欅の木3余白削除70 会員の声①(2019年6月) - 欅友会
FC2ブログ

欅友会

会員の声

◎会員の声①




「ウズベキスタン8日間の旅」
                 2015年4月24日~5月1日

                              織井 恵美子




何世紀もの間、東西南北を繋いだシルクロードの一端でも訪れてみたいという思いを予てより抱いていたところ、「ウズベキスタンの旅」という機会に恵まれました。
2019年6月会報天山山脈

成田を出発した飛行機は、首都タシケントを目指して飛行、眼下には天山山脈の雪に覆われた山々が連なり、白銀に輝く山々の姿は「神々が住む」としか言いようがない荘厳な姿でした。

タシケントは古来、東西の国々の貿易中継都市として発展してきましたが、一方数々の侵略を受けました。1991年ソ連から独立し、人口250万人の中央アジア最大の近代都市です。夕刻到着しバスでホテルへ移動中に眺める風景は、広い道路と街路樹の奇麗な街で欧米の街を連想しました。ここではイスラムの民族衣装を着た人、へジャブを被る人は殆ど見かけませんでした。ガイドの女性のご主人はアルメニア人、ロシア人、ユダヤ人のミックスで、彼女の分も含めて息子は五つの血が混じっているとのことでした。
                                  2019年6月会報ティムール像1

夕食後ホテル前アムール・ティムール広場にティムール像(一代で中央アジアを統一した人。1966年直下型大地震後再建した新市街の中心地に立つ)の見学に行きましたが、広場を横切る地下道の出入りにはガイドさんのみバックの中まで調べられました。地下鉄に直結しているからだそうです。

二日目、早朝国内線でウルゲンチへ(1時間40分)、バスに乗り換えヒヴァへ(一時間半)。ヒヴァはアムダリア河下流のオアシス。古代ペルシャ時代からカラクム砂漠への出入り口として繁栄、砂漠に囲まれたヒヴァの中央に大きな城砦が残り、城内と城外がはっきりと分かれ、城内のイチャンカラは中世にタイムスリップした気分に浸れました。

今4000人が住んでいるそうです。観光客もいるでしょうが、みんながカラフルな民族衣装へジャブを被っていました。たまに真っ黒なイスラムの衣装を着た人も見かけました。人々は陽気で気持ちよく私たちに接してくれました。モスクと神学校、ミナレット(塔)や古い住居など見学しました。城外のホテルに泊まりましたが、その夜、嵐の様な強風で街全体が停電、持参した電池が役にたちました。

三日目、バスでウルグンチを通り抜け、キジルムク砂漠を走りブハラへ(7時間)。途中カラカルパクスタン共和国を少し通り、2011年建設された橋でアムダリア河を渡りました。この河はアラル海の縮小の原因になっています(後書きで説明する)。遠くに見えた対岸はトルクメニスタンでした。

砂漠の中、一軒家の食堂で昼食(ナンとシシカバブ)をとりましたが、その折、可愛らしい親切な少年に会いました。食堂の裏のトイレに行ったときのことです。手を洗っていると20メートルくらい離れた所で手を振っている少年がいました。手振り身振りで「こちらへ来て」という感じでした。

その頃、他の国でISの事件が頻繁に報道されていたので、友人と私は瞬間迷いました。「ここで事件に巻き込まれたらみんなに迷惑がかかる」と、私たちの思いとは裏腹に笑顔の少年は一生懸命手を振るのです。迷いつつも少年の方に行った私たちに食堂の裏で兄さんらしき青年が肉を焼いている所を見せてくれたのです。身振りで「昼に食べた肉は美味しかったですか」と問われたので、覚えたての言葉で「ラフマト」と応じると、一段と笑顔が輝きました。自分たちの仕事に誇りを持った兄弟の顔に、イスラムの世界を垣間見た様な気がしました。
2019年6月会報アルク城1

四日目、ブハラはシルクロードの大切な十字路として中央アジアやイスラム世界全体の文化的中心地として繁栄。他の場所では「光は天から差し地を照らす」、ブハラでは「光は地から差し天を照らす」とその威光が讃えられたそうです。アルク城、ウルグベク・メドレス、イスマイール・メドレセなど見学しましたが、反面「馬小屋の下に牢屋があり糞尿が下に流れる」、「処刑広場」などを見ると侵略を繰り返したこの地の歴史の凄さを思い知らされました。賑やかなバザールを散策、買い物も楽しみました。

昼食時に突然賑やかな音楽とともにバスケットに入れた赤ちゃんを先頭に若い女性が入ってきました。30人くらいの女性(若い人も年配者もいた)がカラフルな正装でお出迎え、赤ちゃんを親戚にお披露目する祝宴でした。日本のお宮参り(誕生後30日の赤ちゃんのお祝い)を思い出しました。賑やかな笑顔いっぱいの楽しそうな宴でした。私たちもちょっと参加させてもらいました。
       2019年6月会報サマルカンド地図

五日目、シャブリサーブス経由サマルカンドへ。
シャブリサーブスへは草原の丘陵地を4時間のバスの旅でしたが、途中休憩した農家に一人の若い日本人女性が機織りをしていました。見渡す限り草原だけの何も無い地で、機織りにのみ専念している姿は印象深かったです。
シャブリサーブスはこの国の英雄アムール・ティムールの故郷です。ティムールゆかりの建物は残っていますが、街の改造計画で古い民家を壊して新しいビルや公園などの工事の真最中でした。若い女性がカラフルな民族衣装で一輪車で砂を運んでいましたが、ボランティアとのこと、笑い声を立ておしゃべりをしながらの楽しそうな作業風景でした。
2019年6月会報サマルカンド広場12019年6月会報サマルカンド青のドーム1


六日目、サマルカンド。青空にブルーのドームが映える「青の都」、人々が出会う場所、商人が集まる人口密集地の交差点を意味するサマルカンド。アレキサンダー大王を始め征服者たちの侵略と興亡の歴史が繰り返された所です。有名な廟、モスク、ウスグベク天文台などを見学、青のドームが目に焼き付きました。レギスタン広場で一休みしていた私たちは沢山の人々に囲まれました。日本人が珍しいらしく一生懸命話しかけ写真を撮るのです。(何やらスターになったみたいね)と私たちの感想でした。
サマルカンドからウズベク新幹線アフラジャブ号でタシケントへ(3時間半)。スペインのタルゴ特急と同じ時速150キロメートルでした。

七日目、タシケント市内観光。アライスクバザールまで地下鉄に乗りましたが、私たちを見ると中学生たちはさっと席を譲ってくれました。独立広場、バラクハーン神学校などを見学、ナヴォイ・オペラバレー劇場は、第二次世界大戦後ソ連の捕虜になりタシケントに抑留された旧日本兵が強制労働により建てた劇場で、堅牢で、地震の時にもびくともしなかったそうです。ムスリニ墓地の一角にソ連の捕虜となりこの地で亡くなった79名の墓標があり、氏名や出身県が刻まれていました。イスラム教の家族が代々墓守をしており、きれいに清掃されていました。

<後書き>
バスで移動中運河が沢山あるのに気がつきました。帰国後、友人に話したところ、かつて日本の東北地方とほぼ同じ湖面積があったが、旧ソ連時代の無謀な水資源計画のために、半世紀で4分の1までに干上がってしまった。縮小の原因はアラル海北部に注ぐカザフスタンのミルダリア河と、アラル海南部に注ぎ込むウズベキスタンのアムダリア河から綿花や水稲の灌漑用水を沢山造ったためとのことでした。今環境破壊問題として大きく報道されています。

食事はウズベキスタン料理、中央アジアの代表的な料理(フロウ)、ロシア料理(ボルシチ)など多彩で、シルクロードを行き交った人々の名残を感じました。どこに行っても人懐っこい子どもたちや人々の笑顔が満ちていました。昔シルクロードを行き交ったラクダの隊商が想像でき、異文化の世界を垣間見ることができ、いつまでも印象に残る旅でした。 



メニュー
アクセスカウンター
リンク