欅の木3余白削除70 会員の声②(2019年12月) - 欅友会
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◎会員の声②



「歌舞伎の中の“おんなの「粋」”」
                                  若杉 広

「チョン」「チョン」と拆(拍子木)が入ると、イヤホンガイド(同時解説)が耳元で「お待たせしました・・・」と物語の解説が始まる。徐々に速くなる拆のリズムに乗って、ゆっくりと定式幕が引かれていく。同時に私の心は、その時代背景への世界へと入っていく。
           2019年12月会報歌舞伎座1

私が歌舞伎を見始めて、三十数年になります。そしてここ二十年は、歌舞伎座で ほぼ毎月1回鑑賞しており、その時が唯一現実から解放される瞬間であり、幸せな充足感を味わえる瞬間でもあります。

当然、このように長い間観てくると同じ演目を複数回観ることになりますが、観る側の私も演ずる役者さんも、お互い年輪を重ね、置かれている立場や環境や体調も変わっているので、受け方や感じ方が全く違い、その都度新鮮で面白く感動するものです。
特に以前は、早替わり、宙吊りなどのケレン味のあるお芝居に感銘を受けましたが、最近は、じっくりと時代物や上方和事に興味を持つようになりました。とりわけ重要な役割を果たす女の人物像に心を奪われています。

今、世界は女性を中心に回り始めていますが、日本の場合、政治や企業を動かす力となると依然として男性社会であり、才能を開花させるための女性の活躍の場は限られています。しかし、江戸幕府誕生以来400年の歴史を刻んできた庶民文化の代表である歌舞伎の中では、ずっと女たちが支え、引っ張ってきたことがはっきりとわかります。描き出される女主人公たちは、男に比べるとずっと逞しい。男尊女卑のイメージとは程遠い、どこか切ないまでに覚悟をもって生きる女たちが活躍します。彼女たちは男を励まし、助け、庇い(かば)、命をも犠牲にするのです。それは、日本人が何を大切にしてきたか、日本人がどのような生き方をしてきたのかを、女主人公の「物語」を通して、忘れていた日本人に出会うことができるのです。

“覚悟をもって生きる女たち”の一つの演目として、最近では、今年4月に歌舞伎座で公演された「 新版歌(しんぱんうた)祭文(ざいもん) 」があります。この芝居は近松半二の浄瑠璃に書かれたもので、「野崎村」の場が特に有名で、久松の許嫁者お光が、お染のために恋をあきらめる悲劇である。簡単に「筋書」より抜粋して、見どころを解説したいと思います。



2019年12月会報歌舞伎人間関係図

久松の実父は、和泉の石津家の家臣相良丈太夫という武士だったが、家が潰れ、乳母が久作の妹だったことから、久松はこの家に引き取って育てられた。成長した久松は、大阪の質屋油屋に奉公に出ますが、奉公先の娘 お染と深い仲になっています。年の暮れ、久松は商い先から金を受け取った後、座摩社でお染と忍び逢いますが、手代小助の企みに引っ掛かってしまい、金を騙し取られます。店の金を着服したという濡れ衣を着せられた久松は、小助に伴われて久作の家に戻ります。久作は小助に金を叩きつけて追い返すと、これを機にかねてから久松を慕っていた娘のお光との祝言を挙げようとしますが、そこへお染が久松を訪ねてきたことから、お光は強く嫉妬します。

お光は母の連れ子で、久作とは義理の親子関係である。久作は、これまでの経緯を説明し、何としても久松とお光を夫婦にする約束を叶えてやりたいと懇願する。それを聞いて久松とお染は、泣きながら別れる決意を伝え、久作は大いに喜ぶが、奥で二人の様子をうかがっていたお光は、二人は心中する覚悟である、ということを見逃さなかった。二人の命を助けるために自分が身を引き、尼となって久松への思いを断ち切るのでした。 

幕切れは、迎えに来たお染の母と、久松は両花道を使って引っ込み、見送ったお光は、これまで凛として凄まじさを見せていたが、ついに悲しみに堪えきれず久作のもとへ泣き崩れるのであった。  

2019年12月会報定式幕1

この幕切れに私の目は涙に溢れ、ついにこぼれ落ちてしまった。場内はすでに明るくなり、幕間となって観客は何事も無かったように平然と私の傍を通り過ぎていく。周りを見ても然り。「えっ、何で、私だけ・・・・」恥ずかしさから、涙をみせないようにと俯き、しばらく席を立たないで、涙が乾くのをひたすら待つのである。このように幕切れで泣かされるのが一番つらく、これまでも何回あったことか。

このように“覚悟をもって生きる女たち”が活躍する物語は、他にも人形浄瑠璃“心中天網島”を歌舞伎化した「河庄」や「時雨の炬燵」の小春・治兵衛、「曽根崎心中」のお初・徳兵衛、「仮名手本忠臣蔵」のお軽・勘平など、男に尽くし、励まし、助け、命をも犠牲にする女の「物語」は数多くあります。

東京では「粋」と書いて“いき”と読みますが、上方では“すい”と読む、ということをある本で読んだことがあります。粋(いき)は、自分のための行為だが、粋(すい)は、人のために尽くす行為だ、という。確かに上方では心中物、江戸では白波物が人気を集めることから納得がいきます。「歌祭文」の“お光”などは、まさしく「粋(すい)」の女性像である。自分の願いを叶えたら、久松とお染は心中し、久作を悲しみのどん底に突き落とすことになる。そんな身勝手は自分の恥である、と自分を犠牲にし、覚悟して前向きな人生を選択したお光がそこにいるのです。
                            2019年12月会報女形3

そして、この“おんなの「粋」(すい)”を演ずる女形こそ、歌舞伎の華といえるでしょう。舞台上の女形は、女以上に女に見える。役者を目指す者はみな、まず女形から始めるといわれます。このように歌舞伎の本質は、女形から見えてくるのです。
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