会員の声


               2018年1月会報日の出挿絵
2018年1月会報富士山挿絵



◎会員の声 




「維新」雑感
                                      天野 肇


新年明けましておめでとうございます。

今年は、明治元年から数えて満150年に当たり、各方面で「明治維新を記念する行事」が計画されていると聞いています。
2018年1月会報黒船1

明治維新は、嘉永6年の黒船来航に端を発する欧米諸国からの接触に対する徳川幕府の現実的ながら優柔不断とも取れる様々な対応を不満とした薩長の若手下級武士が、攘夷を主張する朝廷を担いで討幕運動を起こし、戊辰戦争での勝利によって王政復古、江戸遷都を実現した政治革命で、政権交代後は、あれだけ主張した攘夷論をあっさり捨てて急速な欧化政策に転じ、富国強兵、殖産興業を実現した結果、アジアで唯一の近代国家としての日本を作り上げたものとの肯定的な歴史評価が一般的だったと思います。
                        2018年1月会報大政奉還1

戦前に小・中学校で歴史を学んだ私も、その後戦争で敗れた日本の復興が遅々として進まなかった記憶に比べて、幕末十数年の準備期間はあったにせよ、明治初年から西南の役に至る僅か10年の間に、廃藩置県、新聞発行、大陽暦採用、陸海軍創設、鉄道・電信・電話の開通、徴兵令公布、地租改正, キリスト教解禁、気象台設置、銀行設立、日曜休日土曜半休制度実施、東京大学や日本赤十字社の設立・・・・等々の画期的事業を矢継ぎ早やに実現した点で、当時の政権が非常に有為有能であり、今日の日本の存在もひとえに明治の先覚者たちの力に負うところ極めて大きいと考えておりました。

然しながらこの数年来、明治維新の評価に対する様々な異論を見聞するにつけ、従来の維新の評価は専ら薩長政府の視点からのみ説明され教育されてきたもので、倒幕戦争に敗れた側の視点から見れば、それは必ずしも素直に受け入れ難い歴史だったろうとも考え始めました。
2018年1月会報坂本龍馬

そもそも「明治維新」なる概念そのものも、昭和に入って漸く一般化したと云われており、禁門の変で朝敵となった長州藩が、坂本龍馬等の斡旋によって、現実的な開国路線で公武合体を唱える幕府を支持していた薩摩藩との関係を巧みに改善して同盟を結び、折しも武器売り込みを図る英仏資本(特にアヘン戦争で悪名高い英国商社ジャーデイン・マセソンと、その代理店グラバー商会)の強力な支援も取り込んで、鎖国攘夷を唱える朝廷を担いで官軍を自称し、戊辰戦争に勝って旧勢力を一掃した後、西欧化、近代化を進めたもので、一面では前述の如き数々の事績を残しながらも、他面では、佐賀の乱、新風連の乱等々、旧士族の反乱が多発、西南戦争で西郷を失った他、大村益次郎,廣沢真臣、大久保利通、横井小楠、森有礼など政府要人の暗殺も続き、廃仏毀釈で多くの寺仏や文化財を破壊、東北の諸藩を「白川以北一山百文」と蔑視し、自由民権運動を弾圧した歴史でもありました。
                2018年1月会報西郷隆盛
                            2018年1月会報西南線戦争

水戸学に発した尊王攘夷の思想は、その後皇国史観に受け継がれ、文民統制の効かない長州閥陸軍の統帥権独立を許し、遂にアジアへの侵略戦争から、あの対米戦による悲惨な敗戦へと展開します。
2018年1月会報真珠湾攻撃2

明治維新の後遺症として、長州と会津、彦根と水戸の間には、その後永年に亘り婚姻が成立しなかったとも聞きました。私自身は薩長土肥とも幕府とも直接縁のない素町人の末裔だけに、維新に対して何の偏見も持っていないつもりですが、討幕軍と対立した諸藩出身の方々の明治維新に対する感情と評価には、未だに複雑なものがあるのではないかと想像し、維新の記念行事もその辺りに十分配慮する必要があろうと考えます。

「維新」で思い出すのは俗にいう「昭和維新」で、1930年代の世界恐慌を背景に、政財界の腐敗を正し改めて天皇親政を目指した陸海軍の急進的若手将校と右翼団体が起こした5.15事件や2.26事件などのクーデターでしたが、肝心の天皇の賛意を得られず、数名の政治家を暗殺しただけで失敗に終わったものの、その精神的指導者たる北一輝の「日本改造法案大綱」は、男女平等・華族制度廃止・累進税強化・財閥解体など、当時としては極めて進歩的な政策を主張していたことで知られています。

今、私が期待したいもう一つの「維新」があるとすれば、それは、敗戦後70年以上経過しても尚改善の兆しもない我が国の特定国に対する従属関係を一日も早く解消し、あるべき国家主権を取り戻して真の独立を回復する「平成?維新」でしょうか。
                        2018年1月会報岩倉使節団

話は飛びますが、スイスが永世中立国として国際社会で認められたのは、1815年、ナポレオン戦争の後始末で開かれたウィーン会議でのことでした。核兵器廃絶を目指して最近ノーベル平和賞を受賞したICANの本部もスイスにあることはご承知の通りです。今、日本は北朝鮮の核に脅かされ、北方領土、尖閣、竹島などの領土問題にも頭を悩ませていますが、150年前の政権交代に際して、若しその3年前に終結した南北戦争や2年前の普墺戦争の惨禍に思いを馳せ、更に1871年から世界を一周した岩倉使節団が見聞した普仏戦争や欧米の軍事体制を考え合わせた上で、スイスに習って永世中立を宣言していたら、その後日本の歴史はどんな展開を見せたであろうかと、あらぬ空想を巡らす昨今です。
     
     1月会報スイス国章1



さて、新しい年を迎えるに当たり、維新の元勲伊藤博文、山縣有朋、副島種臣や、乃木希典、成島柳北、夏目漱石達にも愛好されたと言われる漢詩の中から、唐の詩人張説の作品をご紹介して、皆様と共に新年を寿ぎたいと思います。

「幽州新歳作」 張 説(ちょうえつ―西暦667年~730年)

  去歳荊南梅似雪   去歳 荊南 梅 雪に似たり
  今年薊北雪如梅   今年 薊北 雪 梅の如し
  共知人事何常定   共に知る 人事は 何ぞ常に定まらん
  且喜年華去復来   しばし喜ぶ 年華 去りて復た来るを
  邊鎮戍歌連夜動   辺鎮の戍歌 夜を連ねて動き
  京城燎火徹明開   京城の燎火 明に徹して開く
  遥遥西向長安日   遥々として 西の方長安の日に向かい
  願上南山寿一杯   願わくば 南山の壽 一杯を上らん

(去年は南の岳州の荊南―けいなん、湖南省岳陽―にいましたが、そこでは梅の花びらが雪のように散っていました。今年は新年を幽州の薊北―けいほく、河北省―で迎えましたが、雪が梅の花のように降っています。お互いに判っていることですが、人間社会の事柄は、どうして何時も固定して決まっていないのでしょうか? しかしまあ、そう嘆いてばかりいないで、今しばらくは、行く年来る年を喜びましょう。辺境の守備兵の歌が毎夜響いていますが、宮城でも篝火を夜通し燃やしていることでしょう。遥かに遠い西の方長安の太陽に向かって、歳がひとつ増えるこの年頭に当たり、願わくば天子の歳が万古不変の南山のように長寿でありますように。)   



メニュー
アクセスカウンター
リンク