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11月会報(2018年)

                        
                           2018年11月会報菊1
                                 

11月会報(2018年)







「お願いとお知らせ」



①会員更新手続きのお願い

2019年度会費の納付期限は12月25日(火)です。来年1月12日の第1回学習会までに会員を確定させる必要がありますので、未納付の方は早めに郵便局よりお払い込みください

事務簡略化のため会費受領のご連絡をしておりません。会費の納付済・未納付を確認したい方は、
8ページの連絡先にメール、電話、ファックスでお問い合わせください。なお、期限を過ぎてのお
申し込みはお受けできません。会員でない方は1回500円で受講できます。

○専用の払込取扱票を10月にお送りしております。専用の払込取扱票を紛失された方は、郵便局
の払込取扱票で下の口座にお払い込みください。
◆口座記号…00160-0   ◆口座番号…265588   ◆加入者名…欅友会

※通信欄に①住所・氏名・電話番号、②「性別・年齢」、③会報のメール配信をご希望の方は、メールアドレスをお書き添え下さい。なお、電話番号、メールアドレスに変更のない方はお書きいただかなくても結構です。
※会費は会報のメール配信希望の方は2,500円、郵送希望の方は3,000円です。

○新たに入会を希望される方がいらっしゃいましたら、12月15日(土)までに下記の担当者までお知らせください。専用の払込取扱票をお送りします。
   ◆受付担当: 増田 保武、 中村 俊雄




②大倉喜八郎記念学術芸術振興会 学術シンポジウム
1900年・英国ケンブリッジ〈トリニティ・カレッジ〉の大倉喜七郎

1900年(明治33年)は大倉喜八郎が現在の東京経済大学となる大倉商業学校を開設した年であり、
息子の喜七郎を英国ケンブリッジの名門校である<トリニティ・カレッジ>に留学のため渡英させた
記念すべき年であった。栄えある名門校の扉をたたいた日本人留学生のパイオニア大倉喜七郎のカレ
ッジ時代の足跡をたどる。

【特別ゲスト】 小山 騰(のぼる)(元ケンブリッジ大学図書館日本部長)
【コメンテーター】 村上 勝彦 (元東京経済大学学長)
【司会・コーディネート】 長谷川倫子(東京経済大学コミュニケーション学部教授)

日  時:11月24日(土) 開演15:00(開場14:00)
会場:東京経済大学 大倉喜八郎 進一層館(フォワードホール)
参加費:無料
申込締切:2018年11月19日(月)必着
定 員:先着300名
申込先:電話では受け付けておりません。FAX、郵便、ウエブサイトからお申し込み
ください。
東京経済大学広報課:185-8502 国分寺市南町1-7-34
●FAX・郵送の場合、紙面上部に「英国ケンブリッジの大倉喜七郎シンポジウム参加希望」、続いて住所、氏名、電話番号、FAX番号、参加人員数を書いて送信・郵送してください。申込順に予約券が発送されます。





◎岡谷、諏訪を訪問……野外学習会
                                         
                                 山岸 信雄
 

10月23日(火)、会員とその家族・友人93名を乗せた2台のバスは、午前7時11分、国分寺駅南口を出発し、秋の中央高速を西進して岡谷・諏訪を目指した。1号車は赤と青、2号車は黄と緑の合計4グループに分かれての学習会だ。途中の諏訪湖サービスエリアでは、それまでの曇天がすっかり晴れ上がり、豊かな水を湛える諏訪湖の穏やかな輝きに心を踊らされた。
2018年11月会報野外学習会(蚕糸博物館2)
 
最初の訪問先は岡谷蚕糸博物館。昭和39年に開館し、現在は株式会社宮坂製糸所を併設している。世界遺産で国宝の富岡製糸場に明治5年に導入され、国内で唯一現存しているフランス式繰糸機やこの地域で開発された諏訪式繰糸機、それをオートメーション化した自動繰糸機などが展示されており、小規模な繰糸機による作業から次第に大きな繰糸工場での生産へと変貌し、我が国が世界一の生糸生産国に発展していった歴史を振り返った。
                        2018年11月会報野外学習会(蚕糸博物館3)

宮坂製糸所では、諏訪式繰糸機や上州式繰糸機による伝統的な方法での生糸生産の現場やマルチ繰糸機が世界一細い生糸を作り出す模様を見学することができた。製糸工場と言うと、長時間労働、低賃金、劣悪な食事……等々、「あゝ野麦峠」や「女工哀史」を想起していたが、女工は読み・書き・そろばんや裁縫などの教育を受けることができ、成績に応じて賃金を受け取り、「百円あれば家が建つ」と言われた当時、熟練者の中には年間百円以上を稼ぐ「百円工女」もいたという学芸員の説明に認識を新たにした。女工の苦悩は技量の未熟さを嘆くものが主で、野麦峠に立って郷里の飛騨を見下ろした女工は、錦を飾る想いだったのだろう。
 
次の諏訪大社は、上社が本宮と前宮、下社が春宮と秋宮の二社四宮からなり、我々は下社の8月から1月まで御霊代が鎮座している秋宮に参拝した。紅葉で色付き出した巨樹が鬱蒼とする森の中、四隅に建てられた御柱が囲む社殿は荘厳で、永い歴史を感じさせる。特段に太いしめ縄が重厚な雰囲気を醸し出す。諏訪明神は現在では、生命の根源・生活の源を守る神として崇められている。会員の皆さまに御利益がありますように!
 
昼食は、おぎのや諏訪店で「峠の釜めし」。益子焼の土釜に鶏肉、筍水煮、牛蒡、椎茸、栗甘露煮、杏甘煮、うずらの卵、紅生姜、グリンピースなど山の幸が詰まった釜めし。諏訪店は製造工場に隣接しており、できたてのほかほか状態で完食した一同大いに満足。
2018年11月会報峠の釜めし
 
午後は、諏訪湖畔の北澤美術館。諏訪市出身でバルブ制作会社キッツの創業者、故北澤利男が設立した美術館だ。フランスの19世紀末のアール・ヌーヴォーを代表するガラス工芸家エミール・ガレの「ひとよ茸ランプ」をはじめ、ドーム兄弟の繊細で可憐な味わいのあるガラス製品やアール・デコの巨匠ルネ・ラリックの透明なガラスの質感を生かした作品等千点を所蔵している。このうち、キク、スイレン、アヤメ、フジなど日本の花をテーマとする作品百点余が「-ガレ、ドーム、ラリックに咲く日本の花―」として特別展示されており、常設の「ひとよ茸ランプ」に加えて、華麗な花を咲かせたガラス芸術を存分に楽しむことができた。また、2階には東山魁夷らの日本画の展示があり、魁夷を研究するボランティア学芸員の詳細な解説に、魁夷への熱い想いを感じさせられた。
                     2018年11月会報(北澤美術館)
 
最後は、選択で諏訪湖間欠泉センター周辺の散策か、諏訪の地酒「眞澄」の試飲だ。「眞澄」の試飲には24名が参加し、320円で「純米吟醸辛口生一本」、「山廃純米吟醸ひやおろし」、「純米大吟醸山花」など5種類の「眞澄」を味わった。純米酒が喉を越えて食道を走る心地良さが堪らない。ここでしか飲めない酒もあり、この試飲を最大の目的としていた人もいたとか……15分間ほどのお楽しみだったが、皆満足感に溢れ、土産の「眞澄」を手にしていた。
2018年11月会報宮坂酒造   2018年11月会報野外学習会(間歇泉1)

 
定刻の午後4時に北澤美術館駐車場を出発し、中央高速の車中から東の空に上った左側がやや欠けた「十四夜の月」を眺めながら、一路、国分寺への帰路を進み、渋滞に巻き込まれることもなく、予定より20分早く午後6時40分、93名を乗せた2台のバスは国分寺駅南口に到着した。
2018年11月会報野外学習会(諏訪大社2)
   2018年11月会報野外学習会(諏訪大社1)
 





◎会員の声





辻邦生と国分寺
                          
                            小川 紘満


「国分寺に縁(ゆかり)のある作家は?」と問われて、辻邦生の名を思い浮かべる人は何人いるでしょうか。辻邦生は学習院大学フランス文学科で教鞭をとる傍ら「安土往還記」、「背教者ユリアヌス」、「西行花伝」といった小説のほかに評論やエッセーなどの創作活動に名を残していることでもよく知られています。しかし、1999年(平成11)に亡くなってからすでに18年が経ち、辻邦生の名前も多くの作品も今の若い人たちにはなじみがないようにも感じられます。
2018年11月会報(辻邦夫)
 (辻邦生 38歳)
ところで、辻邦生は1953年(昭和28)6月に後藤佐保子と結婚して、当時の国分寺町に新居を構えました。1956年に学習院大学のフランス文学科講師、1957年にフランスへ留学、4年後の1961年に帰国、再び学習院大学に勤務、初の小説「城」に続いて「回廊にて」、「夏の砦」などを発表して、1971年(昭46)まで国分寺を生活の拠点としていました。

当時の住所は国分寺町2405番地、国分寺駅南口から南西方向に延びる多喜窪通りを下り、野川を越えて上り坂に掛かる途中の左側の付近です。その後創作活動が進むにつれて資料も増えて家が手狭になったため港区高輪へ転居しました。転居後も国分寺の家はそのまま残し、一時は書庫にする計画もあったようですが書庫は断念、また小さな公園として「辻邦生が小説を書き始めた場所」の記念にしたいという希望も結局は叶いませんでした。これらは妻の辻佐保子著『辻邦生のために』(新潮社)に書かれています。

私が知る限り国分寺を舞台にした小説は見当たりませんが、エッセーなどには国分寺での生活や国分寺周辺および武蔵野に因んだ作品を残しています。たとえば、次のようなものがあります。

〇『のちの思いに』(日本経済新聞社)
辻邦生の大学時代、パリ留学、そして作家として出発するまでの自伝的回想録です。127頁「リスちゃんの小屋(リスちゃんは佐保子夫人のこと)」では、国分寺町で始めた新婚生活の様子が書かれています。137頁「信州へ」では、国分寺駅北口から(当時はまだ南口はなかった)自宅までの途中の花沢橋からの眺めや当時の国分寺小学校周辺の様子が記されています。また、226頁「帰国して」ではフランスから帰国後の自宅周辺の様子が、特に湧水の流れがドブ川のようだったという表現は意外です。

〇『風雅集』(世界文化社)
日本的なモノのエッセー集です。「東歌 名もなき人々の情熱」では武蔵国分寺跡に由来する国分寺に住み始めたことをきっかけに、万葉集の東歌に詠まれた縁(ゆかり)の地を巡る様子が記されています。
                         2018年11月会報(武蔵国分寺跡1)

〇『「たえず書く人」辻邦生と暮らして』辻佐保子著(中央公論新社)
新潮社から刊行された辻邦生全集(全20巻)の月報のために執筆されたものです。第十七章「『美しい夏の行方』ほか旅のエッセイ」には次のような記述があります。「..無意識のうちに甲州への郷愁があり、それに続いて信州の山々に憧れ、松本の旧制高校を選んだことになる。結婚当時に住んでいた国分寺では、中央線の線路をまたぐ鉄橋(花沢橋のこと)にたたずんで、まっすぐ続く線路の先の遠い山波(ママ)をいつも眺めていた。(中略)国分寺のこの鉄橋の傍らにある燃料店には白樺の薪束がいつも積んであったので、店主が信州の出身に違いないと推理し、稲子の実家を紹介されたのである。小海線にのりかえて松原湖に着き、夏の日々を過ごした八ヶ岳山麓のこの村は、何度も繰り返すように『夏の砦』誕生の〈聖地〉となった。」
2018年11月会報(花沢橋1)

辻邦生と妻佐保子の結婚生活は約46年間、そのうち約18年間を国分寺の住民として過ごしています。その国分寺の家は、建築を専攻した辻邦生の弟辻愛也(よしや)氏が設計したもので、玄関がなく窓から出入りしたと言われています。1999年に邦生が亡くなり、2011年には佐保子夫人も逝去され、今では当時の面影を偲ぶものは残っておりません。ただ、2013年に弟愛也(よしや)氏が国分寺の家の模型を製作しており、現在は学習院大学史料館に収蔵されているようです。(学習院大学史料館パンフレットより)

辻邦生の諸資料は生前から学習院大学史料館に寄託されており、没後5年目の2004年に「辻邦生展」が開催されました。2015年以降は毎年邦生の命日(7月29日)の前後に展覧会が開催されています。今年(2018年)は歴史小説『背教者ユリアヌス』をテーマに、6月9日に講演会、7月18日から8月11日までは展覧会が開催され、多くの辻邦生ファンが学習院大学を訪れたようです。私も講演会と展覧会両方に参加して、『背教者ユリアヌス』誕生の背景や辻邦生の創作努力の跡を確認してきました。展示品の中には国分寺に住んでいた頃のノートなどもあって、ほかの人では気づかない国分寺縁(ゆかり)の手がかりも見つけることができました。                                                                     (終)




A2018年8月会報原稿模様B2018年8月会報原稿


〈特集〉    スポーツとわたし(2)

短文に込められたスポーツへ寄せる想いをお楽しみください。




ジョギングとの出会い 
                               永松 保久

2018年11月会報(ジョギング1)

「当選しました。」2年前の9月、ひょんなことから倍率12倍の東京マラソンに当たってしまったのがジョギングを始めるきっかけでした。運動するのは30数年ぶりなので、数百メートル走ることも困難でした。初めてのフルマラソンは、途中から足がつり、30キロ過ぎの数寄屋橋の交差点で制限時間オーバーとなり、途中リタイヤ。残念な結果に終わりました。それから1年半、少しずつ、距離・時間を延ばして、ようやく現在では月100㎞を目標に練習するまでになりました。(自分でも驚いています)

元々、週末の過ごし方に問題が有り、東経大の公開講座を受講する事も、国分寺駅からの往復の徒歩が体重増加防止の目的でした。東京マラソンに当選したことからジョギングを始め、今も継続練習しています。皆さん、何がきっかけになるかわかりません。出会いを大事に‼ 欅友会新入会員の永松でした。





スポーツとわたし     
                             鶴野 哲夫
 
社会生活でもスポーツは仕事と共に人生には必要であり、否定する人はいない。多数のスポーツに関心がありながら、私は長く続けたことがなく、どちらかと言えば、観るスポーツで過ごしてきた。少年時や若い頃はバスケット、柔道などにも親しみ、壮年時には友人からゴルフ、登山なども誘われたが、期待にも応えることなく卒寿に近づく齢となった。
                                2018年10月会報サッカー1

近年、高校ではサッカー人気が高く、母校は昭和24年創部。全国大会県代表26回。私立代表校多数の中で数少ない公立高校代表である。05年度には準決勝まで勝ち進み、国立競技場には市長はじめ同窓同郷の応援バスが数台並んだ。近年他県のレベル上昇、最近は2回戦すら困難になり残念であるが、寄付と応援は欠かしたことはない。キックオフ、ゴールを目指しパス、シュート応援席では味方のプレーに一喜一憂、応援歌合唱に忘れていた青春の血がたぎる。敗戦の残念会も含め観るスポーツではあるが、私にとって老化防止の薬になっている。






名投手の思い出                 
                             天野 肇

スポーツが得意とは言えない僕がこの題で書くとすれば、それは戦前戦後の六大学野球の思い出に尽きる。1937~1939年、小学校2~4年生がラジオに噛り付いて聞いた野球は、帝大(今の東大)の由(ゆ)谷(たに)敬吉投手の投げる試合だった。家の隣に鳥取県選出の由谷義治代議士が住んでいて、週末に遊びに来る甥の敬吉投手が、家の前で遊んでいる僕の頭を必ず撫でてくれたからだ。六大学野球に名を遺す名投手だったが、数年後満州で28歳で戦死した。
2018年11月会報(ピッチャー3)

戦後、僕が観戦した六大学の投手は、山崎(東大)、岡本(早大)、大島(慶応)、杉下(明治)、関根(法政)五井(立教)達で、関根以外は皆戦争中軍役に服したのち復学した選手達だった。特に山崎諭は、復活直後の1946年春のリーグ戦で連投して慶応と優勝を争い、惜しくも二位に止まったが、100年に近い六大学野球の歴史で、東大が優勝を逃して二位に甘んじた唯一最高の記録である。





大好きな登山、スキー、テニス
                                  高根 佳子 

若い頃からいろいろなスポーツを楽しんだが、中でも登山、スキー、テニスの楽しさは忘れられない。
独身時代には3000米を超す穂高や前穂にも登り、夏は雷鳥にも会うことが出来た。尾根下りでは、梓川の眺望も満喫した。
冬は志賀高原や野沢でスキーを楽しんだ。
                          2018年11月会報(スキー2)

子供が出来ると、幼稚園の会長に誘われて、二人の子供とスキー旅行に参加し、谷川岳天神平のスキー場にも通った。晴天の昼は滑り心地が最高だが、夜のゲレンデで滑ったこともある。小屋の上の大斜面を滑っていた娘が、難所を曲がり切れずに転倒して捻挫した時も、同じ宿舎の人が車で隣町の整骨院へ送ってくれた。古き良き時代で、子供を抱えた女一人を見兼ねていろいろ手を貸してくれる人達が多かった。

テニスも好きで、25歳から72歳まで50年近くコートに通ってプレイし、時には連合会の試合にも参加した。今は、世界で活躍する錦織圭選手を応援しています。


スポーツと私                          
                                     内山 晴信 
 
この題で欅友会の会報用に投稿するとなれば「小学生時代のプロ野球」に触れたい。
テレビ放送が始まり昭和30年代の「月光仮面」「少年ジェット」「怪傑ハリマオ」「隠密剣士」「すちゃらか社員」「てなもんや三度笠」や「名犬ラッシー」「スーパーマン」などの番組が強く印象に残っている。
2018年11月会報(サウスポー)

その一方でスポーツ中継、特にプロ野球に関心を持った。多くの人がファンになる読売巨人軍ではなく、弱小球団「国鉄スワローズ」のエース・金田正一に対してであった。鉄道好きで国鉄ファンでもあったが、豪放磊落の外見ながら速球と「鋭く曲がるカーブ」「落差の大きなカーブ(当時はドロップ)」を組み合わせて三振を取る緻密な投球、「ランニングは投手の基礎を造る」として浜辺・砂地などで黙々と走りこみ、バランスの良い食事を摂る姿に共感した結果である。在日朝鮮人への差別と偏見に打ち勝ち、隠れた努力が400勝投手を生んだと今も敬意を払っている。





スポーツは人生で欠く事の出来ない存在
                                倉田 晃


私にとってスポーツというと、する方も観る方も第一には好きな野球です。
小中学時代は道路での三角ベースから始まって、クラブチームでの少年野球大会への参加等で夕方暗くなるまで汗水垂らす楽しい毎日でした。
                                 2018年11月会報(野球3)

社会人になって野球部に誘われ、元六大学選手だった先輩の猛ノックを毎週受けて心身共に鍛えられました。毎年、主に関東地区の種々の大会に遠征に出かけ、試合終了後は楽しみにしている懇親会があり、後になって、その仲間が仕事上大変役立ちました。その後、監督とは93才で亡くなられる直近まで二人でビールを飲みながら、長時間喫茶店であるいは球場のスタンドで、野球談義に花を咲かせました。

現在は中高大学時代の、元の会社の、趣味仲間の、あるいは地元国分寺の方々等と度々野球観戦に出かけています。する方はゴルフ、週2回のウオーキング等、観る方は野球、ゴルフ、サッカー、ラグビーそして相撲等々で癒され、時には喜びと感動…、スポーツは欠く事の出来ない存在です。






卓球にめぐり逢って あれから42年!           
                                   中村 真知子

女の子1人、男の子4人に恵まれて、一番下の息子が2歳の時、先天性股関節脱臼の故障で、歩くことが出来なくなり、医者の話では家庭内の仕事だけではなく、運動をしなさい……!と言われ、小学校のPTAが行っている卓球部へ……痛い、痛いと言いながら球拾いからスポーツをし始めました。 
2018年11月会報(卓球1

あれから42年目、未だに卓球が続けられていること、誠にありがたいこと、府中市では学校開放で夜間学校の体育館(一中体育館にて)を使用させて下さっています。自主グループの卓球どんぐり会で、老若男女和気あいあいで練習を欠かさずやっています。
今年も9月16日、台湾の人達との交流試合を一中体育館にて行う予定になっていて、卓球を通して友達が多数出来ることが、私の『宝』で~~す!
                             2018年11月会報(どんぐりニュース)

毎月一回、主人と「どんぐりニュース」を卓球の会員へ作成、練習日程を送っています(40年間)。継続は力、卓球、ニュース作成を命ある限り、ボランティア(鍵開け、台出し、掃除等々)をと…願っています。







太極拳と私
                                   加藤 武夫

65歳でリタイアーして、すぐに太極拳を習い始めた。継続した軽めの運動がこれからは必要と思ったからだ。心休まる音楽に合わせ、ゆったりと呼吸を整え、姿勢を正して、舞うごとく演武する爽快感、達成感の魅力にとりつかれ12年が経ってしまった。 

太極拳は、もともと武術である。習っている太極拳は、その武術の型を24に分けて構成され、おおよそ6分から7分をかけて演武することが基本である。本場中国、台湾へも出掛け、喜寿なる今も、週3日、年間300回はゆうに演武している。片足立ち、弓歩、虚歩は足腰を鍛え、それが老化防止にも繋がっている。     

仲間も沢山できた。行き帰りに作る俳句・短歌も楽しみの一つである。      
「俳句」 「麦秋や 太極拳の さらひ終え」
「短歌」 「五月雨に太極拳のリハーサル郭公の声遠くに聞こゆ」等入選句がある。
2018年11月会報(太極拳4)
(演武する加藤さん)
いつまで続けられるか分からないが、これからも健康寿命を延ばすことを第一義に、90歳を目標に太極拳を楽しんでやっていきたいと思っている。

来月号に続く



2019年(平成31年)学習会スケジュール

2018年11月会報スケジュール表

              
  ★スケジュールは事情により変更、中止する場合があります。予めご了承ください。
○学習場所 東京経済大学の教室                                
○各学習日とも土曜日 13:30~15:30 (受付開始は12:30より)
○下記の学習会は映画上映のため終了時間が1時間遅くなります。
      ★ 7月20日(映画を読む会)  13:30~16:30 



(編集後記)
『秋深し隣は何をする人ぞ』……好奇心満々でいささか気が引けますが、学習会でお見かけしたあの方はどんな方だろう、一度お話ししてみたいと思っても、せわしない学習会ではその機会はまずありません。こんな時に懇親会や野外学習会は大きな役割を果たしてくれます。先月23日の野外学習会では多くの方と言葉を交わして、充実した一日を過ごしました! 11月にしては暖かい気候ですが、朝晩の空気が冷たくなりました。風邪など召されませぬぬように。(編集長 大崎尚子)

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