わたしと「食」

「わたしと食」  その1

“パンさえあれば、たいていの悲しみは堪えられる。”  ミゲル・デ・セルバンテス

食」をテーマに、短文をご投稿いただきました。
各人各様の食に寄せる想いをお楽しみください。 



テーマ「食」の字から思い浮かんだこと         
                                     神尾 龍三郎

映画「舟を編む」をみたあと、原稿募集テーマは「食」の字が日毎に大きく見えてきて、食の字の
周辺をそぞろ歩きしたくなります。
まず食の字の字源を調べますと「人」と「良(よい)」の組合わせから成るとの解説に出会いました。そ
こから戦前派には「衣食足りて礼節を知る」という修身の言葉が連想されます。続いて「衣食住」
「衣食同源」という熟語が浮かび、食が精神的にも身体的にも暮らしのなかの中心的存在として、生
活を楽しませてくれることに謝意一杯です。

次に、食は食べ物を意味します。話は飛躍しますが、全国高校野球で優勝した花咲徳栄高校が所在
する加須市に「加須うどん」があります。このチャンスを生かし学校名同様に、埼玉から全国へと飛
躍する姿を応援したくなるのは衰えない食い気からでしょう。   10月会報(加須うどん)

最後に、食の付く苗字、地名を探します。苗字では「食野・めしの」、地名では「安食・あじき」
等がみつかりました。制限字数を食(は)み出さないようにここらで終えます。



八月十五日の食事                宮武 光吉

わが家では、ここ40年以上、8月15日は「すいとんの日」と決めています。40数年前の塩谷信夫
市長時代に、国分寺市役所で開催された終戦記念日の行事の参加者に、すいとん汁が振舞われたのが、
その始まりです。
10月会報(すいとん汁)

妻と中学生だった息子が参加しましたが、帰ってから、これから、毎年8月15日「すいとん」に
しようということになり、それからずっと続けています。その間に二人の子供たちはそれぞれ結婚し
て家を離れ、しばらくは夫婦二人で食べていましたが、昨年から孫娘二人とその母親が加わるように
なり、一緒に食べるようになりました。
孫娘たちは「おばあちゃんのすいとんは、とても美味しい」といっており、ちょっと趣旨からはず
れてしまうので、どうしたらいいか、考えているところです。




白いご飯                          中村 真知子

昭和20年8月終戦を境に大連での生活が一変し、生きるために家族は売り食いで命を繋いだ。や
がて故国日本への帰国が始まり、昭和22年2月に父母と引き揚げ船で舞鶴に上陸。船中の食事は連
日大きな昆布のみで、舞鶴に着いたら白いご飯をと思っていたが、白いご飯は黒い穀ゾウ虫だらけ。
それでも丸のみにして食べたものでした。
                                10月会報(白いご飯)

引き揚げ後、母の大連汽船の船長の兄が戦時中世話をした船員の方の実家(農家)を訪ねたが、ご
両親は昔の恩を忘れずに私共親子3人を丁重に迎い入れて下さり、夢にまで見た「白いご飯」を食べ
させて下さいました。その時は本当に嬉しかったこと。父母は涙を浮かべて、有難いことだ、ご恩は
一生忘れないようにと言って他界。
苦難な時期に受けた時の…あの白いご飯は忘れられなくて今でも何が好きと聞かれると“白いご飯!”
…と即座に答えている。



食糧難時代を想いながら                 鶴野 哲夫

昭和30年代中頃から「消費は美徳」などと言われたが、食物など物を粗末にする風潮の広がりを
感じる。戦前からコメは配給制。戦後は警察の眼を避け、多くの家では着物と農家のコメを交換。
食管法による警察のヤミ米の没収は続く。昭和27年、新米警察官の私は先輩の指導でヤミ米を没収。
嘆く女性の風姿が今も目に残る。慚愧。
                    10月会報(警察官)

当時の食堂は外食券が必要。近年テレビのグルメ番組でタレントが料理の美味しさの表現で熱演。
画面で視聴者に楽しそうに伝えているが、食材の大部分は肉も魚も人間以外の生命である。その生命
を調理する場面は私には「食」に便乗した遊び?のようにも映る。うな重・焼き鳥など肉料理、魚料
理共好物である。私は箸を付けたらコメ一粒、肉一片も残さない主義。生産者への感謝、生命に対す
る償いと謝意を忘れないように努めている。



ロング・グレーン(長粒)のカレーライス     彌吉 久

パン続きの日々、ご飯ときけばノドが鳴る。だが口にしたとたんパサパサ、夢は潰れる。ご飯は大
盛りご馳走の片隅の添え物、みんなは片手にしっかりとパンを確保している。落胆と納得‼ 1970年
オーストラリア珊瑚礁、海水着のままのランチでした。
                          10月会報(インドカりー)

友人宅の招待、日本人への心遣いの激辛カレーはロングのパラパラで、シンがある。料理本による
と「沸騰したら直ぐザルにあけよ」と。教授宅では激辛を和らげるため、ヨーグルトが卓上に。真白
にまぶして大汗と共に。

1973年米国モンタナ州、野生の米の小袋を土産に頂く。薄黒茶のロング。現地人が採取し、土産物
として”販売”とのことだった。
1984年パキスタン、料理のすべてがカレーの味付け。はじめ1週間も続いたらお尻の方がチカチ
カしてきて参った。
中華チャーハンはロングの方が美味しいのでは?これにウーロン茶を掛けてザーサイで流し込むの
が、私には嬉しい一刻である。



昆布巻は鹿児島に限る                  丸嶋 一休

暮になると鯖を買う日に気を遣う。生の鯖は店頭から姿を消すのが早いから。おせちの昆布巻は鰊、鮭が一般的だが、青年期を鹿児島で過ごした私の家では鹿児島風の鯖を使う。

52年前、東京で妻を娶りこの話をしたら驚いていたが、私の記憶をたよりに一緒に作った。材料は
昆布、鯖、調味料、木綿糸。かんぴょうは使わない。近くの乾物屋で買った昆布のせいか鹿児島風の
食感・味がしない。料理本は鰊、鮭の説明だけ。ネットでレシピが調べられる時代ではなかった。味
の違いは昆布でないかと、鹿児島のデパート「山形屋」から「昆布巻き用昆布」を取り寄せたりした。
10月会報(昆布まき)

あれこれと経験を重ね、現在の妻は慣れた手つきで、北海道産の柔らかい棹前昆布を用い、大きめ
の鯖を3枚におろし、身を約1cm幅に切り、それを昆布で巻き、二重にした木綿糸で10本くらいず
つ束ね、鍋に並べ味付けする。親戚中でも好評で毎年5家族に配っている。我が家では“昆布巻は鹿
児島に限る”という次第。



朝だけの ベジタリアン               小倉 和代

いつの頃からか、私の朝食は野菜とヨーグルトになっている。ごはんもパンも一切食べない。コレ
ステロールが高め、血糖値は糖尿病予備軍と告げられて以来の構えだったと思う。

ある朝のメニュー、中ぶりのお皿に山盛りの、刻んだありふれた生野菜七八種、時には十種にも。
その上にひじき、お魚ソーセージ、小魚などの蛋白、ミネラルをトッピング、そして具沢山で、卵を
落とした味噌汁を添える。其のあと果物に干し葡萄、黒胡麻アーモンド黄な粉、フルーツグラノーラ、
たっぷりのヨーグルトをかけて平らげる。これで満腹、物足りなさを感じた事はない。
                                  10月会報(ヨーグルト)

昼は、日に一度のご飯、肉類を中心の惣菜、夜は魚類とつまみだけの夜食時には晩酌と共に。
人並に、当たり前の食事とは、かけ離れたものと自覚してはいる。「旨い、不味いは 二の次」をモ
ットーに、それを建て前に生きている。とは言え、美味しいものは、大好き、外出時の食事は、その
限りに非ず。



「食」について最近思うことー            倉田 晃

今年の6月、高校の同窓会が新宿のホテルで開催されました。後期高齢者入りした仲間が集まり、
盛り上がり楽しい一時でした。お開きの後、2桁テーブル上の食べ物が半分以上残されている光景に
唖然としました。
私は東京育ちで疎開経験があり、小さい頃、物と交換して農家で食料を調達している母の姿が脳裏
に焼きついています。
10月会報(食品ロス)

現在わが国では飽食の時代と言われています。世界には飢餓に苦しむ人々が多く、それらの国々へ
の食料援助が年間320万トンに対して、日本だけで食品ロスは約2倍の620余万トンにのぼると言わ
れています。一人あたりお茶碗一杯分の食品が毎日捨てられている現状です。

これに対し、一部の市町村で最近、食品ロス30―10(さんまるいちまる)運動が積極的に実施されて
います。それは宴会等で乾杯後30分は席を立たず食べ、お開き10分前では再び自分の席に戻って食
事を楽しむということです。私も含め欅友会会員の皆様もこの食品ロス30―10運動に賛同され協力し
たら如何かと思っています。
以上ですが、食品ロスの効果については4項目程の知見が有りますが省きました。
  



メニュー
アクセスカウンター
リンク