7月会報(2017)

         
                         7月会報アサガオ1
       
       
7月会報         
     

                                        
「お知らせとお願い」      



◎7月の学習会【その1】

7月会報吉田裕先生ⅰ

日 時:7月8日(土)13:30~15:30   
場 所:東京経済大学 5号館 E102教室……教室変更                                   
テーマ:「戦場の現実からみたアジア・太平洋戦争」                                     
講 師:吉田 裕 先生(一橋大学大学院社会学研究科教授)

(講師のプロフィール)
1977年東京教育大学文学部(史学科日本史専攻)卒業。一橋大学大学院社会学研究科修士課程、同博士課程で日本近現代政治史を専攻。1983年同課程単位取得退学。同年一橋大学社会学部助手に始まり、講師、助教授、教授を歴任し、現在は同大学院社会学研究科教授。
主に、近代日本における政・軍関係の研究(特に軍部の研究)、南京事件に代表される戦争犯罪の研究、天皇制及び昭和天皇の戦争責任問題、戦争史・軍隊史研究、東京裁判研究、日本の戦後処理問題、日本人の戦争観と歴史認識の問題等々。著書に『現代歴史学と軍事史研究』(校倉書房2012年)、『兵士たちの戦後史』(岩波書店2011年)。その他著書・論文多数。



◎7月の学習会【その2】(映画を読む会)

日 時:7月29日(土)13:30~16:30……終了時間が遅くなります                                  
場 所:東京経済大学 2号館 B301教室 
テーマ:映画を読む会『舟を編む』                                       
講 師:川井 良介 先生(東京経済大学コミュニケーション学部教授)                         

(講師のプロフィール)  
1947年生まれ。1972年明治大学商学部卒業、1976年同大学大学院政治経済学研究科修士課程修了。1979年上智大学大学院文学研究科博士課程単位取得、新聞学専攻。以降は『世界大百科事典』(平凡社)や『日本大百科全書』(小学館)に寄稿するほか、非常勤講師の立場で教育・研究活動に従事。
1991年~97年、山梨英和短期大学情報文化学科にて助教授、教授。2001年東京経済大学コミュニケーション学部教授に就任、現在に至る。著書に『世論とマス・コミュニケーション』(ブレーン出版)、『出版メディア入門』(日本評論社2012)など。 


  
◎『野外学習会』のお知らせ(事前予告)

                             7月会報バス旅行1

本年最後の行事になります『野外学習会』の日程・場所が下記の通り決まりました。
詳細は会報8月号でご案内しますが、多くの方にご参加頂けるよう、大型バス2台
実施の予定です。今から予定に入れておいて下さい。(会費:6,000円の予定)

                  記
1.日  時:2017年10月24日(火)午前7時15分 JR国分寺駅南口集合
2.見学先等:☆平山郁夫シルクロード美術館(北杜市)
        ☆大村美術館(韮崎市)
        ☆昼食は話題の“三代校舎”のある「おいしい学校」(北杜市)
        ☆(帰りには)シャトレーゼベルフォーレワイナリー(甲斐市)



◎《原稿募集》 テーマは「食」  

「食」をテーマに短文を募集します。

食に関する内容でしたら、何でも。例えば、好きな食べ物、自慢の料理、あなたの家の
お雑煮、思い出の味、お弁当、地方の名産品、珍しい料理、こんなものを食べた、ある日
の食卓風景…等々、自由にお書きください。

・原稿用紙でなくても結構ですが、タイトルとお名前を除き、本文400字以内でお願いします。
・このページ下の連絡先まで、郵送・メール・ファックスでお送りください。
締切日は9月末日です。
・掲載は10月~12月を予定しています。




◎6月10日(土)学習会の要旨                           
 
日 時:6月10日(土) 13:30~15:30                             
場 所:東京経済大学 2号館 B301教室  
テーマ:「高齢者の生活問題と社会福祉・社会保障サービス
~ 一人暮らし高齢者の増加を背景として」                                          
講 師:奥山 正司 先生(東京経済大学名誉教授)
出席者:197名(会員:男性139名、女性50名、
          非会員:男性3名、女性5名)
7月会報奥山先生3

【講演要旨】

〇はじめに

本題に入る前に、10日程前に韓国・ソウルにて開催された「高齢者差別の実態とその対応策」の招聘国際シンポジウム(英・仏・独・米・シンガポール他)に出席してきた。懇親会の席上、韓国社会の自殺のことが話題になっていたので、ここではそれを導入として取り上げることにする。その後、本題である「日本における後期高齢者(75歳以上)と一人暮らし高齢者」に焦点をおき、彼らの生活問題を事例的に述べ、その対応策を明らかにしたい。
                                5月会報高齢化社会1

なお、レジメのデータは、断りがない限り総務省及び厚生労働省の資料を加工して作成したもの及び当時調査研究に委員として参加し、その時に分析した資料である。

〇報告内容

10年ほど前から、韓国では生活不安が原因となって、高齢者の自殺率だけでなく若者の自殺率も、世界のトップクラスを持続している。ソウル市内の漢(ハン)江(ガン)にかかる麻浦大橋からの投身自殺が5年間で200件を超えるほどにのぼっている。韓国政府やソウル市ではその対策として、橋の欄干から電話ができるホットラインを設置したり(心理カウンセラーが相談に乗るシステム)、橋に「慰めの銅像」を設置したり、欄干に家族、愛・友人などをテーマにした写真を貼ったりして、生きる希望を与えるメッセージを発信している。それに対する市民の対応は、まちまちであり、その効果は道半ばである。
7月会報朝浦大橋1

つぎに高齢者の生活問題に話題を変えるが、東アジア(日本・中国・韓国)の中で、日本はどのような位置づけができるのか、まず人口学的な側面から検討していきたい。

日本・韓国・中国の出生率の低下と老年人口の増加、労働力人口の減少については、日本が先行し、韓国と中国が後を追っている。老年人口が14%以上になった時期は、日本では1990~95年だったが、韓国では2015~20年、中国では2025~30年頃と予想されている。日本の高齢化は西欧に比較すると後発国であるが、高齢化するまでが短期間で急速であるというのが特徴である。しかし、韓国と中国は日本より後発であるが、更により短期間に高齢化を迎える勢いである。高齢化という現象は労働力人口の減少と老人を養う費用の増加を意味することから、それは大きな社会問題となっている。
                         7月会報出生率推移1

高齢者の生活問題は単に身体的側面(疾病、要介護など)ばかりでなく、精神的(不安、孤独・孤立感の増加、孤立・孤独死、認知症の増加、無為=生きがいの喪失)、経済的(収入の減少、年金による生活)、社会関係的(配偶者の死、身内友人等との関係縮小)などの問題を抱えている。こうした現象は、中年期の生活と密接に関連しているので、東京都では、同一人物を長年にわたり継続的な追跡調査をしている。

日本の年少人口100人に対する高齢者の割合は1950年には14人だったが、2015年には214人と、こちらも高齢者の数が大幅に上回っている。2015年には、就労人口100人が44.2人の高齢者を養っていたが、2030年には54.4人、2060年には78.4人を養う社会になると見込まれている。
7月会報100歳以上人口推移1

健康・長寿であることはこの上なくいいことであるが、100歳以上の人口の動きによってその動きを垣間見ることができる。すなわち、1963年(この年、老人福祉法ができた)には153人だったが、2016年には65,692人となった。人数は女性が圧倒的に多い。また、2013年の平均余命は男性が80.21歳、女性は86.61歳になり、結婚した場合の夫婦がともに生存している期間も長くなってきている。ところが、余命の男女差はますます開いてきており、結婚時の男女の年齢差が平均して3歳であることを加えると、女の一人暮らしの期間が平均して10年ほどにもなる。また、90歳ぐらいまで生きる人が増えていることから、この期間を健康で生きることがより重要になってくる。

昭和40年代には老人の7~8割が子供世帯と同居していたが、現在は老人の単独・夫婦のみの暮らしが70%近くになっている。それは、日本の家族形態や制度が長子相続・同居(直系家族)から夫婦家族の欧米型に移行しているということである。日本は欧米型のプライバシー重視のメリットを生かそうとしてきたが、介護に直面するとサポート体制が弱体化し、近年大きな課題となっている。

ところで、2000年から2009年の間に、介護保険認定で症状の軽い要介護1と要支援1、2の人が140%増加した。また、施設に入居資格のある要介護3以上が133%も増加している。国は従来介護保険でカバーしていた要支援1、2を昨年から市町村に引き渡したため、これが市町村の大きな負担となっている。要介護認定率は80~84歳以降に増えるので、今後この問題はさらに大きくなる。

認知症高齢者(要介護2以上)は2015年には345万人だったが、2025年には470万人に達すると見込まれている。要介護2の基準は「日常生活に支障はあるが生活できないわけではない人」であるが、それ以上の基準の認知症高齢者の圧倒的多数が自宅居住者である。施設はまだ多くの高齢者を収容することができない状態である。

〇生活問題の具体的事例

高齢者世帯の所得について言えば、年間200万円以下の世帯が多い。特に、一人暮らし女性は低所得の傾向が高い。
日・韓・中の一人暮らし分布表からは、日本と他の2国との違いが見て取れる。日本では韓・中とは異なり、都市部に住む一人暮らし高齢者が多い。国勢調査によると、この傾向は都心部で著しく、新宿区、港区、豊島区などでは65歳以上の約45%が一人暮らしである。

一方、過疎地域(愛媛県久万高原町旧柳谷村)の例では、約90%が一人暮らし又は高齢夫婦のみの世帯である。過疎地では軽トラックによる巡回販売などが行われているが、十分な回数ではない。大都市部では個人商店が廃業し、エレベーター無しのマンション等に居住する高齢者が買い物に不自由する事態になっている。いわゆる買い物難民である。

また、別居している親子の対面接触(交流)が比較的多い欧米に比べて、日本では月一回、年数回、あるいは盆と正月程度と、接触頻度が少ない現実があり、孤立・孤独の問題につながっている。

ここで孤立と孤独の概念を紹介する。孤独(loneliness)とは主観的概念で「寂しさ」及び「仲間がいないこと」。孤立(isolation)とは客観的な概念で、他者と物理的・空間的に隔絶している状態をいう。孤独死・孤立死の概念は不明瞭で、その定義は都内でも地区によって異なることもある。

1960年代につくられた最も初期の大規模団地である松戸市常盤平団地では、59歳の一人暮らしの男性の死が3年経って発見された例がある。近隣との関わりがなく、コミュニティ機能が喪失しているため、公共料金の銀行口座の引き落としが不能になるまで、誰も気が付かなかったのである。孤独死は60代前半の男性に際立って多い。離婚・未婚・失業などが重なって、外出を始め社会的活動を控えて、孤立している実態が多い。女性は4分の3が70歳以上の寡婦が中心である。
7月会報1老人ホーム2
 
施設入所に関しては、特別養護老人ホームが不足しているため、入居待機者は全国的で52.4万人、東京都だけでも5万人いる(2014年)。そこで、貧困層の高齢者はやむを得ず簡易宿泊所に似ているサービス付き高齢者住宅に入居しているケースが多い。川崎市の劣悪な宿泊所の火事により、多数の高齢者の死者が出たことは記憶に新しい。このケースでは、入居者74名中70名が生活保護者であった。

一方、東京都多摩地域の一部地域では、特養などで空き室がぽつぽつみられるという。その理由は、入所を希望している特養待機者に空いた知らせを伝えると、家族や本人が断ってくるケースがみられるからであるという(多摩地区の介護保険関連の検討会)。その原因は低額な年金では個室に入居できず、利用料金の支払いが無理だとわかったからである。グループホームも月の経費が20万円程度必要な現状では、入居者が限られる。日本の社会保障制度は未だこの程度である。

一方では、施設のための土地が無い杉並区が静岡県に特養を建設したように、離れた県に施設が作られるケースがある。過疎の地方にとっては雇用を生み出すメリットがあるため、東京都へは地方からの申込が多く、杉並区が成功事例になれば、この傾向は今後増加すると思われる。しかし、東京都と受け入れる県両方の許認可権や役割分担が必要になるほか、子どもや友人との接触が困難になり、ノーマライゼーションの原理に逆行している。

〇生活問題への対応

買い物弱者に対しては、身近な場所に店を作る、家まで商品を届ける(スーパー、コンビニ等)、家から人が出かけやすくする、などの対応が考えられる。また、コミュニティとしては、マップなどを作って介護予備軍を把握しておくなど、地域ごとの課題に対応していくことが求められる。

高齢者の住まいの工夫について、日暮里では、共同居住型集合住宅(コレクティブハウス)を作った。建物の下層階には保育園、クリニックなどのテナント、中層階には介護型シニアハウス、高層階には自立型のライフハウスを入れている。若い人の家賃は安くする代わりに、月に1回だけ食事を作り老人にふるまうノルマを課すなどして、世代間扶養のコミュニティを目指している。家族間の関係が希薄になっている現在、このような工夫は他の地域にも広がりつつある。

〇今後の対応策

「住み慣れた自宅や地域で最後まで暮らしたい」そんな高齢者の希望の実現のために、政府は地域包括ケアの実現を目指しているが、私は施設ケアから在宅ケアへの転換が必要になると考えている。北欧では基本的に、施設に入っていても施設という概念を無くそうという方向であるから、入居者が自立して暮らせるような設備になっている。これは人が最後まで生きる力を生み出せるような施策であると思う。

そこで、①元気な高齢者から要介護高齢者までが生活できるよう、地域のなかで継続した対応策を取る。②高所得者も低所得者も入る施設は同じく、老後は貧富の差を無くして平等にサポートしていく。③デンマークなどの北欧社会にみられるように、地域で若い世代と共に生活できるようにすることを基本にコンセプトを据え、高齢者自身も若い世代と一緒に元気で自立できるように心掛ける、ことなどが必要と考える。
                                             7月会報奥山先生4

質疑応答

Q.1 北欧では、日本の高齢者の健康、社会性など、どのような点を注視しているか。
A.1 日本文化そのものに対しては高い評価をしている。しかし、多くの人は、日本の高齢者の施設を知っているわけではないので、昔のイメージ(子が親を扶養する、など)を抱いている人が多いかもしれない。デンマークでは小学校でも少人数のクラスに副担任がいて、落ちこぼれを救うなどの対応をしている。学校でも家庭でも幼い時から自立や個人を尊重して生活している。

Q.2 電話、メール、手紙など、コミュニケーションの手段はいろいろあるが、接触とはどの範囲を言うのか。
A.2 通りすがるだけでは「会う」とは言わない。感情が相互に行き交って初めてコミュニケーションができる。直接会うことや、遠く離れている場合の電話は接触である。メールは高齢者にとってはまだ一般的ではない。

Q.3 人口の減少と高齢化が進んでいるが、一人一人の意見を聞き、議論をし、行政で施策に乗せるような方策はないものか。
A.3 デンマークは小国なので、地域の高齢者代表の発言を高齢者委員会で吸い上げ、個人のニーズを国に届けることが可能になっている。日本でも高齢者組織の代表が、個人が求めているものを代弁するシステムが必要であると思う。(文責 大崎尚子)



◎6月24日(土)学習会の要旨

日 時:6月24日(土) 13:30~15:30                              
場 所:東京経済大学 2号館 B301教室  
テーマ:「安全保障の本質について」                                          
講 師:藤原 修 先生(東京経済大学現代法学部教授)
出席者:190名(会員:男性140名、女性44名
          非会員:男性5名、女性1名)

7月会報藤原先生2

【講演要旨】

<はじめに>

2014年12月に国分寺市民大学講座で安全保障に関するテーマで話をした際には、当時大きな政治的争点となっていた安保法制、集団的自衛権の行使という、具体的な問題を中心に取り上げた。

その後、安保法制が成立・施行され、PKOの駆け付け警護、アメリカの軍艦の護衛等がすでに発令・実施段階に入り、また北朝鮮のミサイル発射、日米軍事協力の強化、沖縄の米軍普天間飛行場移転に伴う辺野古の埋立工事の強行、さらには憲法9条改正が東京オリンピックの年に合わせて政治日程に上るなど、安保問題は日本の政治において一層重大性を増してきている。

そこで今回は、このような個々具体的な安保問題を考えていく上での基本前提となるような原理的側面に光を当ててみたいと思う。

「クェーカー派の英国人神学者の話」
7月会報クエーカー教徒1
                  7月会報ポーランド侵攻4

まず、私の平和・安全保障研究の出発点であり、帰着点ともなっている一つのエピソードを取り上げたい。1939年9月、ヨーロッパで第2次世界大戦が始まった時、絶対平和主義の宗派として知られるキリスト教クェーカー派のある高名な英国人神学者は、ちょうど兵役年齢に達していた二人の息子について次の様に語ったという。

「彼らは自己の信条から戦闘に参加できないが、救護部隊などの軍事救援組織(イギリスが空襲を受けた時にクェーカー教徒は救護で活躍した)で活動するか、投獄されることを覚悟の上で絶対平和主義を貫き代役の役務も拒否するか、兵役に就いて戦闘に参加するか、何れを選択しても、私は彼らを支持する。ただし、彼らはどのような選択をしても、決して満足はできず良心の呵責に悩むだろう。」

ここに見られるのは、戦争と平和をめぐるギリギリの選択には、ベストと言うものはあり得ないという厳しい現実である。戦後の憲法9条を中心とする平和・安全保障をめぐる論争は、神学論争とも言われ、建設的な議論に結びつくことなく、すれ違いや非難の応酬に終始してきた。それは、現行憲法制定、安保体制成立、自衛隊発足から60年以上を経た今も基本的には変わっていない。その様な不毛な議論から抜け出すためには、まず、平和・安全保障をめぐる問題には、そもそも原理的に「正解」がないことを理解しなければならない。

1.戦争と平和―安全保障をめぐる思考と判断

そのうえで、合理的な政策的合意を実現する手立てとして、安全保障政策をめぐる判断を、大きく主観的条件と客観的条件の両面に分けて考えてみることにする。政策課題について適切な答えを正しく導くには、まずその課題をめぐる客観的条件の的確な認識が必要である。

安全保障の場合、自国を取り巻く国際関係、自国や周辺国、関係国の政治社会状況などを正確に知ることが欠かせない。そのような客観的条件は、基本的な事実関係認識として問題当事者に広く共有されやすい。しかし、同じ様な状況認識があったとしても、これへの対応に差が出てくることがある。

すなわち、保守とか革新とかの政治的立場の違い、それぞれの価値観・世界観の違いから、政策的な対応の仕方が違ってくる。そこで、平和・安全保障をめぐっては、どのような異なる思想立場があるのか、その代表的な類型を明らかにしてみよう。

2.戦争と平和をめぐる5つの思想類型

戦争をどの程度肯定し、あるいは否定するかを基準として、まず次の4つの基本類型が存在する。

(1)軍国主義 
戦争それ自体を価値あるものとして肯定する。これは、第2次世界大戦以降、戦争の破壊性があまりにも大きくなり、もはや現実に有力な思想とはなり得なくなった。現代における軍国主義的志向は、実際には、愛国心や軍隊的な犠牲的精神の強調以上のものではない。

(2)防衛主義(現実主義) 
軍国主義のように戦争それ自体を肯定するのではないが、平和・安全の確保のためには強力な軍事力が必要と考える。安全保障論の主流派的立場であり、政治的には正統的な保守主義に相当する。福沢諭吉の言う「戦を好まずして戦を忘れず」である。

(3)相対平和主義
防衛主義に対する最も強力なライバルであり、防衛主義のように強力な軍事力に依存することはかえって戦争を誘発すると考え、軍縮・平和外交の推進こそが平和への道と説く。ただし、次に述べる絶対平和主義のように、今直ちに戦争・軍備をすべてなくすことができるとは考えない。

(4)絶対平和主義 
文字通りあらゆる戦争・軍隊を否定する、平和主義を徹底する立場である。戦争を条件付きにせよ肯定し、想定する世界にあって、このように徹底するのは極めて少数の人々であるが、古来、特に宗教的信仰からこの立場をとる人たちは絶えず存在していた。
 
絶対平和主義は、一見単純明快に見えるが、この立場は、戦争の必要を肯定する世界にあって、どのようにその信念を貫くかで深刻なディレンマに陥る。

そこから、さらに3つの立場に分かれる。

a 楽観的絶対平和主義
7月会報ガンジー2

今直ちに戦争・軍隊をなくすことが可能とみる。具体的な政策としては、ガンジーやキング牧師らの非暴力抵抗をモデルとして主張する。しかし、具体的に実践に移そうとすると、直ちに現実の壁に直面し困難に陥る。

b 協力的絶対平和主義
楽観的絶対平和主義が差し当たり実行困難であることから、より実効性のある相対平和主義と足並みをそろえて軍縮・平和外交などに取り組む。しかし、相対平和主義が容認するような戦争に直面すると行き場を失う。

c 悲観的絶対平和主義
楽観的・協力的絶対平和主義の実践志向は結局、戦争の必要を認める世界において行き詰る。人類社会からは予見しうる将来戦争をなくすことはできないとみて、孤立を恐れずひとり絶対平和主義を守り、遠い未来における人類の回心を待つ。この立場は、現実世界の困難に対しては免疫があるが、極度に孤立的で社会的アピールに欠ける。しかし、歴史的にみて、絶対平和主義者たちの間で最も持続的なのは、この悲観的立場である。

(5)歴史的平和主義
このように平和主義は広く受け入れられやすい相対平和主義の場合、戦争肯定の要素が残り、絶対平和主義は社会的影響力を欠く孤立主義に陥る。しかし、20世紀後半期の世界においては、相対平和主義に基盤を置きつつも絶対平和主義に限りなく接近する平和主義が有力になりつつあるように見える。

ここではこうした現代型平和主義を歴史的平和主義と呼ぶ。この立場は、戦争の可能性や軍隊の必要性を否定はしないが、国策の手段としての戦争がもはや合理的なものではなくなってきている歴史的現実に注目し、戦争や軍隊・基地の存在に市民社会の価値観に即した厳しい制約条件を課すことで、事実上絶対平和主義に限りなく接近するというものである。
 
このような歴史的傾向の表れとして、世界最強の軍事大国として頻繁に軍事介入を行っているアメリカですら、兵士の犠牲者を出すことの政治的な敷居が非常に高くなっており、例えば、冷戦後に起こった旧ユーゴスラビアの内戦や現在のシリア内戦においても地上軍の投入は避け、軍事介入を空爆に限定している。
                   
                            7月会報無人爆撃機1

アフガニスタンでの対テロ戦争やイラク戦争においては地上軍が投入されたが、かつてのベトナム戦争におけるような大量の戦死はもやは政治的には受け入れられず、ドローン(無人機)のようなロボットの利用が増えている。また、沖縄米軍基地問題に典型的にみられるように、基地や軍隊といえども、市民の平穏な生活や良好な環境維持との両立が求められている。

このように、大きな歴史的傾向として、戦争や軍隊もまた市民社会の一般的な価値観やルールに服することが求められ、その活動や存立が許容される条件が厳しくなっている。このような歴史的傾向に即して、相対平和主義に厳しい条件を課すことで限りなく絶対平和主義に接近する平和主義が、ここでいう歴史的平和主義である。

3.歴史的平和主義に対応した安全保障政策

では、このような歴史的平和主義にふさわしい安全保障政策とはどのようなものか。これを定式化するのに役立つのが、冷戦終結直後に国連開発計画(UNDP)によって打ち出された「人間の安全保障(human security)」の概念である。
7月会報国連本部1

UNDPは、冷戦後に頻発した民族紛争、内戦においては国家安全保障の追求が逆に住民の生活上の安全を著しく損なう事態や、武力紛争がなくとも貧困や環境破壊によって人々の安全が脅威にさらされる事態を念頭に、現代世界の安全保障は、国家的・軍事的安全保障よりも人間の安全保障を中心に据えるべきことを唱えた。

この概念は急速に世界に拡がり、日本政府も早くから対外政策において取り入れている。この概念を使って、現代の安全保障政策の公理として次のようなものを導くことができる。「国家的・軍事的安全保障は、人間の安全保障と両立するものでなければならない。さらには、人間の安全保障に資するものでなければならない。」

この公理に沿って安全保障政策を実行するためには、防衛政策に対する伝統的な文民統制からさらに踏み込んで、防衛政策に対する市民的・民主的統制が必要となる。これは、安全保障政策の策定・遂行においても情報公開の義務や説明責任を課して、法の支配を貫徹させることを意味する。

4.憲法9条をどう見るか
                           7月会報憲法9条


(1)歴史的平和主義としての9条解釈

憲法9条は、歴史的平和主義を念頭に置くと、その意義が明快に理解される。憲法9条は、戦争の放棄、軍隊の不保持を規定しているゆえに、絶対平和主義の立場を表明しているように見えるが、憲法がおよそ国家の存立・維持を前提とする法規である限り、国家の存立・維持を無視してまで徹底した非武装平和主義を堅持するものとは解せられない。

すなわち、憲法上の平和主義は、その性格上つねに相対平和主義に立脚する。これまで日本国民に広く受け入れられてきた。戦争放棄・軍隊不保持の条項を維持しつつ、国家の存立・維持に必要な最低限の自衛力を容認するという憲法解釈は、絶対平和主義に近接する相対平和主義という歴史的平和主義の立場に符合する。この意味で、憲法9条は人間の安全保障の時代において、ますますその世界的・現実的意義を高めているといえる。

(2) 安保環境の変化による軍事力強化、改憲は政治的に合理的な判断と言えるか

しかし、そのような絶対平和主義に近似する9条平和主義に対しては、安保環境の変化を理由として、集団的自衛権行使を容認する解釈改憲が行われ、さらには明文による改憲を求める動きが強まっている。ここで重要なのは、いわゆる「安保環境の変化」の認識の妥当性である。
7月会報丸山真男1

歴史的平和主義の最も重要な根拠は、20世紀の戦争が、そのあまりに大きな破壊性ゆえに国策の手段としての合理性を失っているというものである。丸山眞男は、1950年に発表された平和問題談話会の有名な声明「三たび平和について」の丸山執筆担当部分で、核兵器に見られる究極兵器の登場と、それを可能にした近代国家の政治組織力の高度化と国際関係の相互近接性から、戦争は本来手段でありながら、もはや手段としての意味を失ったことを明快に指摘している。
                                    7月会報朝永信一郎1

物理学者の朝永振一郎は、近代科学は決して中立的なものではなく、その方法や発想において、人類の文明存続に脅威を与えかねないほどの破壊性を内在させているとの警鐘を鳴らした。(朝永振一郎『物理学とは何だろうか 下巻』岩波新書)日本国民が、9条戦争放棄を単なる理想としてではなく現実的な政策原則としていち早く受け入れ今日に至るまで守ってきたのには、広島・長崎の原爆体験に象徴的に裏打ちされた現代戦争についてのリアルな認識が背後にあった。

丸山は同じ文章の中で、現実認識には認識主体の姿勢が反映されることを説いている。今日の「安保環境」には、北朝鮮の核ミサイル開発や中国の軍事的海洋進出にともなう日本の安全に対する脅威の深刻化という「変化」の側面と同時に、なお戦争が手段として非合理な破壊性を持つという、広島・長崎の被爆体験以来の「不変」の現実もまた含まれている。

日本への軍事的脅威の高まりという「安保環境の変化」に対しては、これに軍事的に対抗して戦争の危険を高めることは非合理の極みであるという、「安保環境」についてのもう一つの現実認識が伴わなければならない。9条はそのような不変の現代的安保環境に即した原理を規定したものである。

すなわち9条は、平和の危機が高まる時にこそ、軍事力ではなく平和の言葉で対処する工夫と努力を命じているといえよう。そのことを、北朝鮮などの現実の脅威を前にして非現実的原則と見るか、戦争の非合理性という歴史的現実を見据えた合理的原則と見るかの選択を国民は突き付けられている。

これはいずれが「現実」的かということではなく、いずれの「現実」を重視するかということであり、さらにいえば、冒頭の英国人神学者にならえば、「いずれの選択」にも大きな困難と危険が伴う。そのことをまず自覚したうえで、それぞれに伴う困難と危険を自らの責任で引き受ける覚悟こそが問われているのである。では、そのいずれの「覚悟」をとるかを決める基準となるのはどういうものであろうか。

5.「平和」とは何か

為政者はことあるごとに「国民を守る」という。平和や安全保障という言葉で守ろうとするものは、そもそも何なのであろうか。明らかにそれは、我々の単なる動物的生存ではない。それは、我々の個人・集団としての自由や独立、あるいは人間らしい生き方も含まれるはずである。

しかし、なお、そのような「我々」の幸福さえ守られればよいということであろうか。憲法前文には「全世界の国民が、…平和のうちに生存する権利を有する」とあり、また「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」という「普遍的」な「政治道徳」についても述べられている。憲法の平和理念は、このように自国民の無事のみを追求するものではない。

このような高次の人類的理念に立つ平和概念を、近代日本において最初に体系的な平和論を打ち立てた幸徳秋水は次のように表現した。「…迷信を去りて知識に就き、狂熱を去りて理義に就き、虚誇を去りて真実に就き、交戦の念を去りて博愛の心に就く、是れ人類進歩の大道なることを。」
7月会報マザーテレサ2

また、マザー・テレサは次のように言う。「主は私を平和の道具となさいました。憎しみのあるところに愛をもたらし、不正のあるところには許しをもたらすように。疑いのあるところには信頼を、悲しみのあるところには喜びを。自己を忘れることによって真理を見出し、人を許すことによってみずからも許されます。」

我々が、平和や安全保障をめぐる重大な選択を迫られるとき、このような普遍的な人類的平和理念こそ、その「覚悟」にふさわしい判断基準となるものではないだろうか。

しかし、なお、北朝鮮のような国を考えると、憲法前文に言う「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」というのはあまりにナイーブすぎるとの批判もあろう。しかし、従軍慰安婦問題をはじめ、かつて日本が犯した歴史的過ちに対する反省と償いをどれほど日本という国家が誠意をもって行ってきたかを考えるならば、憲法の想定する平和主義を現実的な政策として実践するための努力や工夫において、日本国民はまだあまりに多くのことをやり残しているのではないだろうか。

例えば北朝鮮の軍事的脅威に備えるならば、日米同盟の強化だけでは足りず、むしろ日米同盟の実を上げるためにも日韓の安保協力が欠かせない。しかし、日本の植民地支配や戦時強制動員(朝鮮人強制労働、従軍慰安婦など)の歴史問題がトゲとなって、日韓間では効果的な安保協力に踏み出せないままとなっている。足下の安全保障問題の対応において、日本の歴史問題への取り組み不足が大きな障害となっているのである。
                                 7月会報福沢諭吉1

かつて福沢諭吉は、明治初年の日本の文明開化の浅薄な有様を嘆いて、「今の事物の有様にて、我人民の品行に差響く所の趣を見るに、人民は恰も先祖伝来の重荷を卸し、未だ代りの荷物をば担わずして、休息する者の如くなればなり。」と述べている。

このひそみにならえば、平和憲法という、戦争がもはや合理的な政策手段にはならない、国際協調を不可欠とする新時代にふさわしい憲法をいただきながら、それを実のある政策に結びつける「覚悟」や「重荷」を新たに担うことなく、かつての軍国主義の重荷を下ろして自利追求に明け暮れてきたところに、沖縄に過剰な基地負担を押し付けてかえりみず、近隣諸国との不和からいつまでも脱け出せない今日の「平和国家」日本の姿があるのではないか。

憲法は国民に単なる安楽をむさぼるための自由や権利を保障しているのではない。憲法第12条にいわく、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は…常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」憲法の平和主義は、国民にとり未完のプロジェクトである。その意味で、憲法は改正よりも実施以前の段階にあるといえよう。

7月会報藤原先生4

<質疑応答>

Q.サイバーテロの問題について
A.古典的戦争は国と国だったが、サイバーテロは国、民間団体、個人等様々な主体が関わっており、テロを行う方も受ける方も、主体が特定されていない不安定な状態のまま、問題は広さと深さを増しつつある。これは、例えば広範囲に及ぶ電力供給の停止など、市民生活への究極の脅威ともなりうるわけで、安全保障上きわめて重要な問題であるから、官と民、国家間の協力などの幅広い対応が必要となる。伝統的安全保障概念をはるかに超えて、ネット社会の安全保障体制を改めて構築していかなければならないだろう。その際、鍵となるのは個人のプライバシー保護の問題であろう。

Q.テレビに出演している国際政治学者などは、集団的自衛権を国際協調主義の第一歩と評価している向きもあるがどうしてか?
A.横の糸と縦の糸の問題と見ることができる。国際政治学者の多数はおそらく安保法制容認だろう。
彼らは欧米と横並びの形で、「普通の国」として日本も軍事同盟や集団的安全保障に参加・協力すべきだと、横の糸でものを考えている。欧米で普通にやっていることは、日本もやるべきだと考える。それも一理はあるが、日本やアジアではもう一つ縦の糸を考えなければならない。

縦の糸と言うのはアジアにおける日本の侵略や植民地支配に起因する歴史問題のことである。日本が再び戦争をするような事態は、特に日本の軍国主義による長期にわたる重大な被害を受けた東アジアでは、欧米のような「普通の国」とは同列に論じることはできない。率直に言って彼らの議論を私はあまり評価しない。縦横両方の糸という現実を見据えた対応が必要である。
                                     
                                      (文:今回は藤原先生のご厚意で特別に寄稿していただきました。)



◎今後の学習会スケジュール 
7月会報スケデュール1

                            
★スケジュールは事情により変更、中止する場合があります。予めご了承ください。
○学習場所 東京経済大学の教室                          
○各学習日とも土曜日 13:30~15:30 (受付開始は12:30より))
○下記の学習会は映画上映のため終了時間が1時間遅くなります。
★ 7月29日  13:30~16:30 


(編集後記)

夜空を見上げても天の川は見えず、まして宇宙の神秘が次々と解明されている世には、川を隔てて相思う牽牛織女を想像することは難しくなりました。それでもなお、二つの星の伝説は宇宙への夢や恋への憧れを思い起こさせてくれます。さて、東京経済大学での学習会は残すところ2回になりました。暑いときですが、最後まで頑張ってお越しください。7/29「映画を読む会」の川井良介先生は、長谷川倫子先生に代わって今回初のご登壇です。なお、特別企画「食」へのご投稿をお待ちしています。(編集長 大崎尚子)
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