欅の木3余白削除70 特集(私の好きな思い出の町・映画・曲) - 欅友会
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2019年8月会報原稿22019年8月会報原稿2





特集「わたしの好きな町・思い出の地」「わたしが感動した映画」「わたしの好きな思い出の曲」(1)

上記のテーマで400字の短文を書いていただきました。12月まで3回に分けてご紹介します。




「思い出の街、コペンハーゲン」       宮武 光吉

1965年、世界保健機関のフェローとして、3か月余り、デンマークに滞在しました。コペンハーゲンに到着したのは、2月末だったので、その夜の最低気温はマイナス20度でした。中央駅前のこじんまりしたホテルにチェックインしてから、出迎えてくれた、日本人の知人と遅い夕食に出かけ、そこで食べたのが、チキンの丸焼きでした。
2019年10月会報コペンハーゲン1

翌朝、町はずれにある大学で、質素な開講式があり、研修が始まりました。社会保障国家として認められつつあった、デンマークの実情を見せるために、発展途上国の若い専門家たちを招待したというのが、かの国の狙いだったようです。
1週間ほどで、ホテルから、都心にあるペンションを経て、郊外の戸建ての下宿に落ち着きました。古い石造りのビルが立ち並ぶ繁華街とは違った穏やかな暮らしでした。

人は、最初に出会った街に惚れる、とは誰の言葉でしたか、コペンハーゲンは、私にとって最初の外国の街でした。それから三度訪れ、最後は25年前に家内と一緒に行きました。



「琵琶湖周航の歌」              近藤 裕

昭和29年夏、友人男性3人と4人で、長野県白樺湖に行きました。夜行列車で偶然同席した女性5人グループと行き先が同じだったので、夜バンガローで遅くまでゲームをして遊びました。次の日に早く起きて、ボートに乗る約束をしました。翌朝起こしても、誰も起きてくれません。止むを得ず私一人で湖畔へ行きましたら、何と女性グループも来たのはただ一人だけでした。

                             2019年10月会報白樺湖1
仕方がないので二人でボートに乗りました。朝もやの立ち込めた早朝で、ボートは私たちの一隻だけで、他には誰もいません。男女共学の経験がなかったので、何を話していいのか困ってしまいました。勇気をだして、「琵琶湖周航の歌」を歌いました。「煙る狭霧やさざ波の」という歌詞がぴったりの、ロマンチックな風景でした。

東京に帰ってから3年ほど交際して、その女性と結婚しました。それから次々と幸運が舞い込んで、幸せな人生をおくりました。生涯わすれられない大好きな歌です。


「宝塚大劇場雪組公演を観劇して」2019年7月2日   広瀬 義隆

きっかけはテレビ番組「歴史ヒストリア」で小林一三(雅号逸翁)の宝塚少女歌劇団の創設への思いに触れたことでした。それで、宝塚大劇場で雪組の公演を三田の姉と家内の三人で観てきました。原作 浅田次郎の初の時代小説「壬生義士伝」―田舎侍の南部藩士吉村貫一郎を雪組のトップスター望(のぞ)海(み)風(ふう)斗(と)が、その妻しづをトップ娘役・真(ま)彩(あや)希(き)帆(ほ)が演じ、武士としての義、家族への愛、友への友情を実に美しく華やかに「芝居」をしてくれ、魅了させてくれました。

2019年10月会報宝塚大劇場1
そして第二部が始まり、その「華やかさ」「歌唱力」「ダンス」どれ一つをとっても超一流で、タイトルの「Music Revolution」のとおり、今までのどのショーよりも進化した「明るさ」と「スピード感」「ハーモニー」を見せて頂き、本当に興奮し、涙が出るほど感動しました。(座席は前列三列目中央43~45番)

公演に先立ち、小林一三記念館で鉄道事業以外に多方面で活躍された起業家小林一三の華麗なる軌跡をビデオ、写真、文書などで拝見し、その邸宅レストランでランチが出来たのも、感慨深いものでした。



「国立市」             高橋 和夫(よしお)

私は生まれてこの方色々な土地で過ごしてきたが、その中で国立市が思い出の土地である。国立市で昭和11年(1936年)2月生まれ、約30年間にわたり住んだ思い出は忘れ難いものがある。国立市との縁は父が当時の東京商科大学(現在の一橋大学)の職員で、大学構内の住宅に入居していたことであった。現在も校内は当時の面影を残してはいるが以前は自然林の中のような感じであった。私たち子供にはまたとない遊び場でもあった。

                             2019年10月会報国立1
国立市は関東大震災後、箱根土地(現在の西部系国土計画)の学園都市改革により、開発された経緯から、街並みも整然と区画され、住み易い環境が整っていた。現在は当時よりも大きく変わっているが、駅から少し離れた所にはまだ昔の雰囲気が残されている。戦後、国立市民は今後のことを考え、文教地区の指定を申請し、昭和27年(1952年)幸い認可されたのは、現在の国立市がよりよい環境を維持している遠因となっている。今後とも文化活動の盛んな、環境の良い国立市を期待している。




「作兵衛さんと日本を掘る」     野沢 森生(もりお)

「作兵衛さんと日本を掘る」(熊谷博子監督 2018年 111分 オフィス熊谷製作)
山本作兵衛は筑豊・遠賀川の川船頭の息子として生まれ、五十余年間の坑内生活で数多くのヤマを転々された炭鉱労働者であったが、六十歳も半ばを過ぎた離職後に夜警を勤めながら、ツルハシを絵筆に持ちかえ「子孫に炭鉱生活を伝えたい」として丹念で克明な画文集などを数多く残された。その偉業は二〇一一年五月に五百八十九点の絵画や百八点の日記などがユネスコの認定する「世界記憶遺産」に日本国内から初めて登録された。

2019年10月会報
その炭鉱記録画を基にしたドキュメンタリー映画であるが、元抗夫や作兵衛さんを知る人々の証言などを交えたもので、まる七年かけて作成された。炭鉱は今日の労働問題やエネルギー政策の原点といえるところであった。また監督は「炭鉱は文化を生み出したが、原発は文化を生み出さなかった」とも言われた。まさに「心に響く」感動した作品でした。




「ベートーベンのピアノソナタ」      加藤 武夫

私は、クラシック音楽の中では、ピアノソナタが特に好きである。50年近く聴き続けている。歳を経るにつれて、その作曲家の晩年の作品に絞られてきた。ベートーベン、モーツアルト、シューベルトのそれである。
私のサラリーマン時代は、ストレスで心身共にぼろぼろであった。そんな私を救ってくれたのがピアノソナタ、中でもベートーベンの後期三曲のピアノソナタ(作品106、109、111)であった。  

                                   2019年10月会報ベートーベン1
私の敬愛する故五味康祐氏は、知る人ぞ知るクラシック通の作家であるが、彼は、「ピアノソナタのなかでは、ベートーベンの後期三曲が、ピアノで綴られた新約聖書と呼ばれるもので、古今無双の名品だ」と言っている。私も、まったく同感である。
作品106と109の第三楽章、111の第二楽章(三楽章はない)のアダージョは、苦しみ、悩み、哀しみを乗り越え、幽玄の境地を切々とピアノで綴っている。我が身に置き換えて、長年私はそれを聴き、救われてきた。涙なくしては聴かれない。



「白い花の咲く頃」              内田 豊

私はクラシック音楽を聴くのが好きですが、学生時代から合唱や外国の民謡等のほか抒情歌を歌うのも好きでした。
そこで、今回はクラシック音楽ではなく、その好きな抒情歌の中から戦後のラジオ歌謡から生まれたヒット曲で、或るエピソードに纏わるこの曲を選びました。

2019年10月会報白い花1
先年、こんなことがありました。ある音楽の出版社の社長から誘われて、秋葉原にあった岡本敦郎(この曲を歌った歌手)の店に行った折、そこで同行した社長から勧められてこの曲を歌ったところ、1番を歌い終わると奥の方から岡本敦郎本人が出てきて後ろから肩をたたき、「大変上手ですよ」と声をかけられ、「2番を私と一緒に歌いましょう」と言われて驚きましたが、こんな機会は二度とないだろうと思ってその気になり、一緒に歌って楽しんだのが良い思い出になりました。

最近は、歌を歌う機会がありませんが、戦後一世を風靡した抒情歌にはこの他にも沢山の名曲が生まれています。



「中央線の国分寺駅と武蔵小金井駅」      笠原 忠興

本年は中央線新宿~八王子間、併せて中野、武蔵境、国分寺、立川、八王子の各駅が明治22年に開業して130周年。武蔵小金井駅は大正15年開業で93周年になった。
私が社会人になって通勤に利用したのは全て中央線の各駅。独身時代は高円寺駅、結婚して荻窪駅と西荻窪駅、自宅を小金井市に求めて武蔵小金井駅、年金生活に入って国分寺駅と都心からは順次遠くなって来た。しかし、私の人生の半分40年間は専ら国分寺駅と武蔵小金井駅にお世話になっている訳で、両駅には愛着が尽きない。

                             2019年10月会報中央線2
殊にJR東日本と関連自治体の努力により、三鷹~立川間連続立体交差の完成および国分寺、武蔵小金井両駅のホーム2面、4線化、併せて両駅の駅舎・駅前再開発事業の進展を当初から見守り、その恩恵を享受してきた私である。“乗り鉄”であった私が、国分寺駅北口と武蔵小金井駅南口の両第2次開発事業の竣工をいまや遅しと急く、“観る鉄”となってここに居る。 




「わたしの好きな思い出の一曲」       内山 晴信

小中学校の音楽授業で接した曲も多々あるが、クラシック音楽の中から「カール・ベーム指揮ヴィーン・フィルハーモニー演ずるブルックナー交響曲第4番」を選定した。この指揮者の管弦楽分野の録音はあまり無く、ドイツ・グラモフォンから生誕70歳記念として発売されたベルリン・フィル演奏シューベルト第9番(ハ長調)やそれ以前のモーツァルト交響曲全集くらい。

2019年10月会報ブルックナー1
「ゴツゴツとした音の塊」のブルックナー演奏が多い中で、この録音ではヴィーン・フィルの長閑な音色、全般にゆったりとしたテンポ、英デッカ特有の優秀収録などが見事に作用して、円熟味を増した巨匠の彫の深い驚異的名演奏が誕生した。これ以降、私は馴染み難かったブルックナーの曲を幅広く聴く契機になったが、ベーム/ヴィーン・フィル来日演奏会終了後、どの演奏会でも「現人神」を崇めるようにファンが舞台下に殺到したので、この録音の影響は多大であったと思っている。 



映画「ひまわり」              関塚 恵子

娯楽の少なかった時代、私の青春時代はまさに映画と共に歩み、映画から得たものは計り知れません。子供の頃家族で観た「名犬ラッシー/家路」に始まり、あちこちの映画館に足を運び、それは今日に至っています。
感動した映画はたくさんありますが、やはり筆頭は1970年9月に公開された、イタリア、フランス、ソ連の合作映画「ひまわり」でしょうか。監督はヴィットリオ・デ・シーカ、音楽はヘンリ―・マンシーニが担当しています。
                            2019年10月ひまわり2
戦争によって引き裂かれた夫妻の行く末を悲哀を込め描いた作品で、貧しいお針子を演じたジョバンナ(ソフィア・ローレン)、電気技師のアントニオ(マルチェロ・マストロヤンニ)の迫真の演技に涙しました、エンディングでの地平線にまで及ぶ画面いっぱいのひまわり畑(ウクライナのヘルソン州で撮影)、流れてくる音楽に、感動、感動でした。そして、戦争という大きな運命の前に、二人の人生を狂わせたことに憤りを覚えたものです。



「思い出の地」             小田切 豊雄

郷里の山梨から昭和42年に東経大卒後、某損害保険会社に奉職して静岡を振り出しに名古屋、浜松を経て甲府に昭和54年4月に転任になった。妻の郷里でもあったので家族4人の喜びは一入であり、親戚縁者、友人も多く、霊峰富士を仰ぎ見る生活は快適であった。

2019年10月会報家族そろって歌合戦1
思い出は数多いが、翌年の4月に「家族そろって歌合戦」決勝大会で、妻と長男(小2)幼稚園児の次男が出場して見事優勝した。この番組はTBSの放映で、漫才師の獅子てんやと瀬戸わんやの軽妙な司会と審査員は高木東六、笠置シズ子、市川昭介の豪華キャストで、長く続いている家族向けの人気番組であった。当日は人気歌手の千昌夫、榊原郁恵のゲスト出演もあり、1500名収容の県内一の大ホールも満員となり、我が家にとっては忘れ得ぬ最大の思い出となった。

その後、長崎転勤を経て東京勤務となった折、埼玉に終の棲家を得て34年になるが、何と云っても幼少時代、青春時代も含めて23年間を暮らした山梨は好きである。・・・「故郷の山は有難きかな」である。
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