8月会報(2017)

                                                                                                                                         
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8月会報(2017)


  
「お知らせ」


7月会報バス旅行1

①野外学習会のご案内(参加者募集) 

=秋の一日を皆さんで楽しく過ごしましょう!= 

野外学習会の詳細をお知らせします。多くの皆様のご参加をお待ちしております。
見学先はすでにご案内のように『平山郁夫シルクロード美術館』など下記の通りです。

シルクロードは中国の「一帯一路」政策で最近脚光を浴びておりますが、ISをはじめとする武装集団により、貴重な遺跡が失われつつあります。今日の悲劇を予想したかのようにシルクロードを描き続けた平山郁夫の絵画を通じて、シルクロードのロマンに接し、当時の文物や仏像等を通じて往時の文化に浸りたいと思います。

今回の学習会は出来るだけ多くの会員にご参加頂けるように、はじめての試みとして大型バス2台で、実施することにしました。行き届かない点や、不都合な事もあるかもしれませんが、皆さんのご協力で楽しい野外学習会にしたいと思います。
又、座席に余裕がある場合、ご家族・ご友人の参加も可能としますので、下記の参加申込の方法をご覧ください。

≪実施概要≫ 
8月会報野外学習会1

 〇 参加者多数のため、事前振込をお願いします。参加メンバー確定後、振替用紙を送付します。       

≪参加の申込の方法≫

Ⅰ.第1次受付
 下記3名が同じ場所で同時に受付します。いずれの電話に架けられても同じです。
8月会報野外学習会2
                 
上記時間帯以降は下記で受付ます。 
8月会報野外学習会3
 
⇒ご注意:8月21日(月)正午で会員の優先受付は終了、以降は会員の同伴者と並行受付になります。

Ⅱ.会員同伴者(家族・友人)の参加
 
8月21日(月)正午までに会員の申込で、座席に余裕のある場合、その枠内で受け付けます。
 ①同伴を希望する方がいらっしゃる会員は、会員申込時に氏名を申出ください。(原則1名)
 ②会員の申込順に従い満席になるまで順次振当てを行います。
 ③結果は8月22日中に申込会員へ連絡致します。

≪見学先等≫   
8月会報野外学習会5

≪特記事項≫

①乗車車両(1,2号車)の振当ては事務局にお任せ下さい。原則として五十音順です。同伴者は配慮しますが、他に会員同志で同一車両を希望される方は申込時申出下さい。
②身障者手帳をお持ちの方は、(個人資格で入館されると)両美術館とも入館料が減額または無料になるそうです。その場合、対象額を参加費から減額しますので申込み時にお申出下さい。
③キャンセルは10月15日(日)までとし、それ以降は費用の一部又は全額をご負担頂きます。
④その他の詳細は、参加者名簿を含め会報の10月号にてお知らせします。


②会報綴りの図書館収納について

                             8月会報会報全集1

会員の神尾龍三郎さんより、会報1号から190号のコピーをファイル4冊に綴ってご寄贈いただきました。先月から東京経済大学図書館1階の書架に収納されています。貸出はできませんが、手に取ってご覧いただけます。
ファイルは図書館1階の書架「和雑誌38(あ~さ)」に収納されています。作成してくださった神尾さん、収納を受け入れてくださった図書館、多忙な中で点検から収納までご尽力いただいた図書館スタッフの皆々様に御礼申し上げます。

③今年の特別企画(10月号~12月号掲載予定)の原稿募集中

テーマは「食」です。食に関する話題なら何でもOKです。
☆ 募集内容、応募規定は会報7月号をご参照ください。
☆ 大勢の方々からのご投稿を期待しています。
9月末日までにこのページ下の連絡先までお送りください。




◎ 7月8日(土) 学習会の要旨 
 

日 時:7月8日(土) 13:30~15:30                             
場 所:東京経済大学 5号館 E102教室  
テーマ:「戦場の現実からみたアジア・太平洋戦争」                                          
講 師:吉田 裕 先生(一橋大学大学院社会学研究科教授)
出席者:184名(会員:男性122名、女性:48名、
非会員:男性11名、女性3名)
8月会報吉田先生1

【講演要旨】

序:戦場のリアルな現実に対する想像力の衰弱?

1983年以来34年間一橋大学で教えている最古参の教員となってしまった。授業はパワーポイントは使わず、レジメと資料に沿って話す方法で行っているので、今日もその形で話したい。

今日のテーマについて最近感じることは、戦争・戦場のリアルな現実に対する想像力が衰えており、その背景には戦争の実態そのものが知られていない現実があると感じる。2008年の人口推計では、戦後生まれが全人口の75.5%、戦中派と重なる大正生まれが4.4%、戦争を体験した人の割合も10%を切り、軍隊経験者も数十万人(それも低い方)に減少している模様で、日本傷痍軍人会も4年前に解散した。戦争の体験とその記憶を持つ世代がいま消えてゆこうとしている。

1980年代の半ばには、自衛隊も実戦の経験者を持たない軍事組織となってしまった。第20代航空幕僚長鈴木昭雄氏は、防衛大学時代の上官から、「負けた国の軍隊が社会に正常に復帰するには、百年かかる。長い時間であり、君たちの時代には来ない。でも今から信頼を一つ一つ積み上げていかないと、その百年もない」との重い言葉を聞かされたと回想している。
敗戦に対する旧軍人の負い目や痛覚から、戦争の実態が若い世代に必ずしも正確に伝えられていない現実もあり、生身の人間が殺し殺される関係に投げ込まれる戦場への想像力は期待出来ない。
 
戦後、戦時の政治史や外交史はそれなりに研究されたものの、研究者の間では戦争や軍隊に対する忌避感から、軍事史の研究はとかく回避される傾向が強く、軍事史研究の中心になった防衛庁防衛研修所戦史室の「戦史叢書」全102巻も、数少ない戦史として貴重な記録でありながら、司令部が上から俯瞰した形の戦史であり、戦場の現場からの視点を欠いた記録である。しかも作戦中心の記述で、補給、情報、衛生などは全く無視されている。また、戦中の陸海軍間の対立が戦後の戦史研究にもそのまま受け継がれ、戦争の記録もすべて陸海軍別々に編集されている。

1. アジア・太平洋戦争、その戦局の展開

「アジア・太平洋戦争」としたが、あの戦争をどう呼ぶか、戦争の名称自体にも種々議論がある。
                               8月会報真珠湾攻撃2

第一期:開戦から1942年5月まで、日中戦争以来予算面も含めて戦争体制の整っていた日本軍の戦略的攻勢期であり、太平洋地域では未だ戦争準備の整わない米・英・蘭を圧倒して東南アジアから太平洋にかけての広大な地域を占領した。
8月会報ミッドウェイ海戦1

第二期:1942年6月から1943年2月まで、連合軍が反撃に転じ日本軍と激しいつばぜり合いを演じた戦略的対峙の時期。42年6月ミッドウェイ海戦で日本は虎の子の空母4隻とその艦載機を失い、8月ソロモン諸島のガダルカナル島に米軍が上陸し、翌43年2月日本軍が敗北して撤退し、同時に多数の新鋭輸送船や、航空機と熟練した搭乗員も失う。ただし、この時期でも太平洋での米軍の軍備は未だ十分ではなく、その弱点はオーストラリア軍によって補われ、ニューギニアなどでの戦闘は日豪間で戦われたことは、従来日本では余り知られていなかった。しかしオーストラリアは戦後東京裁判で天皇訴追を主張したり、中国と共に日本憲法に「すべて大臣は文民たるべし」との文民規定を挿入させるなど、日本に対して終始厳しい態度で接したのは、その対日戦争体験によるものである。

第三期:43年3月から44年7月まで、米軍の戦略的攻勢期で、日本の戦略的守勢期。アメリカの戦争経済が本格的に稼働、多数の空母が就航し、新鋭航空機の開発・量産により、日米の戦力比が逆転し、格差が急速に拡大。米軍は44年6月マリアナ諸島のサイパン島に上陸、日本海軍はマリアナ沖海戦で完敗し、機動部隊は事実上壊滅する。8月にはマリアナ諸島の喪失で、日本本土の大部分をカバーできる航空基地が建設され、新鋭爆撃機B29の本土爆撃体制が整備される。サイパン島の陥落では、初めて1万人規模の民間人の戦死者が発生する。
                             8月会報沖縄上陸2

第四期:44年8月から45年8月敗戦までの、敗戦必至になりながら、なお抵抗を続けた絶望的抗戦期。米軍は44年10月フィリピンのレイテ島に、45年1月にはルソン島に上陸。3月小笠原諸島硫黄島の日本守備隊を全滅せしめ、4月沖縄本島に上陸して6月までに日本軍守備隊の組織的抵抗を排除。
8月会報本土空襲1

それに先立つ44年11月からB29による日本本土の軍事目標への空襲が開始され、3月10日未明の東京大空襲を皮切りに、都市部への無差別絨毯爆撃が本格化して中小都市に至るまで壊滅、他方44年以降、陸海軍に輸送船として徴用された商船が潜水艦や航空機などの攻撃で予想を大幅に上回る損害を受けて原材料の輸送が途絶し、日本の戦争経済は壊滅状態に陥る。
                                   8月会報ポツダム宣言1

その状況下で、45年7月、米・英・ソ三国首脳のポツダム宣言が発表され、8月6日広島への原爆投下、8日のソ連対日参戦(日ソ中立条約違反)、9日長崎への原爆投下を経て、8月14日の御前会議でポツダム宣言受諾を決定し、9月2日ミズーリ号艦上で降伏文書に調印。

この間、全四期を通じて中国が大きな打撃を受けながらも対日抗戦を継続し、このため日本は多数の兵力を中国戦線に配備せざるを得ず、また46万人もの戦死者を出した点で、日本にとっては有史以来の大戦争だったにも拘わらず、戦後日本人の記憶の中では、真珠湾攻撃や、広島・長崎への原爆投下に象徴される太平洋戦争と、それに続く6年間の占領統治の陰に隠れて、日中戦争そのものが忘れ去られてしまったように見えると指摘する専門家もいる。

2. アジア・太平洋戦争における戦場の現実

戦没者数:総数310万人-1937年7月勃発の日中戦争以降の戦没者-(軍人・軍属230万人、うち朝鮮人・台湾人5万人、民間人80万人)
ただし、日本では、戦没者の年次別数字が公表されていないため、唯一、年次別戦没者数を公表している岩手県の統計を参考にして、日本全体の1944年1月1日以降の軍人、軍属の戦没者を推計すると、約201万人となり、民間人の戦没者80万人も大部分この時期の戦没として加算すると、281万人、即ち全体の91%が、44年1月以降の絶望的抗戦期のものと考えられる。

何故戦争終結の決断が遅れたのかについては、軍部、政府、天皇の責任、明治憲法の欠陥など種々の理由があり得る。

死の異常なありよう:アジア諸国の戦争犠牲者のことを忘れてはならないが
①餓死:戦死者に占める餓死の割合は、藤原彰氏は60%、秦郁彦氏は37%と人によって異なるが、何れにしても内外の戦史に類を見ない異常な高率で、国力無視の戦線拡大、補給軽視の軍事思想、マラリヤ対策など軍事医学の立ち遅れ、兵力動員の拡大による弱兵・老兵の増加などがその原因として指摘される。

②海没死:船舶の沈没による死没、船員の死没が35万人と多く海上護衛戦の軽視も一因とみられる。
8月会報神風特攻機1

③特攻:当初は空母の飛行甲板を一時的に使用不能にするなど、限定的目的だったが、次第に陸海軍とも航空部隊の主要戦法になり、4,000人が戦死したが命中率は10%程度と低かった。

④自殺や自殺の強要、友軍による殺害:過酷な戦闘や行軍に耐えきれぬ自殺、投降阻止、退却・万歳突撃時の自殺、人肉食のための自軍兵士の殺害などが目立つ。  

おわりに - 少年兵のこと

学童疎開や勤労動員だけではなく、予科練、少年飛行兵、少年戦車兵、海軍特別少年兵など満14歳から志願し、15歳、16歳で戦死した少年もおり、また満14歳で3か月の速成教育をうけて乗船した少年船員もいた。

【質疑応答】

                        8月会報吉田先生風景2

Q1. 特攻に関する天皇の責任と、特攻の命中率は?
A1. 部隊の編制は天皇の大権に属するが、陸軍は天皇の裁可を得ない形で既存の部隊に特攻機と特攻兵を派遣したが、海軍は天皇の裁可を得て「桜花」などの特攻隊を編成したので天皇の責任問題は生じ得る。命中率は、急降下で浮力が付くため意外に低く、10%程度とみられる。

Q2. 戦争に対する想像力の衰弱を話されたが、中国の最近の好戦的な拡張主義や、韓国の反日感情にはのように対応すれば良いのか、ご意見を伺いたい。
A2. 中国はある時期から、階級教育から愛国教育に切り替えた。共産党の指導で階級闘争に勝利できたと教えてきたが、愛国教育では共産党の正当性を抗日戦の勝利に求めるようになった。
昨年、30年ぶりに南京を訪れてその近代化に驚いたが、南京虐殺記念館の展示の結論が中国の国力が弱かったから侮られたとなっているのには違和感を覚えた。南京事件の被害者数についても、最近中国側に30数万人は多すぎるとして、せいぜい十数万ではないかとの研究も出てきているが、未だ国際会議などで議論できる段階ではなく、これにどう対応すべきかはなかなか難しい。韓国との関係も複雑だが、今韓国の若い研究者の中ではヴェトナム戦争に参加した韓国兵の現地での悪行(多くのヴェトナム女性のレイプ)や戦争犯罪に対する反省や研究が始まっているので、共に話し合える共通の土俵も出来始めたと感じている。

Q3. 戦争終結が遅れたのは、当時の国際環境の中で戦争終結の仲介を依頼出来る国がなかったからとも考えられるがどう思うか?
A3. 色々な議論もあるが、私は満州事変以後の軍の暴走を抑えきれなかった明治憲法の欠陥が最大の 問題だと考えている。
明治憲法そのものについては、一方で絶対主義的憲法とみる見方も多い中で、最近の研究ではむしろ立憲主義的憲法として
評価し直す意見も出ているが、私自身は戦争を防げず、終結も長引かせたところに、明治憲法の制度上の欠陥があった
と考えている。

Q4. 敗戦記念日を「終戦記念日」と名付けた経緯を知りたい。
A4. 戦没者の追悼をどうするかの政府方針は資料がなくてはっきりしないが、1952年サンフランシスコ講和条約が発効した後に1回だけ全国戦没者追悼記念式典が開催され、その後何も行われないままで、1963年に初めて終戦記念日が設定され、戦没者の追悼が行われるようになった。なお、1993年の8月15日に細川首相が初めて日本の戦没者のみならず、全世界の戦没者に追悼の誠を捧げると挨拶して以来、第1次安倍内閣も含めてすべての首相がアジア諸国への日本の加害責任に言及してきたが、それが第2次安倍内閣では言及されなくなり、「過去の歴史の教訓に学ぶ」との言葉も2015年から消えてしまい、明仁天皇のお言葉との違いも出始めている。
                                       (文責:天野 肇)



◎ 7月29日(土) 学習会の要旨

日 時:7月29日(土) 13:30~16:30                             
場 所:東京経済大学 2号館 B301教室  
テーマ:映画を読む会―『舟を編む』                                          
講 師:川井 良介 先生(東京経済大学コミュニケーション学部教授)
出席者:182名(会員:男性114名、女性:49名、
非会員:男性7名、女性12名)
8月会報川井先生1

【映画の概要】


『舟を編む』(2013年 石井裕也監督 松田龍平主演 第37回日本アカデミー賞最優秀作品賞受賞)
(原作 三浦しをん 2011年光文社 2012年第9回本屋大賞第1位受賞、2012年文芸書年間ベストセラー第1位)
「辞書は言葉の大海に浮かぶ一艘の舟。人は辞書という舟で、その海を渡り、自分の気持ちを最も的確に表す言葉を探し出して、誰かに伝えようとする。誰かと繋がりたくて広大な海を渡ろうとする人たちに捧げる辞書、それが<今を生きる辞書>『大渡海』だ。」この新しい辞書の編纂(舟を編む作業)は、10年以上を要するのが当たり前という気の遠くなるような作業だが、辞書作りに人生を捧げて来た老国語学者と出版社・玄武書房のベテラン編集者、新たに辞書作りに情熱を燃やし出す同僚等とともにこれに邁進してゆく、辞書編集部主任 馬締光也らの姿を描いた作品である。

<主な登場人物>
馬締 光也(まじめ みつや) 松田龍平
主人公。玄武書房辞書編集部員。27歳。大学院で言語学を専攻して入社3年目。当初、営業部に配属されるが、コミュニケーション能力が低く、厄介者扱いされているところを、辞書編纂の資質を見い出されて、辞書編集部に異動となる。
林 香具矢(はやし かぐや) 宮﨑あおい
馬締の住む下宿「早雲荘」の大家タケの孫娘。27歳。湯島の料理屋「梅の実」での板前修行のため、男と別れて京都から「早雲荘」にやって来る。馬締の良き理解者であり、妻となる。後に神楽坂に小料理屋「月の裏」を開店する。
荒木 公平(あらき こうへい) 小林 薫
玄武書房辞書編集部のベテラン編集者。入社以来38年間、辞書の編集一筋に会社人生を捧げ、その能力は、編集主幹の松本朋佑から高く評価されている。定年退職後、妻を看取った後、嘱託として、『大渡海』の編纂に携わる。
松本 朋佑(まつもと ともすけ) 加藤 剛
『大渡海』の編集主幹を務める老国語学者。荒木とともに玄武書房の様々な辞書の編纂に携わる。定年よりかなり前に大学の教授職を辞し、辞書編纂の道一筋に身を捧げた。「用例採集カード」を常に携帯して新語、俗語、流行語や誤用も収録しようと努めるなど、先進的気質の持主だが、『大渡海』の発行を見ることなく死去。妻 松本 千恵(まつもと ちえ) 八千草 薫
西岡 正志(にしおか まさし) オダギリジョー
玄武書房辞書編集部員。27歳。入社5年目。軽薄でチャラいが、社交的で交渉能力が高い。当初、辞書への関心は低かったが、馬締の影響を受けて次第に辞書作りに情熱を持ち始める。その矢先、宣伝部へ異動となる。営業部の三好 麗美(みよし れみ) 池脇千鶴と社内恋愛の末、結婚する。
佐々木 薫(ささき かおる) 伊佐山ひろ子
玄武書房辞書編集部の契約社員。40代前半の女性。「用例採集カード」の整理と分類が主な担当だが、実務能力は極めて高く、部内庶務を一手に引き受けている。
タケ(たけ) 渡辺美佐子
馬締が学生時代から住む下宿「早雲荘」の大家。林香具矢の祖母。トラさんという猫を飼っている。馬締の数少ない理解者であり、馬締を「みっちゃん」と呼び、ときどき夕食をともにするなどして可愛がっている。
岸辺 みどり(きしべ みどり) 黒木 華
辞書編集部員。女性ファッション誌の編集部から異動してきた入社3年目の女性編集者。当初、雑誌作りと辞書作りとのギャップに辟易するが、辞書作りを通して言葉の持つ力に気づき始める。

                            8月会報舟を編む1

「あらすじ」

1995年、玄武書房で38年間、辞書の編集一筋に打ち込んできた荒木公平が定年退職を迎えようとしていた。新しい辞書、『大渡海』の編纂に荒木の力を必要とする編集主幹の松本朋佑は引き留めようとするが、病気の妻の傍に居たいという荒木の意思は固く、荒木の後任探しが始まる。荒木の部下の西岡正志は、密かに交際している営業部の三好麗美から、言語学の大学院卒で真面目だが、社交性がなく、変人と噂され、部内で厄介者扱いされている馬締光也の情報を得る。荒木は早速、馬締と対面し、「右ということを説明できるかい?」と問う。「西を向いたとき、北に当たる方」と呟きながら辞書を引き始める馬締の姿に、荒木は辞書編集者としての資質を見い出し、後任者に決定する。

『大渡海』の編集方針は、マジ、ダサイ、グサイなどの略語・俗語・流行語や誤用、さらに「ら抜き言葉」や「憮然」のように日々変化を続ける言葉を解説して<今を生きる辞書>を目指す、見出し語が24万語に上る大規模なものだった。編集に10年以上を要するのは当たり前という新辞書編集作業は、気の遠くなるような地味な作業を続ける一方で、新たに生まれてくる言葉を集めるため、「用例採集カード」を常に携帯して、様々な場所で使われる言葉の用例をメモして収録する。荒木の指導を受けながら、街に出て言葉を探し、合コンにも参加して用例採集を続ける日々が始まる。人とのコミュニケーションが苦手で営業には向いていなかった馬締は、黙々と辞書を編んでいく仕事に生きがいを見つけ、情熱を燃やして打ち込んだ。やがて、荒木は退職していく。

水を得た魚のように辞書作りに取り組む馬締だが、仕事に対する怖さから膨大な言葉の海で溺れる夢を見る。仕事に疲れた馬締を励ましてくれるのは、馬締が学生時代から住む下宿「早雲荘」の大家のタケおばあさんとその飼い猫のトラさんだった。タケおばあさんは馬締の数少ない理解者で、馬締を「みっちゃん」と呼び、馬締の書籍収集に協力して、空き部屋を書庫に利用させている。ときどき夕食に馬締を誘うなどして可愛がっている。トラさんは馬締に懐いており、持ち帰りの仕事をする馬締の足元で眠るのだった。

ある満月の夜、トラさんの声で物干し場に導かれた馬締は、月光の下に美女と出会う。タケおばあさ
んの孫娘の林香具矢だった。香具矢は、板前修行のため、男と別れて京都から上京し、高齢のタケおばあさんと同居を始めたのだった。香具矢に一目惚れした馬締は仕事が手につかない。見かねる辞書編集部の契約社員・佐々木薫は、馬締の恋に気づき、松本編集主幹は、その成就を願って、「恋」の語釈を馬締の担当とする。佐々木の機転で、辞書編集部一同、香具矢が修行中の湯島の料理屋「梅の実」を訪れる。香具矢を一目見た西岡は「あんな可愛くて彼氏いないなんて、あり得ないだろ。」と馬締をからかった。ある夜、包丁を研ぐ香具矢の姿に見入っていた馬締が、かかってきた電話を香具矢に取り次ぐ。「私は、仕事を続けたいだけだから。もう、いいよ。かけてこないで。さよなら。」と受話器を置く香具矢。それは、別れた男からの電話だった。

数日後、日曜日だというのに籠って仕事をしている馬締の部屋に、香具矢の作った煮物を手にタケおばあさんが入ってくる。「美味しいです。」という馬締の呟きを大声で香具矢に伝え、合羽橋に行く香具矢に馬締を付き合わせる。熱心に包丁の説明をする香具矢の言葉を、馬締は用例採集カードに逐一メモする。合羽橋からの帰り、香具矢は馬締を遊園地に誘う。観覧車の中で香具矢は、「女が板前をやるって、やっぱり変かな?」と寂しそうに呟く。いつもは返答に窮するが、このときばかりは、「そんなことはありません。僕は香具矢さんの料理が好きです。」と即答する馬締だった。

西岡や佐々木から香具矢への告白を促されていた馬締は、「恋文」を書き上げ、西岡に意見を求めるが、西岡は「恋文」を開くなり唖然とする。毛筆による行書体で書かれていた。「戦国武将じゃねぇんだぞ。」とあきれる西岡の携帯に三好から電話が入る。社内に『大渡海』の出版中止の噂が流れている。その出所は村越局長だった。語釈の執筆を社外に発注して既成事実を作り、出版中止を撤回させるという西岡の策で、辞書編集部は学者・文化人に電話攻勢をかけて執筆を依頼し、西岡と馬締は村越に談判に行く。「辞書は金を食うばっかりで…出版の頃には電子辞書に取って代わられる…」と渋る村越は、新辞書企画続行の条件として、今後、辞書と名の付くものは、子供向け怪獣辞典も含めてすべて辞書編集部に回すと無理難題を押し付けるが、馬締は「やります。」と即答し、『大渡海』の存続を認めさせた。その後、西岡だけが局長室に残され、宣伝部への異動を告げられたのだった。

西岡からインパクトがあるから想いは伝えられると、そのまま渡すことを勧められた馬締は、その夜、「読んでください。」と、「恋文」を香具矢に渡す。翌日深夜、香具矢は憤って帰宅する。「あれ、私が読めると思って書いたの? 達筆過ぎて読めないから、仕事の後、お店の大将に読んでもらった。」と、気恥ずかしさから怒っていたのだった。「手紙じゃなくて言葉で聴きたい。みっちゃんから聴きたい。今。はっきり言って!」との催促に、馬締は「好きです。」と勇気を振り絞る。「私も。」と答える香具矢だった。馬締が担当した「恋」の語釈は、「ある人を好きになってしまい、寝ても覚めてもその人が頭から離れず、他のことが手につかなくなり、身悶えしたくなるような心の状態。/成就すれば天にものぼる気持ちになる。」となっている。

辞書編集部の作業は続く。『大渡海』の編集に情熱を傾け出した西岡に、馬締は現代語の語釈の担当を任せることを提案する。西岡の宣伝部への異動を残念に思う馬締は、西岡と三好を「早雲荘」に招く。その酒宴の席で西岡は、三好との結婚を宣言するのだった。

12年の歳月が流れた。馬締と香具矢は結婚し、二人を結び付けたタケおばあさんとトラさんは既に他界していた。馬締は辞書編集部主任となり、膨大な作業に追われ、妻を喪った荒木は嘱託として戻ってきた。『大渡海』の出版をいよいよ翌年に控え、多忙極まる辞書編集部に岸辺みどりが異動してくる。その歓迎会は、神楽坂で香具矢が営む小料理屋「月の裏」で開かれた。岸辺は、女性ファッション誌の編集部に所属していた入社3年目の女性編集者であるが、5回もの校正を行う辞書編集の緻密作業と馬締の変人ぶりに辟易としていた。「あけぼの製紙」営業部の宮本が『大渡海』用に開発した試作品の用紙を持ってくる。馬締は「ぬめり感がない。指に吸い付くようにページがめくれない。」と、欠陥を指摘し、宮本は改善のため持ち帰る。岸辺が残業しているところへ西岡が訪ねてくる。西岡は岸辺が整理中の書類から「ダサイ」という見出し語を引っ張り出す。そこには用例として「酔ってプロポーズとかマジ、ダサイよね」と書かれていた。西岡は自分が書いた語釈で、用例は実体験に基づいたと打ち明ける。自分の言葉が辞書に載る醍醐味を知った岸辺は、辞書編集者としての自覚に目覚め、『大渡海』の編集に熱意を燃やすようになる。
 
辞書編集部は大量に学生アルバイトを雇い入れ、連日、校正作業に追われ、西岡も『大渡海』の宣伝に奔走する中、松本と馬締は、ファーストフード店での女子高生の会話に耳を澄ませるなど、用例採集を続けていた。宮本は用紙の改善に汗を流し、『大渡海』の装丁も海を渡る舟をイメージする試作が重ねられた。『大渡海』の発売は来年3月と決定される。

夏が過ぎ、松本と「月の裏」で食事する馬締は、松本の体調が思わしくないことを知る。一方、アルバイトの学生からの指摘で、見出し語「血潮」の欠落が発覚する。馬締は「一つ抜けているということは他にも可能性がある。」と、急遽、校正作業を中断して、第四稿と全項目リストを付き合わせる作業を泊まり込みで行うことを決定する。泊まり込みの用意に帰宅した馬締の携帯に、松本が入院したとの連絡が入る。馬締の代理で見舞いに訪れた香具矢は、松本の妻千恵と会い、検査入院であることを知る。泊まり込み作業を続けている辞書編集部を、村越局長が訪れ「3月発売は約束ですよ。」と念を押す。「もちろんです。」と返す馬締。「期待しています。」と、村越は差入れのパンを配って歩く。西岡の方は『大渡海』の一大販売促進キャンペーンを企画する。1か月に及んだ泊まり込み作業の結果、「血潮」の他には欠落がないことが判明する。「問題ないです。抜けなし。ご苦労様。」との馬締の声に学生たちは拍手と歓声で沸き返った。

荒木と馬締は退院した松本を自宅に見舞いに行き、松本から食道に癌が見つかったことを告げられる。自分の体のことより『大渡海』の完成を心配する松本の言葉に、二人は作業を急ぐことを確認し合う。余命少ない松本のためにも完成を急ぐ馬締は、正月も仕事に没頭し、馬締の体を心配する香具矢は、懸命に支えようとする。正月が明け、馬締の帰宅は連日深夜となり、店を終えて帰って来る香具矢の作る夜食を一緒に食べる日々が続く。1月末、遂に印刷所の輪転機が稼働し始める。刷り上がったばかりの裁断前の紙を筒状に丸めて、馬締は再入院した松本の病室に急行する。……だが、松本は『大渡海』の完成を楽しみにしつつ、それを待つことなく、2月半ば他界した。

3月、『大渡海』は予定どおり発行され、出版記念パーティーが華やかに催される。馬締の表情はさえない。最大の功労者である松本は、遺影となって会場の片隅にいた。荒木は白い封書を馬締に差し出す。それは松本が死の間際に荒木に宛てた手紙だった。そこには、最後まで監修者としての責任を果たせなかった詫びと荒木と馬締への感謝の言葉が綴られていた。「15年か、長かったなぁ。」と振り返る荒木に、馬締は「明日から改定作業に入らなければいけませんよ。」と前を向く。

夏、馬締と香具矢は、松本の新盆に千恵を訪ねる。その帰り、タクシーをしばし止め、二人は松本の愛した海に見入る。「これからもお世話になります。」と頭を垂れる馬締に「みっちゃんはやっぱりおもしろい」と微笑む香具矢だった。
辞書の編纂に終わりはない。希望を乗せ、大海原を行く舟の航路に果てはない(原文)。

[解説要旨]

1. 辞書と辞典

「辞書」という用語は、比較的新しく、幕末から使用された。『和蘭時辞彙』(1855~58年発行)、仮名垣魯文『西洋道中膝栗毛』(1870~76年発行)、森鴎外『舞姫』(1890年発行)に「辞書」が使用されている。
「辞典」は、「辞書」のやや新しい呼称で、明治以降辞書名に用いられるようになった。明治11年(1878年)物集高見『日本小辞典』、同21年高橋五郎『漢和雅俗いろは辞典』、同29年大和田健樹『日本大辞典』。

2. 参考図書-事典と辞典

参考図書には、事典と年鑑がある。事典は、事物・事象について説明したもので、言葉や文字の読み方、意味を明らかにする辞典と区別するため、事典は「コトテン」、辞典は「コトバテン」とも読む。事典には索引がある。
年鑑には、『朝日年鑑』、『読売年鑑』、『時事年鑑』、『電通広告年鑑』等があったが、現在存続しているのは、『読売年鑑』のみである。

3. 辞典の種類

国語辞典の種類には、大型、中型及び小型がある。大型は『日本国語大辞典』で、全13巻+別巻からなり、50万語を収録している。中型には『広辞苑』(24万語)、『大辞林』(23万8千語)、『大辞泉』(25万語)がある。小型は『岩波国語辞典』(6万5千語)、『三省堂国語辞典』(8万2千語)、『新明解国語辞典』(7万7千語)、『明鏡国語辞典』(7万語)等である。

4.国語辞典の歩み
 
明治期の普通辞書である国語辞書に先行して、江戸時代末期の辞書や幕末の対訳辞書があった。江戸時代末期の三大辞書と言われる『倭訓栞』、『雅言集覧』、『俚言集覧』は、それまでの漢字中心ではなく、仮名による見出しを立てて、語釈の後、例文を提示している。

明治政府は、近代国家確立のための一方策として国語辞書編纂を試みた。明治4年、文部省は木村正辞ら10人の学者に官製国語辞書の編纂を命じた。しかし、語の収録や解釈をめぐって意見がまとまらず、その辞書『語彙』は、明治4年~17年刊行の初編13冊にとどまり、ア行のエ部で頓挫した。その体裁は、『倭訓栞』や『雅言集覧』を想起させるもので、古典辞典のようである。また、文法が確立していなかったので、語と句が区別されていない。

このような過程を経て、1891年(明治24年)、日本初の近代国語辞典『言海』が刊行された。国語学者大槻文彦が文部省の命で編んだ。後の『大言海』である。欧米各国で国語を統一し、辞書を編纂する機運が高まっていた。日本にとって国語辞典の刊行は、列強の仲間入りを象徴する国家事業だった。高田宏『言葉の海へ』は辞書に捧げた大槻の生涯を描いている。国語学者8人が集まったが、「アイウエ」で挫折し、多人数で議論するより一人に任せようと大槻の双肩にかけることになった。語源が不明、動詞の語尾の変化が定まらないなど、17年に及んだ編纂中に幼い子と妻を病で失った。

5.広辞苑
        
8月会報広辞苑1

『広辞苑』は1955年に発行された。1935年に発行された『辞苑』が元になっている。1998年発行の第5版では「どたキャン」、「目が点になる」、「一押し」、「とほほ」といった「現代語」を収録したことが話題になった。『広辞苑』は一番スタンダードなものだが、類書の『大辞林』や『大辞泉』には、図版や特集、レイアウト、巻末の付録などに工夫が見られる。『大辞林』や『大辞泉』は、近代の用例を積極的に取り上げているが、『広辞苑』は、第五版でも古典用例だけで、近代の用例を載せるというという方針は採らなかったようだ。

6. 新明解国語辞典
                           8月会報新明解1

「水泳」という語は、『広辞苑 第五版』に「水の中をおよぐこと。水およぎ。」と定義されている。一方、『大辞林 第二版』では「人が、スポーツや楽しみで水中を泳ぐこと。水練。遊泳。みずおよぎ。およぎ。」とされている。『大辞林』の定義は、『新明解国語辞典』の「〔人間が〕スポーツとして水中を泳ぐ・こと(術)。」を踏襲している。産卵のために川を上る鮭は水泳をしているのではない。海難事故で救助を待つ人間は水泳をしない。そこまで言ってくれなくてもいいと思うようなところまで、あえて記述する。そこが『新明解国語辞典』の特色であり、多大の愛用者を持つ理由だろう。

7.用例採集

言葉集めを辞書の世界では「用例採集」と呼ぶ。『三省堂国語辞典』の生みの親、見坊豪紀は生涯で145万語の用例を集めた。現在の編纂者、飯間浩明さんは、「日常生活で出会い、気になった言葉はすべて記録したい」と、新聞やテレビ、ネット、街中の看板まで探し回っている。

≪質疑応答≫
8月会報川井先生風景2

Q. 日本は、先進国の中で数少ない、憲法に日本語が公用語であることの記載がない国である。このこ
とについてどう考えるか。
A. 日本国民は、日本民族が圧倒的多数を占めていたので、公用語を定める必要がなかった。今後、外国人の流入が増えれば、50年後か100年後か分からないが、必要があるかもしれない。
                                       (文責:山岸信雄)



(編集後記)
東経大キャンパスでの学習会は全て終了しました。寒暑をいとわず学習会に出席してくださった皆様、ありがとうございます。学習会開催に関しては東京経済大学より、教室・設備・備品の使用、校務職員による会場・受付の設営などの全てを無償でご提供いただいております。あらためて感謝の気持ちを表したいと思います。会報9月号は休刊ですが、10月からは特別企画「食」の掲載が始まります。皆様のご投稿が頼りの企画ですので、奮ってご応募ください。厳しい残暑が続きますが、どうぞますますお元気で。                                              
                                      (編集長 大崎尚子)
(9月の会報は休刊となります)
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