいよ本格的な登山開始だ。熱帯特有の森林に囲まれた道は快適だった。
 我々6名、現地のガイド3名、ポーター11名、総勢20名での出発だ。

 約2700mにある小屋に到着したのは、まだ日も高い時刻である。荷物を置いて更に高い所に行き小屋に戻る。これは高山病対策として高度順応の重要な作業なのだ。この行動は登りの小屋泊まりの四日間毎日行う。

 翌日は約3720mの山小屋まで登る。標高が上がるにしたがって樹林帯から灌木帯に移り、美しい草原に代わっていく。ほとんど雨らしい雨が降らないのにアフリカ独特のドライフラワーのような花が一面に咲いていて美しい。まじかに5000m級の山が見える。見通しの良い道では、すれ違うポーターたちが「オハヨウ」「コンニチワ」「サヨナラ」「ガンバッテ」と知っている限りの日本語で挨拶する。私たちも「ジャンボ」とスワヒリ語で返す。各国の人との挨拶でさえ「ハロー」より「ジャンボ」だ。この言葉の響きがなんとも言えないやさしさと暖か味があって私は好きだ。

                                11月会報キリマンジャロ1

秋晴やジャンボの声のあふれゐて

 
富士山と同程度の高度にある小屋はメインロッジをはじめ個々のバンガローが多くあり、ソーラーシステムによる電灯もあり、窓にはカーテンもついていて清潔感があった。尾根越しにキリマンジャロがくっきりと見え、いよいよ目的の山が身近に感じられる。空気が希薄になっていることが感じられるが、体調は全員快調である。夜の外気はさすがに冷たいが、満天の空に降るような星が異国にいることを認識させる。
 
 二日間泊まって高度順応を試みたロッジを後に最終の4700mのロッジまで登る。もう完全なサドル
(砂漠帯)で、灰白色の世界である。

 仮眠ののち0時30分ポーターに起こされ万全の装備をして軽食を取る。突然一人のメンバーが戻してしまった。高山病の現象である。一瞬不安がよぎるが、1時25分全員で出発する。ヘッドランプで足元を照らし黙々と歩く。体調によってばらばらになったがそれぞれにガイドが付きそう。私は一歩一歩深呼吸をしながらツアーリーダーと行動を共にする。昨日まで見上げていた岩峰を見下ろせるようになったところでその岩峰の頂から空が茜色に染まり始める。その美しさはなんと表現したら良いのだろうか。神々しいまでの輝きにうっとりして、束の間疲れを忘れた。汚れのない澄んだ大気の中の光は、日本では到底見ることのできないものであろう。
 
 山頂が見えていながらなかなか到着しない。午前7時20分、約6時間の厳しいアルバイトの末辿り着いた山頂のアイスフィールドは息を飲むほど素晴らしいものだった。

 厳しい登攀をした者のみが見ることのできる大自然の現象である。「登ってよかった」の感しきり。居合わせた各国の方々と喜びを分かち合い、後続の仲間を待たずに8時に下山を始める。岩場は慎重に、そして砂礫帯は私一人で一気に駆け下りる。まるで富士山の砂礫帯みたいと思いながら。
 
 小屋に戻るとポーターが笑顔で迎えてくれオレンジジュースを差し出してくれる。その美味しかったこと、すぐに飲み干してしまった。小春日和の小屋のテラスで穏やかな温かい日差しを浴び、汗やほこりまみれの上着を干して後続の仲間を待つ。全員揃ったところで軽い食事をして下山の途につく。時折振り返り、何事もなかったように青空の中、頂に雪を残してゆったりと腰を据えた堂々たる山に名残を惜しむ。
 
 一昨日泊まったロッジに着き、ポーターが沸かしてくれたお湯で体をふき、改めて皆で生暖かいビールで乾杯。ブラボー。
 往路に宿泊した小屋に泊まりながら草原、灌木帯、樹林帯を抜けて登山基地に到着、迎えのバスに乗ってリゾートホテルに到着し、ゆっくり湯船につかったり洗濯をしたりした。
 
 俳句を作る余裕もないほど緊張と不安の連続であったが、思い通りやり遂げた満足感で充実した登山であった。

                            11月会報(野外学習会記念写真)



編集後記:

今月も大勢の方のご協力を得て会報をまとめることが出来ました。川越さんに「会員の声」にキリマンジャロ登山の思い出を書いていただきました。80歳過ぎてもこの元気、すばらしいと思います。
ところで11月14日は68年ぶり特大のスーパームーン。普段の月より最大で14%も大きく、明るさは30%明るいとか。ときには窓を開けて夜空を見上げてみてはいかがでしょうか。(大崎尚子)
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