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会員の声

◎会員の声

「昔、読んだ新聞記事の記憶」から
                                 上原 祥孝 

4月会報会員の声1
写真:京都府八幡市で「松花堂」を発見、再興した吉井勇

少年の頃のある日、育った郷土の高知新聞に“吉井勇”と云う人がかつて住んだ、土佐を懐かしいと云って訪れたという写真記事を記憶していた。社会に出てから、先ず地元勤務となり、営業で山間部まで二輪車で定期訪問していたが、ある時、彼が傷心を癒したという「渓鬼荘」と名付け隠棲したかやぶきの粗末な庵を見つけ出した。

そこは平家の落人伝説の残る深い谷に在り、脱け殻の中に酒好きだったという歌人の姿と、
その頃の歌「さびしければ御在所山の山櫻 咲く日もいとど待たれぬるかな」に思いを馳せた事でした。

去年の秋のこと、歴史文学散歩で田町駅から三田、高輪、品川をご案内した時、ぜひ高輪に育ったという勇のよすがをと求めたが、瀟洒な土地柄の佇まいは残るも、拠るべなかった。ひもとけば、維新の功により伯爵となった旧薩摩藩士の祖父吉井友実、父幸三(貴族院議員)の長男に生れ、幼少期、鎌倉材木座で育つ。

「寝ころべば青き芝生ぞ忘れかね いとけなき日の高輪の家」

次に特に好きな歌
「夏はきぬ相模の海の南風に わが瞳燃ゆわがこころ燃ゆ」は口ずさめば心昂る。

東京府立一中に入るも落第、日本学園に移るが肋膜炎で入院中「新詩社」の同人となり「明星」に
投稿、白秋と共に世に出る。早稲田文学部中退後、耽美派の拠点「パンの会」を白秋、木下杢太郎、石井柏亭らと結成、翌年森鴎外らと「スバル」を創刊、啄木らと編集にあたった。

1915年祇園を詠んだ甘美な「祇園歌集」を刊行、「ゴンドラの唄」を作詩して名声を博し、明治、大正、昭和と永く活躍した。最初の妻徳子は柳原白蓮の兄、伯爵柳原義光の次女で所謂不良華族事件を起こす。
勇は離婚し昭和8年~12年まで約3年、土佐の上韮生(かみにろう)(旧物部村)の猪野々(いのの)「渓鬼荘」に隠棲、人間修行の日々を過ごしたという。

                                4月会報会員の声2 
                大正5年「ゴンドラの唄」の松井須磨子を載せた竹下夢二のポスター


「うらうらと日の照りわたる大土佐の 七つの郡夏立ちにけり」

その後、高知市の鏡川のほとりに移り、国松孝子と再婚。晩年は祇園に住み谷崎潤一郎らと交流し、歌会始選者、日本芸術院会員となる。 「かにかくに祇園はこひし寝るときも 枕の下を水の流るる」は有名で「祇園歌人」「伯爵歌人」とも云われたが、昭和35年75才で世を去る。

「人の世にふたたびあらわぬわかき日の 宴のあとを秋の風ふく」を残して。

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