会員の声

                                    1月会報挿絵1(


【その2】
国分寺に住んで

                                     山岸 信雄
 

 国分寺市光町に越してきたのは平成6年7月。以来23年、この街で暮らしている。この20数年間で宅地化が相当進んだが、まだまだ植木畑や市民農園などの農地が点在しており、溢れるばかりとは言えないまでも緑豊かな心落ち着く街である。2年前までサラリーマンとして、国立駅から四ツ谷駅まで中央線の満員電車で、四ツ谷駅から永田町までは麹町、平河町のビル街を歩いて通勤していた。

 都心で働くサラリーマンにとって、ビルに覆われない青い空の下に広がる緑の空間は、ほっとする安堵感を提供してくれるオアシスである。高層のビルは、土地を有効活用して機能性に富んでいるが、そこに出入りする人々や傍らを歩く人々には無言のストレスともなる。永田町からの帰路、新宿通りを西に進んで麹町六丁目のビル街を抜けると、中央線を跨ぐ四ツ谷見附橋が現れ、視界が開ける。橋の上は無論、ビルはなく空が広く、風がそよぎ開放感に満ちている。…嗚呼ー国分寺に帰れる……。陽の長い夏の夕暮れ時には、新宿通りとその両側のビル街が遠近法の投射線のように立体的に延び、その先の新宿の街の遥か西方に沈んでゆく真っ赤な太陽を惜しむように眺めることができる。大勢の歩行者がスマートフォンをかざす瞬間である。

 国立駅で満員電車から解放され、家路を急いでいると、やがて広い空が現れるや、無上の歓びのようなものが湧き上がってくる。満開の桜、萌え出す新緑、酷暑を遮る欅並木、赤や黄色の鮮やかな紅葉そして冬の夜空など、この街の自然はストレスを癒し、安らぎと活力を与えてくれ、心身ともに健全性を維持してくれる。
        1月会報国分寺崖線1
 
 国分寺市は、武蔵野の面影を残す樹林地や農地などの緑豊かな街である。特に、国立駅の東側から続いている登り斜面には緑地が多い。国分寺崖線と呼ばれる崖の連なりである。国分寺崖線は、太古の多摩川(古多摩川)が10万年以上にわたって武蔵野台地を浸食してできた河岸段丘で、立川市から国分寺市、国立市、小金井市、府中市、調布市、世田谷区の等々力渓谷を経て大田区まで続いている。総延長は約30km、高低差は20m。およそ5万年前に現在の地形が形成されたと考えられている。崖の低部には「はけ」と呼ばれる湧水池が数多く存在し、ここから湧き出した地下水が樹林地を涵養している。その湧水の一つ、真姿の池湧水群の湧水は、全国名水百選と東京都名水57選に指定されている。また、日立中央研究所の構内にある湧水は、国分寺市に端を発する野川の源流となっている。
                                 1月会報野川1

 湧水のある地域、「はけ」には古くから人が住み始め、光町遺跡、多摩蘭坂遺跡や西恋ヶ窪三丁目周辺の熊ノ郷遺跡は、旧石器時代の集落跡で、ナイフ形石器が出土している。最古のものは3万5千年前のものと考えられている。我々ホモサピエンス(現生人類)の前に存在したネアンデルタール人(旧人類)が絶滅したのが2万数千年前と言われており、いかに早くから我々の祖先の生活が営まれていたかがわかる。また、武蔵国分寺跡や東京経済大学遺跡から旧石器や縄文土器が、日立中央研究所付近の羽根沢遺跡からは縄文土器が、その他国分寺崖線上の南斜面の多数の遺跡からも旧石器・縄文時代の埋蔵物が出土している。南向きで日当たりの良い斜面は、底部の「はけ」が飲料水を供給、植物を育てて木の実・
草の実を食料として提供し、その上部は水はけの良い住居となった。人間の生活に必要とされる水と緑の資源が豊富に存在していたのだ。
1月会報湧水2
 
 良好な自然環境は、人々を潤し、明日への活力を供給し、更には文化を育む大切な資源である。豊かな緑と水という環境資源を持続させ、日々の生活に有効活用するとともに、後世に残してゆくことは、3万5千年前の我々の祖先も願っているであろう。

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