欅の木3余白削除70 10月会報(2018年) - 欅友会
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10月会報(2018年)

                                     
                      
                          2018年10月花2
                                                                                                                


10月会報(2018年)                                       





「ご案内とお知らせ」



①『野外学習会』の最終案内
(10月23日 火曜日 実施)
2018年8月会報(バス旅行)

本年度の野外学習会は、総勢95名、バス2台で実施します。多人数でのグループ行動になりますので、
皆様の格別のご協力をお願いします。

・集 合 10月23日(火)7:00国分寺駅南口正面通り、都営南町3丁目アパート西側 いずみ観光バス内     
               南口に欅友会の旗を持った案内人が立ちます。時間厳守でお願いします。

・乗車車両をご確認ください。             (敬称略 五十音順 2018年10月10日現在)

2018年10月会報野外学習会リスト

・所持品 名札(学習会で使用しているもの。非会員の方は事務局で用意し、当日お渡しします。)
  健康保険証、雨具、飲物

・グループ分け グループ毎に行動していただきます。各号車のお好きな席にお座りください。後刻、
 席の位置によるグループ別のリボンを配布しますので、各自名札に結んでください。

・日程概要 
 7:15 国分寺駅南口発 国立府中ICより中央高速 談合坂SA・諏訪湖SAで休憩 10:25 岡谷蚕糸博物館 
 11:50諏訪大社下社秋宮 12:50おぎのや諏訪店で昼食 13:55北澤美術館 15:10 諏訪の地酒
 真澄の試飲 又は諏訪湖間欠泉センター散策
 16:00北澤美術館発 諏訪ICより中央高速 双葉SA等で休憩 19:00帰着

・雨天決行です。ただし、台風等で中止の場合は、前日までにご連絡します。
・キャンセルの場合は、速やかにご連絡ください。費用の全部又は一部をご負担していただきます。
・お問合せ、緊急連絡先
      山岸信雄:   川崎 守: 
      増田保武:   中村俊雄:


②2019年度会員更新手続き受付開始


■「会員更新手続きのお願い」と郵便局の「払込取扱票」を、会報を郵便でお受け取りの方には会報に同封
  して、メール配信の方には別途郵送します。来年度会費をこの「払込取扱票」にて12月25日までに
  お払い込みください。会費納付をもって会員更新手続終了です。

■事務簡略化のため、会費受領済の連絡をしておりません。ATMで払い込まれた方は「ご利用明細票」
  が、窓口で払い込まれた方は窓口で渡される「振替払込請求書兼受領証」が会費納入と会員更新手続済
  の証となります。保管して、二重のお払い込みをなさらぬようご注意ください。

■お名前は必ずご記入ください。記入漏れに気付かれた場合は、役員までお知らせください。

■メール配信希望の方で、アドレスを変更された方は必ずご記入ください。昨年と同じアドレスを使用され
 る方は記入されなくても構いません。




◎会員の声①


<小津寅之助(父)―小津安二郎(息子)>
                                   岡安 隆


私の家の近くに文化センターがあります。その中に約100㎡位の広さの小津安二郎・展示コーナーがあります。深川で生まれ、下町の人情豊かな親子、家族を描いた映画作品等が紹介されております。年に
2回ほど小津の作品を上映しておりました。私は小津の作品を鑑賞しました。「父ありき」「晩春」「東京物語」が印象に残っております。そんな縁で小津のルーツを調べました。

(父・小津寅之助)
安二郎が生まれた時は、父、寅之助は干鰯問屋・湯浅屋の支配人でした。深川の店は伊勢松阪の海産物肥料問屋、小津与右衛門家の江戸の店です。代々の当主は与右衛門と名のっておりました。房総沖でとった鰯を砂浜で干して乾燥させた乾燥肥料。江戸時代を通じて農業にはなくてはならない肥料であった。干鰯は房総方面から水運で運ばれ、深川の特定の場所に陸揚げされ、取引されました。銚子場(深川西町)江川場(深川蛤町)永代場(深川西永代町)元場(深川小松町)と4か所あった。小津は江川場の有力問屋。
    2018年10月会報稲荷神社1
                      2018年10月会報稲荷神社2

湯浅屋金兵衛は深川の富岡八満宮の境内の永昌五社稲荷神社に狛犬一対を宝暦13年(1763年)に仲間
の問屋と奉納しました。嘉永7年(1854年)幕府の御用金徴収者氏名に湯浅屋700両、多田屋50両と記載されております。湯浅屋は江戸時代から深川で手広く商いをしておりました。明治18年には仲間の肥料問屋と組合を作りました。組合員は17名です。事務所は小津与右衛門の湯浅屋です。寅之助は分家、支配人として店を仕切っておりました。古石場文化センターの近くの古石場川親水公園に「小津橋」という名前の橋があります。川の両岸にある倉庫に荷を運ぶために造りました。

組合結成時の組合員17名のうち干鰯問屋は約半分で、米穀問屋を兼業するものも多かった。安二郎が生まれた明治36年頃から、北海道の鰊魚粕、満州産の大豆粕へ、そして化学肥料が登場し、普及したので大正期まで残った問屋はわずか8店となった。明治44年(1911年)には旧中川と堅川との合流地点を中心に日本化学工業・東京硫酸・全国肥料取次所製肥・東京魚商組合肥料・佐々木肥料・大日本人造肥料(大島、小松川)等の化学工場が肥料を製造していた。日東化学は大正6年に過燐酸石灰、化成肥料、硫酸を生産した。

寅之助は関東大震災後に問屋業はやめ、松阪小津家が深川の店舗、倉庫他広大な土地を所有していたので、資産を管理する不動産業に商売替えをした。1923年安二郎が深川にもどったが、父は商売を継いでほしいと願っていたが、安二郎は松竹キネマ蒲田撮影所の撮影助手として、映画界への第一歩を踏み出した。

(息子・小津安二郎) 
1903年(明治36年)12月12日、東京市深川区亀住町(現在の深川一丁目)で、兄と妹2人と弟の
         5人兄弟妹。
1910年 明治尋常小学校入学 
1913年 兄・妹2人・弟5人と母は松阪で過ごしました。寅之助は深川と松阪とを半々に往来をして
    おりました。
1923年に深川に戻り、松竹蒲田撮影所に撮影助手として入社。
1927年「懺悔の刃」時代劇・監督第一作目
1933年(昭和8年)「出来ごころ」この作品は深川を舞台にしたドラマで「喜八もの」と呼ばれている
          人情ドラマ。これをシリーズとして発表する。      
1934年(昭和9年)父、寅之助死去。(享年68才)
1949年(昭和24年)「晩春」脚本家:野田高悟、出演者:原節子、笠智衆

嫁ぐ日に高島田の原節子が三つ指ついて「おとうさま長い間お世話になりました。」と感謝の気持ちを直に表現している。46才の小津監督、笠智衆は45歳で初老の父親役、ほのぼのとした心温まる映画であった。
2018年10月会報東京物語

1953年(昭和28年)に「東京物語」では、家族の在り方を問うた作品で高い評価を受けております。それぞれの家庭の事情が優先されて、上京した両親のお世話がないがしろになってしまった。原節子(死んだ三男のお嫁さん)が休暇を取り東京を案内してくれた。母親の葬儀の際も葬儀が終わったらそそくさと帰京してしまった兄姉に対して末妹が原節子に、「兄や姉は自分達の都合ばかり優先している。」と言ったら、「家族の事情が優先されてしまうのは仕方がない」と返答をした。この状況は現在の家族でも当てはまるようです。

後年、昭和56年英国サザランド賞を受賞。国際的に評価されました。後年山田洋二監督が「東京家族」という作品でリメイクし、話題となりました。1962年11月 芸術院会員に選出された。映画界からは初めてです。

しかし、1958年に観客数は11億2700万人が、1962年には6億6000万人へと激減した。娯楽の主役は映画からテレビへと。1962年「秋刀魚の味」が遺作となり、1963年12月12日に亡くなりました。その日は60才の誕生日。小津の死後、テレビに押されて、観客数はさらに減少して、各映画会社は制作本数を縮小することになり、倒産した映画会社もありました。
父親の寅之助は商人として、安二郎は文化人として深川・下町に大きな足跡を残しました。私は小津安二郎と深川に愛着を感じました(2018.5.9)


◎会員の声②


一歩ずつ前へ!
                                  山岸 信雄 

               2018年10月会報(山岸ランナー)

 42.195km! そんなに走れるのか? 初めてフルマラソンに臨んだ時の思いだ。この距離は東京駅から
中央線の豊田駅まで(43.1km)に匹敵する。確かに遠くて長い。人は未知の領域に踏み込もうとする
とき、期待を抱くとともに底無し沼に吸い込まれるかのような恐怖に怯える。しかし、思い切って足を
入れてみると、意外と浅瀬であることが多い。何だ、こういうものか、と。

最初のフルマラソンは、東京マラソンが始まる前、東京での市民マラソン実現の夢に向かって走る<東京夢舞いマラソン>だった。2005年10月10日(月)体育の日、第6回東京夢舞いマラソン。雨の日比谷公園をスタートし、丸の内・大手町を抜け東京ドームから四谷を経て神宮外苑、六本木ヒルズ、東京タワー、浜離宮、歌舞伎座を回り、勝鬨橋を渡って月島商店街、芭蕉庵、国技館、駒形橋から雷門、上野公園、東大、小石川後楽園、日本武道館を経て、千鳥ヶ淵、国会前、皇居外苑から日比谷公園に戻る42.195k。東京スカイツリーがまだ無かった時代、都心の名所を網羅したコースだ。雨はいつの間にか上がり、観光気分を満喫した。公式レースでないこのマラソンは歩道を走り、赤信号で止まった。楽しく気軽に走って、完走!! だった。♬∼やれば出来るは魔法の合い言葉∼♬

2007年2月18日(日)、第1回東京マラソン。定員3万人に対し10万人が応募。くじ運は無い方だが当選した。氷雨の中、都庁をスタートして靖国通りを東進。広い幹線道路を自由に走れるのは爽快だ。飯田橋から竹橋を経て内堀通り、日比谷の交差点で10k。日比谷通りを品川駅手前まで往復し、晴海通りを右折して中間点通過。銀座四丁目を左折し中央通りを北上。銀座の目抜き通りだが、沿道の人々は市民マラソンの応援には慣れていない。

冷たい雨の中、3万人のランナーが走る光景に異様なものでも見るような視線を向けていた。日本橋手前、永代通りを右折して浅草へ。雷門で折り返して銀座に戻り四丁目を左折、晴海通りへ。築地本願寺前で35k。残り7kだが、ここからが厳しい。佃大橋からの4つの橋の昇降は体力を根こそぎ奪う。気力を振り絞り東雲を抜け最後の有明の坂を登り切ると、苦しみの中から歓びが湧き上がってくる。達成感に包まれて東京ビックサイトでフィニッシュ!!
 
このコースは第10回まで使われ、2014年にもう一度走った。2017年の第11回からゴールが東京駅前に変わった。3万6千人の定員に世界中から30万人以上が殺到する人気マラソンとなった。新コースには2年続けて当選した。2017年は2月26日(日)快晴。2018年は2月25日(日)晴れ。スタートから飯田橋・専大前までは同じコース。専大前から神田古本屋街、須田町を右折して神田駅ガード下を抜け、10k地点の日本橋を渡るのが嬉しい。中央通りを左折し旧コースと同じく浅草へ。スカイツリーが見えると五臓六腑が踊り出す。気持ちがいい。

雷門から蔵前橋を渡って清澄通りを南下、門前仲町で20k。江戸情緒の残る商店街だ。富岡八幡宮で折り返して日本橋まで戻り、中央通りを左折。お洒落な銀座通りを走れる歓びに浸り四丁目を右折して30k。日比谷通りを南下し、35k過ぎの品川駅手前で折り返して最後の北上だ。だが、強い北風が行く手を阻みビル風も容赦ない。歩き出すランナーがいる。「歩こうよ。少しくらいなら大丈夫だよ…」と、悪魔の囁きも聞こえ出す……

その時「ナイス・ラン!」と、健康美溢れるチアガールから声がかかる。近づいて「ファイト、イエーイ‼」と、力強いハイタッチで元気をもらう。地獄で仏か…日比谷通りは人が多く、声援も10年の歳月が逞しく成長させていた。残り6k、5k…と、一歩ずつ前へ進む。日比谷交差点までたどり着き、丸の内仲通りに入ると、あと1kだ。ブティックやカフェが並ぶ美しい仲通りは人垣で溢れている。石畳を走ると反発力が強く、軽快だ。沿道の声援を受けハイタッチを続けながら一挙に直進。丸ビルを過ぎると広い行幸通りが待っている。和田倉門前のゴールまで100m。込み上げてくる歓びに押されてフィニッシュ!! 振り返ると、白御影石の広場の先で赤レンガの東京駅舎が微笑んでいた。
 
丸ビル6階のN寿司店。脂の乗った鯵のカルパッチョを摘み、冷えた白ワインが舌先から喉を潤し食道を流れ胃に滴り落ちる快感を味わう。「走り切った者にしか分からないな」と、悦に入る。



◎会員の中村真知子さんからお手紙をいただきました。一部をご紹介します。

欅友会会報をいつも有難う御座います。有難く読ませて頂いています。「スポーツとわたし」の原稿、下
手ですが書いてみました。ご笑納ください。(編集者注:11月に掲載予定)
欅友会に「戦後70年目に想うこと」(289号:2015年12月)、「白い御飯」(309号:2017年10月)を投稿後、
どちらも大好評で、戦後70年目ということで、調布のホールで500人の前でお話をしてほしいと言われ、
講演しました。自分でもびっくりしました。
2018年10月会報(白いご飯)

「白い御飯」のその後のお話ですが…。昨年9月、全国グラウンドゴルフ大会(島根県)の折、ご一緒
にプレイをした長野県の女性に文章をお見せしたところ、大変感激したとご自分でつくられた白い御飯(お
米)が送られてきました。今年その方と全国大会(山梨県)で再会することになっています。これもスポ
ーツのお蔭だと思いました。

昨年8月、引揚げて来たとき大変お世話になった(白い御飯をふるまってくださった)Oさん宅を何十
年ぶりに見つけ出し、娘と一緒に兵庫県明石市に訪ねることができました。当時私と同学年で、大久保小
学校に通学しました。
「欅友会」に投稿したお蔭で、種々なドラマが生まれ、感謝しています。





A2018年8月会報原稿模様A2018年8月会報原稿模様


〈特集〉   『 スポーツとわたし(1)』

400字の短文をご投稿いただく特集を始めて4年目、「わたしの戦後70年」「わたしの忘れ得ぬ言葉」
「わたしと食」に続き、今年はスポーツがテーマです。ご投稿をありがとうございました。11月末までは引き
続き投稿をお待ちしています。




①83歳でゲレンデに立つ!         
                                    森 馨一郎
 2018年10月会報スキー4

スポーツのうちで今も続けているのはスキー。74歳のときに平澤文雄先生(NHKTVスキー教室元講師、平澤スキー研究所代表、当時76歳)に出会い、毎シーズン直接指導を受けてきたおかげである。革命的に進化したスキー板の性能をフルに生かす「疲れない省エネスキー」が平澤流の真髄。身体を緩めての美しい歩きが基本で、オフシーズンもヨガや呼吸法を取り入れた体操と太極拳を毎日行い、近所の「スロープ」を上り下りしている。講習では夜の理論解説、雪上で先生のすぐ後を滑る「見取り稽古」がありがたい。お陰様で徐々に上達、上級コースも滑れるようになった。先シーズンは2月半ばで21日と40日大台乗せのペースが、好事魔多し。転倒して鎖骨を骨折。目下リハビリ中だが、雪が待ち遠しい。83歳(父が亡くなった年齢)到達時に、ゲレンデで美しいシュプールを描くのが夢である。




②スポールブールとの出会い
                                  和田 淳
                                 2018年10月会報スポールブール
 
 皆さんスポールブールという球技をご存知でしょうか。この球技は古代ギリシャ時代から行われて来たもので、フランスでスポールブール(スポーツボールの意味)、イタリアでボッチャと呼ばれています。ペタンクは、スポールブールが変形したゲームです。

スポールブールを体験しました。日本代表の豊田氏のプログレッシブ見学と、体験者同士のミニゲームです。まず、ビュット(直径3.5cmの白い木球)を投げ、次にボワンテ(約1キロのメタルボールをビュット近くに投げること)し、ビュットに近い方に点数がもらえます。カーリングと同じように、敵のメタルボールを弾き出すなど、ゲーム性は高く大変楽しい時間でした。
スポールブールのプログレッシブは、2024年の五輪パリ大会で実施されるとのことですが、我が国での競技人口が50人程度と少なく、選手育成に苦労されています。私は選手では無く、審判員として参加出来ないかと考えています。夢はパリ五輪への参加です!




③登山と私
                                      近藤 裕

2018年10月会報登山1

幼少の頃、関西の生駒山、山陰の大山(だいせん)、東北の栗駒山に登り、登山が好きになった。成人して信州戸隠山、槍ヶ岳、奥穂高岳に登り、山のとりこになった。その後、第二次R.C.C.の登山教室に通って登山の基礎を教わり、日本山岳会に入会した。谷川岳、八ヶ岳、北アルプスなど岩壁の多い山に登り、丹沢、奥秩父、アルプスなど深山幽谷の感じの山に次々と登った。昭和32年に結婚し、子供が生まれたら家族一緒に山に登ろうと思い、奥多摩の山々に近い国分寺に居を構えた。自分と妻と長男と長女と4人で、奥多摩の山々から始めて、東京西端の雲取山、北アルプス、富士山と多くの山々に連れて行った。永年登山が趣味だった私も88歳となった今、さすがに脚が弱くなったので、止むを得ずゴルフに転向してレッスンに通っている。一方、山の方は日本山岳会東京多摩支部主催の「山の歌を唱う会」で楽しんでいる。現在、長男が百名山に挑戦して、もう少しで達成するというのは嬉しいことである。




④ゴルフと私
                                   小田切 豊雄

                            2018年10月会報ゴルフ挿絵

私は元来、運動神経が悪いが、好奇心もあり若い頃からいろいろなスポーツをしており、観戦も含めスポーツ好きである。75歳の現在も50年続けているのがゴルフである。年々飛距離が落ち、スコアーは悪くなっているが、月1回程度はプレイする。パートナーも72歳と70歳の弟が最も多く、「団子3兄弟」と称し、和気藹々のゴルフを楽しんでいる。年長の私は「百獣の王」を気取るが110を切るのに四苦八苦している。弟達は中々の腕前で、時には苦戦の私に対して「忖度」してくる。こんなスコアーに拘らないゴルフが今や好きである。以前は75歳迄続けようと思っていたが、達成の今は80歳迄「健康ゴルフ」と目標修正している。
〈道遠しナイスショットと思いきや〉




⑤笑顔と感動のシニアスポーツ、小平ゲートゴルフとの出会い
                                     広瀬 義隆

2018年10月会報ゲートボール

昨年、創立25周年を迎えた小平ゲートゴルフは、ゲートボールとパターゴルフを組み合わせ、小平市が創案したシニアの為のスポーツです。退職後、少し体調を崩していた時、小平市の中央公園を散歩していて、小平ゲートゴルフに出会い、すぐに入会の申し込みをしました。それ以降もう5年目になります。
毎週火、木、土の午後、中央公園でオープンスクールを開いていますが、今年米寿を迎えられるTさんは、このスポーツに魅せられ、自転車で半時間もかけて参加されています。ホールインワンなどが出ると拍手喝采です。ハーフのコーヒータイムには世間話で大きな笑い声が公園に響きます。クラブ大会も年間10回あり、最長老のSさんは96歳で、アンダーエージの記録で優勝などもされます。
プレイをされている皆さんの笑顔がとても素敵で、こんなスポーツに出会うことが出来たことに心から感謝しています。





⑥W杯、日本の球廻しの批判に想う
                           宮原 昰中 
 

                         2018年10月会報サッカー2
批判は当らない。スポーツは規則の範囲で如何に相手を騙してでも有利に進めるかにあるのだから。野球も初期は打ち易い球を投げるのが投手の役割だったが、今は角を狙い、ボール球をふらせ、敬遠すら辞さない(5打席連続敬遠すら正正堂堂と戦うはずの高校野球で許される!)、その究極が芸術的な「江夏の21球」である。
 何故球廻しになったのか。お互いにリスクはあるが、勝利より総当たり戦突破等には、あの戦術が両チームにとって最善であったからであろう。JFAが勝ちに行けと決めても、プロにとって名誉と賞金の懸かる戦いでは無理がある。今後FIFAは規則を変えるだろうか。篭球の如くに敵陣に速やかに入り、制限時間内にシュートを義務づける事と同様には、球廻しが滅多におきない蹴球では変更はないだろう。むしろ32位までは絶対進出ではなく、wild cardを2枚、2位の最下位2チームと入れ替えあり(・・)にすれば最後まで真剣勝負にいく戦いが増えるだろう。




◎2019年(平成31年)学習会スケジュール


2018年10月会報スケデュール表


○スケジュールは事情により変更、中止する場合があります。予めご了承ください。
○学習場所 東京経済大学の教室                                
○各学習日とも土曜日 13:30~15:30 (受付開始は12:30より)
○下記の学習会は映画上映のため終了時間が1時間遅くなります。
      ★ 7月20日(映画を読む会)  13:30~16:30 


(編集後記)

さすがの猛暑も通り過ぎると“暑かった”と言葉で記憶に残るだけ、吹く風が爽やかな季節になりました。初夏の頃、東経大2号館脇のイチョウ並木が「剪定」、いえ、大胆に「伐採」されて痛々しい姿を晒しました。どうなることかと心配していましたが、生命力の強い木は早くも枝を伸ばし、葉を茂らせています。さて、いよいよスポーツの秋到来。特集の投稿文からは、各人各様のスポーツに寄せる想いが伝わってきます。来月は〈特集2〉を掲載しますので、お楽しみに。(編集長:大崎尚子)

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