欅の木3余白削除70 4月会報(2019年) - 欅友会
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欅友会

4月会報(2019年)

   
 
                          2019年4月会報チューリップ1

 
 
 4月会報(2019年)                                                                                                                



  
「ご報告」


①会員総会のご報告

 学習会終了後、3時50分より会員80名が出席して会員総会が開催されました。
 2018年度の事業報告、決算報告及び2019年度の事業計画案、予算案など1号議案から6号議案まで
 全ての議案につき 原案通り可決されました。


②平成31年度欅友会役員の担当職務決定                                    
 
 役員会で下記の通り決定しました。(敬称略)
       
         会  長:中村俊雄                 
         副 会 長:上村享子  川﨑 守  山岸信雄
         編 集 長:大崎尚子
         会  計:山岸信雄
         総  務:(留任)飯沼直躬  池田茂雄  市橋治郎 
               小笠原正文  那須睦子  横塚紘一 
             (新任)中島 巌  橋本 滋  若杉 広
         会計監査:南波貞敏  増田保武
          
         相談役:後藤鍈四郎(東京経済大学理事長)
              岡本英男(東京経済大学学長)
              古屋真宏(国分寺市教育長)
         顧 問:渡邉 尚(元東京経済大学教授 京都大学名誉教授)






◎新会長就任挨拶     中村 俊雄 

2019年4月会報中村新会長


 春光あまねく季節になりましたが、会員の皆様には、益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。この度、増田保武会長の後任をお引き受けしました中村俊雄でございます。伝統のある欅友会の会長職を担う重責をひしひしと感じておりますが、受けました以上は、一所懸命努めさせていただきますので、何卒ご指導ご鞭撻の程お願い申し上げます。

 当会の会員数も昨年に続き400名を超え、全国的にも有数の生涯学習会に発展してきました。講師の先生方から何度も欅友会の会員は素晴らしいとお褒めの言葉もいただいており、学習意欲の高い会員が多くおられるのは当会の誉れであります。欅友会は東京経済大学と国分寺市役所の皆様のご支援、ご協力のお陰で活動ができています。会員の皆様と共に感謝申し上げます。
以上簡単ではございますが、私の就任の挨拶とさせていただきます。    


≪懇親会のご案内≫

                        2019年4月会報管弦楽団1


開催日:令和元年5月25日(土) 15時50分開会(学習会終了後)
   場 所:東京経済大学 葵陵会館1F 大学食堂(TERIA)
   会 費:3,000円……軽いお食事とお飲み物をご用意いたします。
◆ 来賓として、東京経済大学からは理事長、学長、本年度講師、 国分寺市からは市長、
  教育長など、8名の方が出席を予定されています。
◆ 東京経済大学の学生約20名による管弦楽の演奏と、会員の彌吉 久さんの尺八演奏が
  あります。
  4月6日、4月13日 の学習会で会費を添えてお申込下さい。
  その後は、5月15日(水)まで下記の電話・メールで受け付けます。



◎4月の学習会のお知らせ(その1)
  
              ※下記学習会は会報3月号でご案内済みですが、再度ご案内します。
 日 時:4月6日(土)13:30~15:30 (受付開始12:30~)                                     
 会 場:東京経済大学 2号館 B301教室     ※教室変更
 テーマ:「人工知能AIの現状、社会への影響、そしてどう付き合うか」
 講 師:山田 誠二(やまだ せいじ)先生 (国立情報学研究所教授) 
2019年4月会報山田誠二先生

(講師のプロフィール)  
国立情報学研究所教授・総合研究大学院大学教授・東京工業大学特定教授・一般社団法人人工知能学会 前会長・顧問。1989年大阪大学大学院博士課程を終了後、同大学助手、講師、1996年東京工業大学大学助教授を経て200 年より現職。HAI(Human-Agent Interaction)、人工知能、知的ロボット、Webインテリジェンスなどを中心に様々な研究プロジェクトを推進中。著書に『インターネットの知的情報技術』(東京電機大学出版局2003年)、『人口知能の基礎(第2版)オーム社2015年』など。



◎4月の学習会のお知らせ(その2) 

 日 時:4月13日(土)13:30~15:30 (受付開始12:30~)                                       
 会 場:東京経済大学  2号館 B301教室  
 テーマ:「習近平の目指す中国とは」                                    
 講 師:川島 真(かわしま しん)先生 (東京大学大学院総合文化研究科教授) 
2019年4月会報川島真先生

(講師のプロフィール) 
1968年生まれ。1992年東京外国語大学外国語学部中国語学科卒業。1997年東京大学大学院人文社会系研究科アジア文化研究専攻(東洋史学)博士課程単位取得退学。博士(文学)。北海道大学大学院法学研究科助教授、東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻准教授(東アジア国際関係史担当)などを経て現職。 主な著書に『中国近代外交の形成』(名古屋大学出版会2004年)、『近代国家への模索 1894−1925』(シリーズ中国近現代史 岩波新書2010年)、『21世紀の「中華」-習近平中国と東アジア』(中央公論新社2016年)、『中国のフロンティア-揺れ動く境界から考える』(岩波新書2017年)など。


※講義中の出入りは講師・受講者の迷惑になります。早めにご来場ください。





◎3月9日学習会の要旨  

日 時:2019年3月9日(土)13:30~15:30 
会 場:東京経済大学 5号館 E102教室
テーマ:「国木田独歩の『武蔵野』を読む」
講 師:赤坂 憲雄 先生(学習院大学 文学部教授)                              2019年4月赤坂先生3
  
出席者:259名(会員:男性167名、女性63名、
        非会員:男性11名、女性18名、)                                   

【講演要旨】


(1)東北から武蔵野へ

昨年秋、岩波新書より国木田独歩の「武蔵野」という短編をテクストにして「武蔵野をよむ」という本を刊行した。もともとは、岩波書店の「図書」というPR紙に1年半連載していたもの。並行して学習院大学大学院の演習で「武蔵野」を取り上げた。
学生たちの参加と協力のおかげで、自分では納得のいく本ができた。今日はその一端ではあるがご紹介したいと思う。
                           2019年4月会報国木田独歩2

20年間東北で暮らしていた。様々な理由から勤務していた大学を辞めたのは2011年の元旦であった。実は、私の父が福島の出身で、父の人生をたどり直したいと思い、山形の大学から誘われたときに直ぐに応じた。そして、「東北学」を提唱し東北各地を訪ね歩いて、いろいろな方々からお話を伺ってきた。しかし実は、東北に生まれ育った人々の語りには、いわば実感としてうまく掴めないもどかしさが残った。

いずれ東京に戻る、その時には自分の半ばふるさとであるこの「武蔵野」をフィールドとして歩いたり、見たり、聞いたりそして調べてみたいと思っていた。

だから、「ハケ」のところに土地を買い求め家を建てた。武蔵野に囲まれたその場所で「武蔵野学」を始めようと考えていたが、東日本大震災が起こってしばらく東北に引き戻された。その中でも、少しずつ武蔵野に関する本や資料などを買い集め、勉強を始めていた。連載を始めたのが2014年5月、ようやく去年の7月にこの本『武蔵野をよむ』を脱稿した。

(2)渋谷から府中へ、さらに所沢へ

我が家族は、昭和30年、私が2歳の時に、四谷のあたりから府中へ、関東医療少年院の直ぐそばの都営住宅に引っ越してきた。都営住宅ができたときに原野が切り開かれて初めて人が暮らせるようになった場所であることは、のちに確認した。
雑木林と野原と畑の世界は、楽しい遊び場であった。そこはきっと、東京という大都市が開発によって武蔵野をどんどん飲み込んでゆく、その最前線だったのだと思う。

だから、国木田独歩に繋がっていく。昭和30年代の府中というのは東京の周縁部であり、街外れであり郊外である。そうした昭和30年代の府中の記憶を手がかりにして、国木田独歩を読み始めた。
    2019年4月会報甲武鉄道12019年4月会報玉川上水1


独歩の「武蔵野」が明治30年代前半に出てから、若者たちの間には「武蔵野趣味」が大流行した。独歩が明治28年に玉川上水縁を歩いたときも、当時甲武鉄道と呼ばれた中央線が飯田橋から八王子まで、その年の4月に開通していた。その鉄道網というものが明治の若者たちの散歩熱というか「武蔵野趣味」をかき立てて、たくさんの人たちが独歩の「武蔵野」を読んで歩き始めた。

旅人たちが残した歌や随筆とかを眺めてみると、武蔵野は古代・中世はつねに「草」に彩られていた。「いにしえの草のゆかり」といい、ひたすら「草」の武蔵野が語られてきた。なぜ旅人たちは「武蔵野」というと「草」を詠んだのか。一面に草原があったのか。
                   2019年4月会報武蔵野1

江戸時代の新田開発のなかで、玉川上水が引かれ、その分水が武蔵野台地に張り巡らされてくると、初めて新田が開発され村ができてくる。真っ先に必要とされたのは、実は雑木林であった。それは、平野部で暮らす農民たちにとっては、かつて山ぎわに暮らし、薪や炭にする材を採り、山菜やキノコや木の実を採るために利用していた里山と繋がる暮らしを、平野部の新田の村で展開するためには絶対に必要なものだった。雑木林は武蔵野台地に暮らす人々の「里山」であったと思う。
2019年4月会報武蔵野2

独歩は、明治30年前後の渋谷に暮らしていた。その住居跡は今、渋谷のNHKの大きな通りを挟んだ向かいの歩道に立っている標柱によって知られる。独歩の「武蔵野」を読む人たちは、そこにほとんど地名が出てこないことに気づかれたかもしれない。つまり、独歩はよそ者であった。

今、道玄坂とかセンター街と言われているあたりの渋谷であるが、学生たちと何度も歩いているのだが、120年前の独歩がいた武蔵野との変わりように、本当にびっくりさせられる。
                           2019年4月会報渋谷センター街1

急激な都市化や近代化の中で消えていく武蔵野の後ろ姿を、独歩は目撃したのだと思う。自然と生活とが、あるいは独歩の言葉で言うと、「社会の縮図」のようなものがここにはあった。明治30年の渋谷は、独歩にとってはそうした都市と田舎が混ざり合うような、そして様々な悲しい、笑ってしまうような物語がたくさん埋もれている場所であった。それを独歩は『武蔵野』という単行本に納められた他の作品の中でも、繰り返し取り上げている。
2019年4月会報独歩の武蔵野

独歩の「武蔵野」は、武蔵野の葉っぱを落とす「落葉林の美」を、いわば「雑木林」の美しさを発見した書物と言われている。雑木林とは何か、それがまず一つ目の問いになる。
古代から中世の和歌や紀行文の中で、武蔵野はひたすら「草のゆかり」ということで語られている。ところが、独歩は、近代になって渋谷の地で「武蔵野」を発見し、その時の独歩にとっての「武蔵野」は草ではなく、雑木林だった。

では雑木林とは何か。民俗学者の柳田国男は独歩と付き合いのあった人でもあるが、後に「あの雑木林は近世の人作であって、武蔵野の名残といったものではない」と批判している。武蔵野は、放っておくと時間をかけて照葉樹林帯に戻っていく気候風土だと言われている。それを焼いたり伐採したりした後に生まれてくる二次林を、15年くらいのサイクルで更新、利用してきたいわば人為的に管理された森である。
もう一人の民俗学者の宮本常一もまた、武蔵野の風景というのは「単なる自然ではない。人の手によって生み出された自然だ。人が作ってきた自然だ」と言っている。

いずれにしても、独歩の発見した武蔵野は近世になって生まれて、近代の明治30年代に独歩の目の前から消えゆこうとしていた風景であった。

(3)武蔵野は移民の大地である

次に語りたいのは、独歩がよそ者だったことに関わる。

柳田国男も西の方の人で東京に来て、最後には世田ヶ谷の成城に住んで、成城の周りに残っている武蔵野を丹念に散策し記録している。そして宮本常一は、瀬戸内海の周防大島の出身で、そこから東京にきて、転々としながら府中に居を定め、そこを拠点にして武蔵野を散策した。つまり、「武蔵野」について語ってきた人たちは、だれもがよそ者である、移民であったと言えるのかもしれない。これはとても大切な手がかりになるのかもしれない、と考え始めている。

「武蔵野は移民の大地である」という論文を、『東京人』という雑誌の2018年11月号に書いた。独歩も柳田も宮本もみんなよそ者だった。わたしの父もまた、福島から流れ流れてきたよそ者であり移民だった。
東京、とりわけ郊外に暮らす人たちの大半は、地方出身者かその子供たちで、もしこの土地から「武蔵野学」という地域学が生まれてくるとしたら、その主役はよそ者であり、移住者であり、移民である。これは私にとって、大切な気づきであった。
「武蔵野学というものがこれから造られていくとしたら、その主役はよそ者である」と書いた。

故郷を追われた人々の眼差しを抱え込んだ東北というのが、私の中でもう一度語られるべきなのかもしれない。故郷に生きることの自明性とか幸福といったものを疑わない。それゆえに、故郷を持つことの残酷さに気づかない。そういう地域学は、武蔵野では育っていかないだろう。暗示的にしかいえないが、そんなことを考えている。

「汝の足元を深く掘れ。そこに泉あり。」沖縄学を創った伊波普猷が座右の銘にしていた言葉である。地域学を支える、励ましのメッセージだと思ってきたが、ふと思ったのは、そこで呼びかけられている「汝」の中にはその土地に生まれ育った人だけではなく、よその土地から移ってきた人たち、移民たちが含まれているのかもしれない。私にとっては、「土地に根ざすことのない民俗学は可能か」といった問いかけにも繋がっていくような気がする。

(4)あらためて武蔵野とは何か

もしかしたら、今、武蔵野は改めて発見されようとしているのかもしれない。たとえば、独歩の「武蔵野」の冒頭には、小手指とか久米川の名前が出てきて、今はそのあたりに武蔵野の面影がもっとも色濃く残っているかもしれないという風に、独歩は書いている。

その120年後に生きる我々は気づこうとしている、雑木林が豊かに残っていて、とりわけ狭山丘陵の周辺は、まさに武蔵野の原風景が残っている土地なのではないか、と。武蔵野は今、北に向けて拡張しようとしている。だから、明治30年の渋谷、昭和30年の府中、平成30年の所沢を繋ぐような知のラインが可能になるのかもしれない。

「武蔵野とは何か」と言われたときに、ひと言ではとても答えられない。武蔵野が指しているエリアはどこか。これも人によって違っている。その広がり方を曖昧にして、国名としての「武蔵」とは関係なく、広大な武蔵野台地を包摂するようなエリアとして考えてみたいと思っている。

武蔵野は、近世以来、巨大な人口を擁する江戸や東京に対して、人や水や食料や燃料を供給する「郊外」であり続けてきた。むしろ江戸、東京こそが、武蔵野に抱かれた大都市だったのではないか。数万年を遡る昔から、旧石器、縄文、弥生へと人々が、とりわけ水の豊かな川筋とかに暮らしの場を築いていた。そして、中世、「草の武蔵野」が発見され開発とともに生まれてきた雑木林が、近代になって武蔵野の原風景の一つとして発見される。いわば武蔵野は、それぞれの時代ごとに発見されてきたのかもしれない。

繰り返すが「江戸は、東京は、武蔵野に抱かれた大都市であった」といった読み直しが可能ではないかと思い始めている。
「武蔵野学」は、色々なところに芽生え始めているが、まだ形になっていない。その「武蔵野学」がゆっくりと育っていく。今日は、独歩の「武蔵野」を手がかりにその一端をお話しさせていただいた。
           2019年4月赤坂先生風景2

【質疑応答】

Q1:ネットで独歩の石碑について調べたら、なぜか武蔵境駅の北の方にある桜橋のところにあった。また、三鷹の駅の北口にあるとあったが、独歩にとっては、桜橋とか三鷹は、何か特別なものであったのか。

A1:話の中でも触れたが、明治28年8月11日と26日の2度、信子さんという若い女性と桜橋のあたりをデートしている。これは「武蔵野」の6章に書かれているが、この章にはとても幸福な匂いがする場所として描かれており、そこからとった言葉が石碑に刻まれている。「武蔵野」全体の流れとは少し違っているが、あの章があることによって、「武蔵野」は水と武蔵野というテーマに繋がり、江戸というものを考える非常に大切な手がかりを与えてくれると思っている。渋谷の周りだけではなく、玉川上水が挿入されることによって、また違う武蔵野の原風景のようなものが描かれる端緒になったと思う。

Q2:私は、もともと武蔵村山の岸という狭山丘陵で言えば南側の真ん中より西側に寄るところの出であるが、前はそこでは稲が採れた。今は公園みたいになっているが、昔はそこから流れ出る水で農機具なんかを洗っていた。今行けばもう水は無くなってしまった。先生のお話を聞いてなるほどと考えていた。

A2:武蔵野台地の中で水田風景というのは、ほとんどが川そばである。武蔵野台地の中では、畑作の方が原風景として広がっていたのかと思う。人口は右肩下がりの時代に入っていく。自然とか風景も大きく変り、どこにでも狸がいるようなそういうものになっていく。遠ざかっていた自然がどんどん我々の足元に近づいてきている。唐突ではあるが、人口問題とは、そういうことを意味していると思う。それをマイナスと捉えるのか、あるいは新しく生まれてきた生態環境と、うまく付き合っていくことができるのか、という問いでもあるように思う。武蔵野はそういう最前線になっていく、と勝手に思っている。残念ながらこの目でみることはできないと思うが。

Q3:地理的な範囲の話であるが、武蔵野の資源の一つとして、江戸時代の人糞が大きな資源だったかと思う。当時も水運、物流と100万都市の人糞があってこそ、大きな農業集積ができていると思う。西の方は多摩川が一つの論点といわれたが、東の方は荒川ではないかと考えている、このことについてのお考えをお聞かせ願いたい。

A3:私は2歳まで四谷に住んでいたらしいが、その時代の四谷には練馬の方から荷車に野菜を積んで運んできて、その対価として人糞を集めて載せて帰ったようだ。武蔵野の農業を支えた人糞の問題は、たいへん重要だと思う。そして荒川といういわば「東の武蔵野」が重要なのは、あきらかにご指摘の通りだと思う。「西の武蔵野」で掘り起こされたことを再確認しながら「東の武蔵野」を読み直していくと、江戸という都市がどのような、東西南北の武蔵野によって支えられていたのかということが見えてきそうだなと思う。(文責:橋本 滋)











◎3月16日学習会の要旨  

日 時:2019年3月16日(土)13:30~15:30 
会 場:東京経済大学 5号館 E102教室
テーマ:「日本経済の論点:金融・財政政策を
          基軸として」
講 師:齋藤 誠 先生
(一橋大学大学院 経済学研究科教授:
4月より名古屋大学) 
2019年4月会報斎藤先生1
                               
出席者:250名(会員:男性188名、女性56名、
        非会員:男性5名、女性1名) 
                                  
【講演要旨】


(1)
ケインズは1946年の亡くなる直前に「近頃私は、現代の経済学者諸氏が古典派の教えの中には非常に重要ないくつかの不朽の真理が含まれていることを思い起こしてくれたら、と感じている……」と言い残している。彼は、古典派の長期的均衡状態の経済学にチャレンジして大恐慌下の経済を救い、経済に政策的に働きかけてやるべきだと言った人のように見られているが、そのケインズが亡くなる直前にこんなことを言っていた。かなり象徴的だ。「古典派の教え」は短い期間で見るとあまり当らないが、長い目で見ると「なるようにしかならない」と言うメッセージを出してくれている。「なるようにしかならない」のに何か違うことができると思い始めると、われわれ人間が、天につばをするようなことになる。
                          2019年4月会報ケインズ1

いま私たちが日本の政策を司っている人たちを見ると、少し思い上がりが過ぎるのではないか思うことが多い。日銀はマイナス金利政策を2016年2月に実施し、同時にイールド・カーブ・コントロールに働きかけて長期金利をゼロに持って行く政策を打ち出した。金融部門を知悉する者からするとびっくりするような政策なので、政策立案者に「政策でやれる能力を超えているのでは」と聴くと、彼らは全然問題にしていない。彼らは、もしかしたら、社会に対する謙虚さを失ってきているのではないか。心配だ。

(2)「戦後日本経済の歩み」

2019年4月会報日本のGDP

戦後、日本の名目GDP(国内総生産)は1955年のゼロに近いところから始まって、最近では500兆円を超えるまでになった。ただし1990年代の頭からは500兆円レベルで横ばい、日本経済は失われた10年とか20年とか言われている。だが実質GDPを見ると、速度は緩やかながらもそこそこに成長を続けていることが分かる(成長率は低いが)。ただ豊かになった実感がない。
2019年4月会報実質GDP

実質GDPが増えるのは、皆さんの最終所得の正味の実質で改善されるということ。日本のように交易(貿易)で生きている国では、原材料等を輸入し、それで作った物を輸出して、そのサヤで儲けている。できるだけ安い原材料を輸入し、できるだけ良いものを作り、できるだけ高い値段で売って、所得を増やして豊かにする。われわれが技術を革新して付加価値をつけた、世界の人たちが欲しがる製品をダンピングしないで売れば、われわれの生活が豊かになる。
皆さんの中に「まだまだ成長できるはず」「まだまだ豊かになれるはずだ」「そうならないのは政策が悪いからだ」などと考えている人がおられるかもしれませんが、本当にそうなのか。

(3)「日本経済の実力」


日本経済の正味の実力は国内で頑張ったと言うだけではなく、海外環境との相互依存関係で決まる。その実力を示す指標が交易条件で、次の式で定義される。
2019年4月会報交易条件推移

交易条件=(輸出物価(円建て))/(輸入物価(円建て))

この比率の上昇している時が日本経済の実力の高い時、低下している時が実力の低迷している時になる。円高でも競争力があって、高付加価値製品を高価格で輸出できる場合は分子が大きくなり、一方で、円高の恩恵を受けて、原油や天然ガスその他の原材料などが安く輸入できて分母が小さくなるので、交易条件が上がる。

歴史的に見ると、1960年代の高度成長の時代は日本製品が世界で人気があり、輸入原材料の価格も安かったので、交易条件は非常に高かった。しかしながら73年と78年の2つのショックで石油価格が上がり、その他の原材料価格も上がって日本経済の実力は下がっていった。80年代に入ると、資源国が経済問題を抱えて原材料価格をダンピングするようになり、また85年のプラザ合意で円高に調整された事情もあって、80年代の後半には交易条件が好転する。

だが90年代後半から「失われた20年」の時代になって、また下がりはじめる。そして21世紀には東アジア諸国の経済成長が始まり、彼らの製品競争力も上がり、日本の交易条件は悪化した。国内で良い物を作っていても、国際的な場面ではどうしても安くしなければならなくなるので、自分たちが生産してきた付加価値からの取り分も少なくなる。

(4)
円の正味の実力(実質有効為替レート)は、90年代半ばまでは上がって、逆に米ドルは下がっている。円の力が強くなりつつ成長してきた時代であったが、90年代半ばから21世紀に入って円の実力は下がった。特に、小泉政権下の2002年から2007年の輸出主導の景気回復期に円の実力はどんどん下がり、リーマン・ショック後の第2次安倍政権になってからも下がり続け、正味の実力は80年代前半の水準と変わらなくなってしまった。

円安になると、輸出は伸びるが正味の所得が入ってこなくて豊かさを感じない。豊かさの実感がないのは、円の実力や交易条件とかを改善していく中での経済成長ではなかったからだ。政策が良いとか悪いとか、経営者が不甲斐ないとかのレベルではない。そういう時に、「豊かになっていない」、「失われた20年を返してくれ」といった発想になり勝ちだが、そういう発想自体が一層自分たちの可能性を縛ってしまう。厳しいけれども、客観的に向き合って、経済政策の中味を考えていけば良い。

(5)「日本の財政」

都合の悪いことを政策のせいにし、新たな政策をとるから人をくれというようなことを何度も繰り返してきた結果がワニの口の形をした「異形の姿」の財政状況になってしまった。

90年代の半ば以降、日本経済が厳しい環境になってなかなか豊かさの実感が得にくくなり、さまざまな不満が出て来てどうにかしてほしいという国民の願いが大きくなる。政府はそれに応えて何らかの対応をし、結果として国債の発行残高が増大し、今では1,000兆円を超えている。仮にこの1,000兆円を大雑把に1億人で負担すると1人当りは1,000万円、現在の名目GDPは500兆円レベルにあるから、国の借金は名目GDPの2倍(200%)ということになる。
2019年4月会報危機の度に膨らむ国債残高

振り返って見ると、国債や地方債など公債残高の増加はいろいろな意味の「危機」という言葉に結びつけられていることが分かる。95年には阪神淡路大震災があり、97~98年に金融危機、2008年にリーマン・ショック、2011年には東日本大震災があった。また「失われた20年」はデフレ危機とも言われている。

こうした危機時に国の借金が増える。なぜか。危機対応そのものに莫大なお金が必要、危機で不況になると景気対策が必要、さらに危機が口実となって増税や歳出削減の実施が先延ばしされる。97年4月に消費税増税を実施して5%になったが、次の8%になるまでに時間が掛り、2014年4月まで実施できなかった。また、経済が成長していると税収が伸びるので、増税よりも経済成長が大切なんだというようなこと(錯覚)もある。こうして、過去20年間で人々は「危機からの救済」を国家に益々求めるようになり、国の借金はどんどん膨らんだ。

(6)「東日本大震災における財政対応」

東日本大震災における財政対応は極端に大きかった。この震災復興は経済成長政策に位置づけられ「東北の復興なくして日本経済の成長なし」とか「福島の復興なくして日本経済の成長なし」とか言って、日本経済を成長させようとしたが、無責任な財政対応になってしまった。このさまざまな無駄は語り尽くせない。極端にそうだったのが、東日本大震災の時の私的な生活環境への公的助成(住宅再建に対する助成、原発事故に対する損害賠償の拡大など)であった。

東日本大震災と阪神淡路大震災の規模は図表のようになる。東日本大震災は、死者行方不明者の数では津波被害差もあって、確かに「阪神淡路」の3倍以上の数になるが、被災者数では「阪神淡路」の方が多く、全壊住家棟数ではほぼ同じ。但し棟数は集合住宅を1棟と数えるのでマンションなどが多かった「阪神淡路」の方が世帯数も多く全壊住家棟数に対する被災者数は多い。
                     2019年4月会報大地震の被害比較表

「東日本」の復興予算は当初見積19兆円(最終的に25兆円)。被災者一人当り復興予算額は「阪神淡路」は580万円だったが「東日本」は、原発対応分を含めないで3,000万円以上。この差は住宅再建に対する考え方が大きく変わったことによる。「阪神淡路」の際は「個人財産には公的支援をしない」が原則だったが、「東日本」では積極的な個人財産への支援が行われることになった。

原発事故の損害賠償も政府推計で、賠償8兆円、廃炉8兆円、除染6兆円、計22兆円、その内、除染の方は、2兆円を国が出し、残りは機構が保有する株式などの売却等で捻出するとなっており、賠償と廃炉に関しては「汚染者負担原則」で東電負担となっている。しかし、この負担額は東電の負担能力を大きく上回っている。

当然、東電は債務者になるが、その債務額は、賠償資金も、廃炉費用も、東電の財務諸表のどこにも計上されていない(前者は「エネルギー特別会計」に、後者は「原子力損害賠償廃炉機構の勘定」に計上)。これは国民負担のカモフラージュなのではないか、という疑念も生ずるところだが、これに関して「おかしい」とか「けしからん」とかいう人はあまりいない(知る限りで弁護士会だけ)。野党の人たちも言わない。借金が膨らむ原因の一端ともなってきた。要するに、東電には支払い能力がないから国民負担について議論しようと言い出したら、納税者から大反発を食らう。そこで、東電が負担すると言う建前だけで合意して、うやむやにしてしまう。こういう形で借金がどんどん増えていく。

(7)
こうした借金の増え方は過去にもあった。日本では第二次世界大戦のさなかの1944年に借金が経済規模の2倍になっている。ほかにも19世紀の英国で2倍になったことがある。
返さなくてよい公的債務はない。何らかの形で返す。自主的に返済されなければ、物価高騰という形で返済が強いられる。国債が返済(償還)されないとどうなるか。仮に人々が納税を拒否した結果、日銀が保有する国債の半分が返済されなかったとすると、日銀が、国債の購入に見合って発行した紙幣の価値が半減して物価は2倍になる。物価が2倍になると、人々の保有する金融資産の価値は半分に目減りする。結局人々は納税しない「つけ」を金融資産価値の目減りの形で支払うことになる。

借金の返済方法には2つの選択肢がある。
物価安定、低金利、経済安定を維持して、半世紀から1世紀という長い時間を掛けて少しずつ税金で「自主的に」返済する。
物価高騰、高金利、経済混乱で、短期的、「強制的に」返済させられる形をとる。

戦後、日本は選択肢②をとって短期決戦で切り抜けた。19世紀と20世紀のイギリスは、選択肢①の持久戦により、少しずつ70年から100年位かけて税収で返済していった(国債残高/国民所得を1818年の210%から1891年の43%にまで下げた)。

(8)
日本が①の戦略をとった場合はどうなるか(持久戦で1世紀かけて1,000兆円を返す戦略)。大雑把に言えば、物価を安定させ、金利は低いままで、消費税率を20%位まで上げていった場合に、ようやく100年で返済出来る。返済に100年掛けるのは例外的ではない。1720年に発行されたイギリスの国債は2014年に返済され、1945年にイギリスがアメリカから借りた金利2%のローンは2006年に完済された。国の借金が50年とか100年とかの単位で返済されるのはそんなに珍しいことではない。

なぜ税金で返すのが良いか。1つは、成長して税収を上げるのは難しくなってきている。2つは、物価上昇で帳尻をとろうとすると短期決戦で物価高騰になってしまい、経済が混乱する。そして、何よりも危機に備えて借金が出来る位の余裕(余力)を持つためにも返済できるときに少しでも返しておきたい。いまは大丈夫でも、仮に首都直下型地震のような大災害が起きて、莫大なお金が必要になった時に余力はあった方が良い。  

全てが危機のせいだ、対応が悪いのは政策のせいだ、どんどんお金をつぎ込め、と言うことではなくて、日本の経済が成長経済から成熟経済に移行したという意識がきっちりあることが肝要だ。長い目で見て歴史的な出来事に関するメモリーを正確に持っておくこと、これは自分の短い人生経験を振りかざす、というのとはまったく違う。そして、もう少し豊かさの実感というのを互いに語り合って見るのが重要なのではないか、と僕は思っています。
                            2019年4月会報一ツ橋大学

これは、その意味で、一橋大学の学生に語ったものですが、この場でそれを繰り返させていただいて結びの言葉にします。
「よき有権者として、よき市民として」
 ・具体的な数字を頭に入れておこう。
 ・基本的な理屈を理解しておこう(魔法の杖はないんだよね)。
 ・歴史のメモリーを大切にして、現在の経験を相対化しよう。

ありがとうございました。

2019年4月会報斎藤先生4

【質疑応答】(要点のみ)

Q1:プライマリーバランスについて、政府は2025年までに黒字化させると言ってはいるが、それでも借金は残る。これを税金で返すとなると、完済はかなり先になるのではないか。

A1:簡単でないことは承知している。税金だけではなく、歳出削減という大ナタも必要だが簡単ではない。消費税もこの10月には10%に上がるだろうが、そこまで上がればもう上げなくても良いという感じになるだろう。となれば、「1世紀という単位でなければ返済はできない」という相場感を皆が共有するということが大事。100年の計ですから100年の計で考えたらいろいろな形で答えが出てきて合意形成されるのではないかと思ってます。

Q2:「豊かさ」の話になるが、今後、GDPにIT社会で起こっている新しいサービスとか付加価値とかを織り込んでいった場合には、200%という数字は下がってくると思うし、ケインズは「孫の時代には仕事がなくなる」とも言っていたが、これからの情報社会における付加価値をどう考えたら良いのか教えていただきたい。

A2:すごく難しい問題で、おっしゃったように、新しい概念で行くとGDPはもっと大きくなる。それはその通りだが、それが幾らになるかは、私自身が数字を持っていないので分かりません。ただ、アメリカの経済学者のロバート・ゴードンは、1870年からの1世紀にわたるアメリカ人の生活面での改善度合について調べて本にしており、そこでは、自動車とか、電化製品とか、水道や下水道などのインフラとかの価値(効果)が、アメリカのGDPに過小に評価されていると言ってます。

しかし、彼はITに関しては否定的で、彼の理論では、ITの価値自体は大きいが、われわれが社会で経験してきた、さまざまなイノベーションが担ってきた見えざる付加価値に比べて、それほど大きくないと言ってます。GDPは、新しい技術によるわれわれの豊かさへの貢献を、うまく計ってこれなかった。だからといってITはすごい、GDPはもっと大きくなる、借金は200%から100%になる、というような比較はしたくない。とは言えGDPが拾えなかったそういう効果も押えておかないといけないのかな、とは思います。

Q3:60年償還ルールについてお伺いしたい。一般会計では国債比率は20%位で大丈夫かと思うが、償還ルールで借換えを繰り返している。これは持続可能な仕組みなのか。

A3:それ自体は、返済計画がちゃんとあれば大丈夫と言える。ただ、このままプライマリーバランスが赤字の状態で、いまのままだと、これから先に何か(危機や混乱が)あると持続性は保てなくなる。だからいろいろ考えていかなければならないと思います。

文責:横塚紘一 なお紙面の都合で講演冒頭の「原発事故」の話は割愛させていただきました。)




◎会員の声

「父と口話法」
                           上村 享(みち)子(こ)

                                 2019年4月会報口話法1

皆さんは“口話法”を知っていますか。“口話法”とは話し手の口の動きから言葉を読んで(読唇法)、何を言っているかを理解して、口で話をすることです。                     

今では耳の不自由な方は手話を使っていますし、テレビ等では手話通訳も見られます。でも、少し前までは、聾学校では手話ではなく、“口話法”が用いられていました。父は1924年、日本に口話法が入ってきた時に、その指導法を習得し、教員生活のほとんどを聾教育に携わってきました。      
                             
戦前は障害のある子どもは就学猶予制度があったので、教育熱心な家庭の子供しか学校教育を受けられなかったのです。聾学校では、親も教室に入り、一緒に授業を受け、家に帰っても習ったことを反復練習したそうです。社会に出る頃には、読唇法を使って普通に話ができるようになったのです。        

2011年7月29日、手話を言語として認める法律ができました。みんなが学校に行けるようになり、生徒数も増え“口話法”を教えられる先生も少なくなりました。                     

父はその功績により、死後になりますが、正五位勲四等瑞宝章を頂きました。現在は手話が当たり前の社会になりましたが、父が携わっていた“口話法”があったことをみなさんに知っていただきたく思い、一文をしたためました。       





2019年(平成31年)学習会スケジュール
2019年4月会報スケジュール2


★スケジュールは事情により変更、中止する場合があります。予めご了承ください。
○学習場所 東京経済大学の教室                                
○各学習日とも土曜日 13:30~15:30 (受付開始は12:30より)
○下記の学習会は映画上映のため終了時間が1時間遅くなります。
★ 7月20日(映画を読む会)  13:30~16:30 




(編集後記)
欅友会では今春、芦川洋さん、天野肇さん、江原政智さん、三宅良一さん、八代はるよさんが役員を退かれました。その多くが20年近く、あるいはそれ以上も会のために尽力されました。役員会から一度に5名もの方が抜けた穴を埋めることは容易ではありませんが、退任された方々の“会に寄せる心”を感じ取りつつ、活動に携わっていきたいと思います。皆様、長い間お世話になりました。さて4月の学習会も2週連続で開催します。東経大キャンパスでは欅が芽吹き、春はたけなわ、テーマも講師も最高です。誘い合わせてご出席ください。(編集長:大崎尚子)
     
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