会員の声

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音楽雑感(その2)
                                    内山 晴信

今回は「楽聖ベートーヴェン」(1770~1827年)について述べたい。
10月の会報(ベートーベン)

1.名前について

「ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン」(Ludwig van Beethoven)。こういう英米流発音が世界中に広まっているが、ドイツ人なので「ルートヴィヒ・ファン・ベートホーフェン」(Beetで一旦区切る)が本来の姿。中学2年の時にNHKドイツ語講座で東京外語大学教授がこう説明していたので(先祖がオランダ人なので有名なココア会社のような名前)、私は学校で「ベートホーフェン」と発音した処、「気障な奴」「気取っている奴」との冷たい視線を受け、以来「通常の発音」を使用することにした。

2.偉大さについて

私が大学2年生(昭和45年、1970年)の時、「ベートーヴェン生誕200周年記念」として欧米レコード会社の企画ものが販売されていた。当時も「精神的深みが大」「作品の密度が濃い」「駄作が少ない」との認識はあった。私も年齢を重ね、立派さを再認識した。

(1)ベートーヴェンの基本姿勢
従来の「貴族や教会のお抱え楽師」では無く「音楽家」「芸術家」として地位を創設し自身の作品発
表も入場料を払った聴衆相手に演奏会場で行う。(宮殿では無く)

(2)作曲の特徴 ・・・独創性に富むこと・・・  一曲ごとに新しい試みを実施した。特に交響曲では全9
曲とも異なるコンセプトで制作した。

                                 10月会報(楽譜)

(3)耳の障害の克服 ・・・耳が聞こえていた30歳までの「個々の楽器の音色」と「楽器の組み合わせ音」
を頭の中で合成し(特に、ホルンの雄大さ、フルートとオーボエの絶妙さ)、口に銜えた棒切れをピ
アノ響板に置き、鼓膜振動では無く骨伝導で音を確認し推敲を重ねる。人との会話は筆談で行うな
ど工夫と努力の人物であった。

(4)苦悩を通じて歓喜へ ・・・自身の耳の障害や身内のイザコザもあったが「人生良いことばかりでは無
いが克己心で乗り越え最終的に喜びを獲得」との人生哲学を表す。
一時期は自殺も考え「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いたが、「ベートーヴェンの代わりはいな
い」との強烈な自負心で名作を残し、多くの人に感動を与えた。

3.具体的な作品について

①交響曲第3番では演奏時間が50分でハイドン、モーツァルトの交響曲の約2倍であり当時の常識を覆えした。第3楽章で舞曲・メヌエットに代わり諧謔的スケルツォを導入し、第4楽章では他で使用した「何となく弱々しい旋律」を堂々とした変奏曲に大改訂して終楽章を締めくくるので、第9番が登場するまではベートーヴェンの作品の中でも一番長大かつ偉大な交響曲との印象を与えた。

②同第5番は、冒頭「ジャジャジャジャーン」の音程とリズムが最後まで形を変え登場し全編の統一感を醸成。新しい試みで第3楽章と第4楽章切れ目なく演奏する。

③同第6番は、「交響曲は4楽章構成」の常識を破る5楽章形式。第5番同様、4楽章と最終5楽章切れ目なく演奏する。小川のせせらぎ、森の小鳥のさえずり、村人達の踊り、嵐の到来、それが過ぎ去った後の解放感を表すロマンティックな内容で「ウィーン古典派からドイツ・ロマン派への橋渡しをした作品」とも言われている。

④同第7番は、フランツ・リストが「リズムの権化」と称賛した様に、全編リズミカルな力と躍動感が溢れ、躍動感は第8番に受け継がれていった。

⑤同第9番は、最終の4楽章で声楽を導入した。一見単調な音符とメロディー「歓喜の歌」が形を変えて連綿と登場する。内容も宗教や人種の区別無く、人類手を取り合い「苦悩を乗り越え歓喜へ進む」理念を盛り込む。

⑥ピアノ協奏曲第5番(作品73)では、独奏者が腕前披露するカデンツアが冒頭に登場する。威風堂々・豪華絢爛たる作風で人々が「Kaiser(皇帝)」と称賛した。

⑦ヴァイオリン協奏曲(作品61)は1曲のみであったが、高貴・優雅な雰囲気で、後のメンデルスゾーンやブラームスのものと共に名曲中の名曲と言われている。

⑧ピアノ・ソナタで「悲愴」「月光」「熱情」と呼ばれる3曲は内容が充実しセットになって親しまれている。それ以外に第17番「テンペスト」第3楽章は何とも言えない美しさがあり必聴の要あり。(ついでに21番「ヴァルトシュタイン」も)

⑨最後の30番、31番、32番は「人生充分やり遂げた、苦労を乗り越えたとのベートーヴェンの達観の様相あり、大変味わい深い名作」と50年前の評論家記述を気に留めていたが、良さが分からず何となく敬遠していた。自分もそれなりの年齢になり、なるほど素晴らしいと実感し、3曲通しで約60分の作品として愛聴している。

この大作曲家に関する記述書は沢山あるが手短に纏めたものが無く、中には「あんた達とは違うのだ」と妙に取つき難さを演出して悦にいる「疑似クラシック音楽論者」も多いので、本文章が皆様にとり、良き音楽との出合いとなることを祈念し、筆を置く次第です。

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