欅の木3余白削除70 特集「わたしの好きな町・思い出の土地」「わたしが感動した映画」「私の好きな思い出の曲」 - 欅友会
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特集記事

2019年8月会報原稿22019年8月会報原稿模様1






特集「わたしの好きな町・思い出の地」
「わたしが感動した映画」「わたしの好きな思い出の曲」(最終回)






「憶い出のステージ」           彌吉 久

福岡市東中洲の歓楽街、周辺は疎開作業中で雑然、残された「大博劇場」。娯楽にも飢えていて、兎に角入る。
2019年12月会報大博劇場1

9歳くらいの幼女が小さい花束を抱き、長い花道をチョコチョコと舞台中央へ。「こうして大きくなりました」「欲しがりません勝つまでは」と2曲。可憐な姿と歌声、“中村メイコ”の名前が心に残った。後年の「七色の声」のマルチタレントである。次は“服部富子”。服部良一氏の妹さんと紹介された。匂いたつような容姿と歌声にウットリ。そして“暁テル子”、コミカルなメイクと仕草で「ミネソタの卵売り」を歌い、喝さいを浴びていた。
                          2019年12月会報ステージ1

S19年初期の旧制中学5年、農村動員から工場動員へと駆り出されていたある日曜日、空腹のまま、初めて観たステージでした。あれから幾星霜、TVの出現、彼女等の活躍を画面でたまに観る時、苦しかった当時の日々がホロ苦くも懐かしく憶い出されるのでした。



『私が感動した映画「生きる」』      栗原 文男

「生きる」は黒澤明監督、主演志村 喬で1950年の作品である。主人公(志村)は役所の市民課の課長。胃がんのため余命6か月との診断を受け、残された時間をどう生きるかの苦悩が始まる。最後に、何かをつくることが自分の使命だと決意。映画の冒頭で、住民たちが公園を作ってほしいと陳情に来ていて、その件が保留されていたことを思い出し、課長はその実現のため行動を開始する。ここまでが前半。
2019年12月会報映画1

後半はすでに主人公は亡くなっており、通夜の席で課長の部下たちが公園づくりに命をかけていた課長をいろいろ思い出し、映画の観客はそれをビデオテープで見るようにして課長の残された人生を追う。
他者の喜びをわが喜びとする尊さが、生きることの一つの意味であるとの作者の濃厚なメッセージが伝わる。特徴として映画の後半のほとんどが通夜の場面であることと、個性あふれた俳優たちのすばらしい演技。
                           2019年12月会報生きる1

「生きる」は映画ファンなら必見です。


「思い出の地」               小川 紘満

吉村昭の歴史小説『桜田門外ノ変』の最初のページに次の記述があります。「...矢田部藤七郎と(略)大嶺荘蔵が東海道筋で捕われ、水戸城下に護送されてくる...(略)やがて、高台になっている水戸街道の吉田村に、護送する者たちの姿があらわれた」。
2019年12月会報桜田門外ノ変

吉田村とは現在の水戸市元吉田町。昭和30年までは東茨城郡吉田村という街道沿いのひなびた村落でした。水戸の旧市内まで一里ほど、今でも一里塚跡が残っています。また町内には6世紀末以降に造られた吉田古墳があります。墳丘の規模は小さくても石室内には武具の線刻画が残されており、装飾古墳としての学術的価値が高いと判断されて、大正11年には国史跡となっています。
                      2019年12月会報吉田古墳1

私は幼いときから昭和43年まで約22年間を同地で過ごしましたが、昭和30年ごろは国史跡といっても管理が緩く、小学生のときに社会見学で狭い石室内を見学したことをよく覚えています。もちろん現在では簡単に石室内に立ち入ることはできません。




「大町市木崎湖」                増田 保武

長野県大町市は北アルプス登山の玄関口である。大糸線で大町から少し北に行くと、木崎・中綱・青木の信濃三湖が静かに佇んでいる。高校2年の夏、大学受験の為、友人に誘われて木崎湖の民宿・夏期学生村を訪れた。数軒の大きな民宿農家に関西方面を含めて国立大学を狙う優秀な学生たちが多く参加していた。
2019年12月会報木崎湖1

僅か2週間の滞在であったが、学生たちとの交流、木崎湖の花火、夜中に無数に舞う蛍、そして何よりも民宿の家族の暖かさなど、信州の良さを知るには十分な経験であった。以降、大学4年間を通じ、何度となくその民宿を訪ね、そこを起点に安曇野から見る北アルプスの山々や、夏の八方尾根、栂池高原の素晴らしさなど、信州の良さをさらに知ることとなった。
               2019年12月会報安曇野3

受験という厳しい環境下で味わった北アルプスの自然の美しさ、人情味に溢れた民宿の暖かさは青春の思い出そのものである。数年前、立山へ向かうツアーバス内から、何十年ぶりにその民宿がまだ残っているのを見ることができた。思い出いっぱいの土地であるが、民宿の家族のみなさんは今、どう過ごしているのだろうか。



「私の好きな思い出の曲」         鶴野 哲夫

歌のジャンルには文部省選定唱歌、民謡、演歌ほか色々分類されるが、敢えて挙げれば「ラバウル小唄」。敗戦後流行り「南洋航路」の替え歌と聞いている。うたごえ合唱の会でリクエストしたところ軍歌はダメと断られた。歌詞に軍歌的なところはないと思っているが?
       2019年12月会報合唱団1

終戦時、私は旧制中学2年で軍事教練と軍歌練習、勤労奉仕に明け暮れた。当時の戦時歌謡は今でも殆ど歌えるし当時の情景が目に浮かぶ。同年代の旧友との会合での話題は持病と薬は必ず出るが、一杯の後のカラオケでは演歌、懐メロが主である。仲間と軍歌もよく歌うが、締めは「同期の桜」。近年声帯が痩せ声を出さないと益々出なくなりますよと医師に言われた。
                       2019年12月会報軍歌2

軍歌は歌いやすく数曲発声練習のつもりで歌うと声のカスレが取れてくる。近年の歌は私には馴染めず難しく歌えないが、「花は咲く」は合唱で歌っているうちに何とか歌えるようになった。妻の故郷釜石の大津波震災復興を願いつつ歌っている。



「私の好きな町、思い出の地」        名取 瑞穂
2019年12月会報飯塚市

私の故郷は6歳から20歳まで過ごした福岡県飯塚市。父の転勤で長崎生まれ、樺太から引き揚げ、翌年小学校入学で終戦。飯塚は忘れられない思い出の地、昨年11月同窓会出席のため10泊で帰郷した。かつて石炭産業が盛んで賑やかだった町の中心は、シャッター街化していた。友人は故郷のことを聞かれると、富士山の様な小さい山(ボタ山)がたくさんある町と言っていた。

飯塚で伊藤伝左衛門と松元家と中野国太郎の三人で最初に炭鉱を始めたと聞いている。国太郎は私の祖父で56歳で死去。伝右衛門はのちに柳原白蓮と結婚。旧伊藤邸で『愛を貫いた三人のアキコ』展を観る。柳原燁子(白蓮)、与謝野晶子、江口章子の三者三様の人生模様展を見学。
                      2019年12月会報飯塚市伊藤邸

旧伊藤邸は以前父や兄や義兄が勤めていた日鉄鉱業の社宅である。親類は二年住み、次に住む姉は広すぎて掃除も大変で冬は寒いと止め、義兄は倶楽部にし、父の法事もここで行った。現在は飯塚市に渡って、300円で見学できる。町の中心から北に旧伊藤邸、南にりっぱな麻生太郎副総理邸のある町である。
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