欅の木3余白削除70 会員の声②(2019年6月) - 欅友会
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◎会員の声②





「短歌と私」
                            川村 僖壹(よしかず)

2019年6月会報短歌2


短歌と私ほどミスマッチなものは他にないというのが私の実感である。と言ってもそうですかとは簡単に信用する人は少ないかもしれない。短歌らしきものを始めて5年になる。その間に1万首以上の短歌らしきものが積み上がっており、今も日々増え続けていることを知る人たちはなおのことと思う。

短歌を始めたきっかけは友人に誘われたというか、けしかけられたからである。それが5年前72歳の時である。小さい時から国語関連が大の苦手で、特に詩的なものにはセンスが欠如している。中学校の先生からもそう太鼓判を押されていた人間だから、当然拒絶反応であった。話をしているうちに、「俺は短歌は苦手だしセンスもない。いい歌なんか作れるはずはない。ということは下手でいいのだ。無茶苦茶でも許されるだろう。」と根がのんきな性格が顔を出したのである。

俳句を選ばなかった理由は、和歌からの歴史が長いこと、季語が不要で自由度が高い、俳句では文字数が少なすぎる、など単純な理由である。というふうに書いてきてふと思ったのは、私が短歌にチャレンジすることは、数学が苦手だった人が高齢者になって数学にチャレンジすることに似ているのじゃないか? そうだとすれば敷居の高さ、無謀さを理解されるのではないだろうか?
                                2019年6月会報手帳1

とにかくそんなことで始めたので、その日の出来事、見たこと、感じたことなどをとにかく31文字にまとめることにした。心がけたのは、31文字にまとまったら手帳に書き留める。そしてその日の終りにメモをした短歌もどきの31文字を全てPC(パソコン)に日付と番号を付して保存することとした。最初に感じたことは、31文字にまとまったら即メモすること。あとでメモをしようとしても跡形もなく消え去っているということ。したがって手帳は常に必携とした。そしてPCに移し替えるとき表現が変えられる、そこで一度推敲ができること、などである。

歌集や新聞の投稿歌、短歌関連記事などを読み始める。そんな中カルチャーショックを受けた短歌に出会った。次の一首である。
  ・次々に走り過ぎ行く自動車の運転する人みな前を向く   奥田晃
なんだこれ、これで歌? あたりまえのことを表現しただけじゃないか?これで良ければ俺だって、と気持ちが楽になった記憶がある。それが甘かったことになるのだか。ただ、短歌はそれくらい自由なんだ。

我流もいいとこなので、始めて1年後ころに月1回の初心者向けの講座をカルチャーセンターに見つけて受講することとした。受講者が提出した一首を先生が講評し添削する。それによって短歌を学ぶという教室である。当然ながら原形をとどめないほど真っ赤に添削される。生徒15人位で最も下手な部類である。指摘されたことは、

・散文的です。
・説明的です。
・慣用語は使用しないように。
・楽しいとは言わずにどう楽しいのかを。
などなど。しかし、指摘されれば直るほど簡単ではない。散文と韻文との差なんてわからない。そんな状態が今も続いている。
               2019年6月会報若山牧水12019年6月会報石川啄木1


やはり、世にいう名歌に接しなければならないだろうと、牧水や啄木、現代歌人の歌集を読んだり書き留めたりしてみる。牧水には酒の歌が多く、共感できる歌も少なくない。そういう出会いが最近では楽しくなってきている。人生のあらゆることが題材となって詠まれている。理解できると嬉しくなる。例えば女性歌人の若いころの作品に次のような一首があり、これに出会った時も、その奔放さに驚いた。

・たとえば君 ガサッと落ち葉すくふやう私をさらつて行つてはくれぬか  河野裕子

高齢者であっても遠い青春時代に思いを馳せざるを得ない。短歌をやっていて良かったと思えることが少しずつだが実感できるようになってきた。
                                  2019年6月会報ウオーキング1

リタイア後健康維持のため朝1時間ほどウォーキングを行っているが、天候であったり、季節であったり、行きかう人などささいなことに感情移入し歌を詠むようになってきた。実は現役時は一貫して技術畑を通してきた。技術は現象やデータに対して極めて冷静に向き合い、〇×が明確なデジタルの世界である。短歌の世界はこれとは全くの正反対。ささいなことにも感情を動かしドキドキするアナログ的な世界である。

短歌の影響か今までの無機的な無味乾燥の心に少し湿り気というか豊かさのようなものが芽生えてきている気がする。天秤が技術の方へ一方的に傾いていたのが、水平とまではいかないものの傾きがゆるやかになってきたような。

とはいえ、短歌教室では未だに真っ赤に添削される状態が続いている。ひところはがっかり落ち込むこともあったが、最近は割り切って添削されるから勉強になる、反省もする。「いい一首です。」では何も得るものがないのだと添削されることに快感を覚えるようになった。5年目に入っている短歌教室、その間褒められたのは1度だけ、いや1度あったことが望外のこと。励みになっている。

先日、ドキュメンタリー映画「えんとこの歌」を観た。数年前欅友会でいせフィルムのドキュメンタリー映画「大丈夫」を観て以来、いせフィルムのファンになった。そのいせフィルムの最新作である。脳性麻痺で35年間寝たきりの70歳の男性の姿を追ったものである。体はどこも動かせない。介助者に頼り切って生きている。その懸命な姿に打たれるが、彼が10年ほど前から短歌を詠みだした。彼の状況から彼しか詠めない歌、そして恋の歌をも少なからず詠んでいる。彼には短歌が生きる力になっている、エネルギーになっていることを強く感じた。短歌にはそんな力があることを。

最後に小生の駄作数首を披露させていただき雑文を閉じる。恥を忍んで。

・亡き母の店の名前の懐かしき昭和の匂う「リリー洋装店」
・冬ざれの小さな森の散歩道葉は落ち尽くし陽射しやさしき
・青森は近くて遠い聖地なり初恋の人住む地なればなお
・「災」じゃない俺には「裕」と言いたいが「窮」を飲み込む大晦日の酒
・嘆くよりその趣を楽しまん濃霧立ちこめる我が風景を (緑内障進行中)

皆さん、短歌を始めませんか? 数学が苦手な方数学をやり直してみませんか?きっと新しい世界に出会えます。苦手に挑戦することの効用です。


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