欅の木3余白削除70 会員の声(2018年11月) - 欅友会
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辻邦生と国分寺
                          
                            小川 紘満


「国分寺に縁(ゆかり)のある作家は?」と問われて、辻邦生の名を思い浮かべる人は何人いるでしょうか。辻邦生は学習院大学フランス文学科で教鞭をとる傍ら「安土往還記」、「背教者ユリアヌス」、「西行花伝」といった小説のほかに評論やエッセーなどの創作活動に名を残していることでもよく知られています。しかし、1999年(平成11)に亡くなってからすでに18年が経ち、辻邦生の名前も多くの作品も今の若い人たちにはなじみがないようにも感じられます。
2018年11月会報(辻邦夫)
 (辻邦生 38歳)
ところで、辻邦生は1953年(昭和28)6月に後藤佐保子と結婚して、当時の国分寺町に新居を構えました。1956年に学習院大学のフランス文学科講師、1957年にフランスへ留学、4年後の1961年に帰国、再び学習院大学に勤務、初の小説「城」に続いて「回廊にて」、「夏の砦」などを発表して、1971年(昭46)まで国分寺を生活の拠点としていました。

当時の住所は国分寺町2405番地、国分寺駅南口から南西方向に延びる多喜窪通りを下り、野川を越えて上り坂に掛かる途中の左側の付近です。その後創作活動が進むにつれて資料も増えて家が手狭になったため港区高輪へ転居しました。転居後も国分寺の家はそのまま残し、一時は書庫にする計画もあったようですが書庫は断念、また小さな公園として「辻邦生が小説を書き始めた場所」の記念にしたいという希望も結局は叶いませんでした。これらは妻の辻佐保子著『辻邦生のために』(新潮社)に書かれています。

私が知る限り国分寺を舞台にした小説は見当たりませんが、エッセーなどには国分寺での生活や国分寺周辺および武蔵野に因んだ作品を残しています。たとえば、次のようなものがあります。

〇『のちの思いに』(日本経済新聞社)
辻邦生の大学時代、パリ留学、そして作家として出発するまでの自伝的回想録です。127頁「リスちゃんの小屋(リスちゃんは佐保子夫人のこと)」では、国分寺町で始めた新婚生活の様子が書かれています。137頁「信州へ」では、国分寺駅北口から(当時はまだ南口はなかった)自宅までの途中の花沢橋からの眺めや当時の国分寺小学校周辺の様子が記されています。また、226頁「帰国して」ではフランスから帰国後の自宅周辺の様子が、特に湧水の流れがドブ川のようだったという表現は意外です。

〇『風雅集』(世界文化社)
日本的なモノのエッセー集です。「東歌 名もなき人々の情熱」では武蔵国分寺跡に由来する国分寺に住み始めたことをきっかけに、万葉集の東歌に詠まれた縁(ゆかり)の地を巡る様子が記されています。
                         2018年11月会報(武蔵国分寺跡1)

〇『「たえず書く人」辻邦生と暮らして』辻佐保子著(中央公論新社)
新潮社から刊行された辻邦生全集(全20巻)の月報のために執筆されたものです。第十七章「『美しい夏の行方』ほか旅のエッセイ」には次のような記述があります。「..無意識のうちに甲州への郷愁があり、それに続いて信州の山々に憧れ、松本の旧制高校を選んだことになる。結婚当時に住んでいた国分寺では、中央線の線路をまたぐ鉄橋(花沢橋のこと)にたたずんで、まっすぐ続く線路の先の遠い山波(ママ)をいつも眺めていた。(中略)国分寺のこの鉄橋の傍らにある燃料店には白樺の薪束がいつも積んであったので、店主が信州の出身に違いないと推理し、稲子の実家を紹介されたのである。小海線にのりかえて松原湖に着き、夏の日々を過ごした八ヶ岳山麓のこの村は、何度も繰り返すように『夏の砦』誕生の〈聖地〉となった。」
2018年11月会報(花沢橋1)

辻邦生と妻佐保子の結婚生活は約46年間、そのうち約18年間を国分寺の住民として過ごしています。その国分寺の家は、建築を専攻した辻邦生の弟辻愛也(よしや)氏が設計したもので、玄関がなく窓から出入りしたと言われています。1999年に邦生が亡くなり、2011年には佐保子夫人も逝去され、今では当時の面影を偲ぶものは残っておりません。ただ、2013年に弟愛也(よしや)氏が国分寺の家の模型を製作しており、現在は学習院大学史料館に収蔵されているようです。(学習院大学史料館パンフレットより)

辻邦生の諸資料は生前から学習院大学史料館に寄託されており、没後5年目の2004年に「辻邦生展」が開催されました。2015年以降は毎年邦生の命日(7月29日)の前後に展覧会が開催されています。今年(2018年)は歴史小説『背教者ユリアヌス』をテーマに、6月9日に講演会、7月18日から8月11日までは展覧会が開催され、多くの辻邦生ファンが学習院大学を訪れたようです。私も講演会と展覧会両方に参加して、『背教者ユリアヌス』誕生の背景や辻邦生の創作努力の跡を確認してきました。展示品の中には国分寺に住んでいた頃のノートなどもあって、ほかの人では気づかない国分寺縁(ゆかり)の手がかりも見つけることができました。                                                                     (終)



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