12月会報


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12月会報                                                                                                                      
第300号
             
 
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「会報300号発刊に思うこと」    
                         欅友会 会長 増田 保武

 1984年4月に手書き1ページだけの会報第一号を発刊してから34年、ついに記念すべき300号を発刊することとなった。過去の会報を改めて紐解いてみると、それは講演内容の変遷・会員の声・特集寄稿・野外学習会など数々の思い出と時代の移り変わりの様子が詰まったまさに欅友会の宝物である。この先500号、1000号の会報が発刊される時の世の中は、どうなっているのか期待が膨らむ。

 最近の会報は会員の皆様からのご寄稿も多く、また講演要旨の充実によりページ数も8~10ページと増え、小冊子の様相を呈している。この講演要旨取纏めについては歴代の役員が苦労を重ねてきた。印刷枚数の圧縮目的から1講座5000字程度の要旨取纏めを目指しているが、最近の講演は学術発表のように内容が濃く、説明される項目も多いので中々その範疇に収まらない。加えて先生方に校正をお願いすると、これまた丁寧なる校正が加わることが多く、担当役員の大いに苦慮するところである。

 何れにせよ、今後もさらに内容を充実させ、手作り感の溢れる会報作りに努めたいと、気持ちを新たに思うところである。



「会報300号を記念して」                   
                               天野 肇
                      
 欅友会に参加して今年で19年目になる。入会した翌年から講演会の要旨を取り纏めて、会報に記録する作業を年に2~3回担当し、今年で46回の講演要旨を纏めた。この間の講演回数は180回に上るので、平均4回に一度、要旨を纏めたことになる。
  
 旧制中学4年で敗戦を迎えたが、2年間は勤労動員と都心の焼け跡整理で殆ど勉強できず、戦後の占領時代は食糧難と超インフレの生活難で勉強が手に付かなかった私にとって、欅友会での18年間は、教室で学べる貴重な生涯学習である。特に講演要旨の記録は、講演内容を咀嚼して要点を纏め、それを如何に判り易く表現するかを学ぶ場であり、今読み返して反省する点を多々見出すものの、この得難い機会を与えて頂いたことに唯々感謝するばかりである。又、会報に寄稿される多士済々の会員の方々のご意見や随想を読んで、多様な人生観を教えられることも多い。

 学校を出て実業の世界で働いた43年間、大学のキャンパスや先生方との接触が皆無に近い生活だっただけに、欅友会で大学の緑豊かなキャンパスを訪れるだけでも心の平穏を得ることが出来、教室で講演に聴き入る2時間は、俗事を忘れることの出来る貴重な時間であることが何よりも有り難い。

 又、会員懇親会や野外学習会も、日頃顔だけは知り合い乍ら話す機会の少ない会員の皆さんとの得難い接触の場で、特に後者は一人ではなかなか行く機会の少ない場所をバスで訪れ、終日行動を共にしながら色々な新知識を得られる欅友会の伝統行事であり、今後も種々の企画を盛り込んで継続されることを期待したい。

佐藤一斎の言志晩録に言う。
少にして学べば即ち壮にして為すことあり、
壮にして学べば即ち老いて衰えず、
老いて学べば即ち死して朽ちず   
少にして学ぶことの少なかった私にとって、特に肝に銘ずべき後段の二句である。

★天野 肇さん: 会報142号(2002年5月)から194号(2007年4月)まで編集を担当。元会長。





「会報300号刊行おめでとう!!」             
                                  三宅良一
 
 
 1983年(昭和58年)3月欅友会が産声をあげ、手書きの第1号会報が創刊されて以降、1998年(平成10年)4月に100号を、2007年(平成19年)11月には200号をと続刊し、ついにこの12月に300号を刊行するに至りました。
輝かしい会報刊行の履歴のなかで、2007年(平成19年)5月の195号から2013年(平成25年)1月の257号まで、約6年間会報作成に当たらせて頂いたことは大変光栄なことでした。ご協力頂いた会員の皆さまに御礼申し上げます。  

 2007年(平成19年)4月、副会長を仰せつかり事務全般を担当することとなりました。会報の作成も担当の一つということで、これは大変、どんな会報を作ったらよいのかと悩みましたが、会員の皆様に読んでいただける、楽しんでいただける会報を作ってみようと割り切って会報作りを始めました。 

 パソコン操作は自信をもっていましたので、文中にカラークリップやイラスト等を季節に応じたものを選びながら掲載し、少しでも明るい会報をと努力した次第です。アンケートに「会報を読んでいる」、「所用あり欠席したが会報があって良かった」等と書いてあるのを見て大いに励まされました。 

 しかし、会報作成には種々苦しいこともありました。何事も期限が迫らないと腰を上げない性分のため、会報の作成も編集会議の数日前から開始することも多々あり、担当当初の頃は「学習会の要旨」や「会員の声」など、タイピングもやっと終える頃になってキータッチを間違えて、アッという間に全部を消してしまい、泣く泣くまた最初から打ち直しで深夜まで掛かり切りのこともありました。また、誤字や横文字のスペルの間違いなど、ご指摘を受けることもあり冷や汗をかいたことも思い出の一つです。

 現在は大崎副会長が益々立派な会報を作成しておられます。この先400号を目指して会員の皆様のさらなるご協力をお願い致します。

★三宅良一さん:会報195号(2007年5月)から257号(2013年1月)まで編集を担当。元副会長。
「欅友会創立30周年記念誌」(2012年9月)の編集責任者。



「河野平八郎さんの挿絵」  
12月会報挿入絵1
 

 忘れてはならないのが愛らしいネコ、ネズミ、イヌのキャラクター。会員の河野平八郎さんの挿絵です。この度も呼びかけに応えて、記念の絵を描いてくださいました。

 河野さんの作品が初めて登場したのは182号(2008年3月)です。それ以降、常に新しい絵を提供して下さるので、会報では選り取り見取り、季節や場面に合ったものを使わせていただいています。
最近、紙面の都合でご紹介する機会が減っていますが、会報の強い味方です。



◆会の名称が決まるまで◆ 
会報第2号(1984年5月)の冒頭に会の名前の由来が載っています。
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◆会報雑話◆


会報は1号(1984年4月)から13号(1986年11月)までの手書き期間を経て、ワープロ・パソコンによる作成へと移行していきます。2003年にはホームページを開設し、会と会報の紹介が始まりました。現在はブログに変わりましたが、当初から会報の題字の下にURLを載せて、会の内外に向けて発信しています。235号(2011年1月)からは、創刊時からの手配り・郵送に加えて、会報のメール配信を開始しました。

題字は34年の間に数回書体を変えました。現在の題字を書いたのは会員の藤田治良さん、180号(2005年1月)が初出です。縁飾りは148号(2003年1月)に始まり、199号(2007年10月)から現在の縁飾りを使用しています。題字を縁飾りで囲み、傍に発行日を示す図を配置したのは天野 肇さん、発行日の下に季節のイラストを添えて、明るく親しみやすい雰囲気を加えたのは三宅良一さんです。現在もそのスタイルを継承して、皆様に手に取って読んでいただける会報を目指しています。

会報の重要な位置を占める「学習会の要旨」は、「○○先生の講義を拝聴して」のような、講義の感想文から始まりました。回を重ねるごとに内容が充実し、現在の形になりました。会員から寄せられる随想等に「会員の声」という見出しを付けたのは、会報119号(2000年2月)が始まりのようです。

初期の会報の用紙サイズはまちまち、また、会報58号(1993年10月)から128号(2001年1月)までは、白色のほかに青、緑、赤、黄など、色とりどりの紙に印刷されていました。なぜ用紙を白に統一しないのかという質問に対し、111号(1999年4月)で『経費節減のため、用紙は国分寺市から余ったもの(殆ど色物)を頂き、利用しています』と答えています。当時は国分寺市から用紙を頂いたり、野外学習会に市のバスを利用させていただく等の支援を受けていました。

300号は、当時にちなみ、特別にカラー用紙に印刷しました。メール配信の方にも同じ色でお届けします。パソコンの画面で、当時の雰囲気を偲んでいただければと思います。

会報は第一に会からの連絡事項を告知すること、第二に会員の交流の場であることを役目としています。今後も引き続き講座などのご案内と皆様方のご投稿を中心に、楽しい会報作りに励んでいきたいと思います。(大崎尚子)



〈題字のいろいろ〉


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~わたしと会報~


会報に対する思い出や感想をご投稿いただきました。ご協力ありがとうございました。



「人生で最大なる喜び」と「欅友会会報」 
                                           
                                     窪田 寛

 45年前に、私は製薬会社の駐在員として台湾に駐在していた。3年間が過ぎて日本へ帰国したいと考えていた時、本社から再びインドネシアへの駐在を命じられ、どうしようか悩んでいた。その時、親しくしていた台湾のある病院長先生からいただいた言葉が、私のインドネシア駐在を決意させた。その言葉は、「人生で最大なる喜びは、一つでも新しいことを知り得ることである。君は今、また新しいことを知りえる機会であり、喜んでインドネシア駐在を受けなさい」という励ましの言葉であった。

 あれから海外駐在を通じて、多くの新しいことを体験してきたが、今年で80歳を迎え、年々、新しいことを知りえる機会が少なくなってきた。しかし現在は、毎月、自宅に送っていただく欅友会の会報を通じて、著名な先生方の講演会、会員の皆様のいろいろな情報をいただき、昨日よりも今日、今日よりも明日と、一つでも新しいことを勉強させていただいています。この会報は、「私の人生の最大なる喜び」を与えてくれています。毎月、心から感謝して会報を拝読しています。



「欅友会第3代永沼直行会長(1924~2012)の想いを継ぐ新企画」

                                  神尾 龍三郎

 私は2013年欅友会に入会していますから、永沼さんとの直接の接点はありません。会報で文章に出会ったのは、2008年8月・題名「玉川上水と私」。以下流れるような名文が2012年4月・題名「健康に感謝」まで続いてます。会の拡充と会報の熟成を願う情熱が、投稿文からも十分に拝察できて、いつの間にか文を書くことの楽しさを教示されました。書く煩わしさを乗り越えれば若さが保てる、が所感です。

 昨年から、会報には本流(「会員の声」)とは異なった表情をみせる分流(「わたしの戦後70年」「新春俳句」「わたしの忘れ得ぬ言葉」)が生まれ、多くの会員の登場となり、紙面に花が咲きました。永沼さんの夢の実現とも受け止められる、欅友会会報史に残る大きな企画だったと思います。   

30余年の会報誌の流れを僅か10年弱遡るだけで、「文を綴る楽しみ、新しいことを創(はじ)める喜び」に触れることができました。会報第300号特集は新しい歴史をつくる基となると確信します。


「わたしと会報」 

                                    内古閑 徹

 欅友会会報300号発行おめでとうございます。歴代編集担当を支えてきた見事な会報組織運営の賜物です。私が初めて会報に接したのは第128号2001年新年号です。黄色のB4用紙を二つ折りにして会報8枚を包んであります。おそらくこの年に入会したものと思われます。爾来今日に至るまで学習して参りました。

 会報には学習会の講義録が掲載され、貴重な文献です。執筆役員の並々ならぬご努力を忘れてはなりません。創立20周年、30周年記念誌に応募して掲載して頂いたのは良い思い出です。2004年からその年の話題について「年頭予測問題」が発足し、頭を捻って参加していますが、2007年予測では12問正解で1等になったのは、青天の霹靂でした。会報には造詣深く品格ある会員諸氏の貴重な投稿が数多くあり、浅学非才の私には啓発される有難い拠り所になっています。これからも会員に親しまれる会報に期待致します。


「私と会報」                    
                              小田切 豊雄(絵も)

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私は49年前の東経大の卒業生であり、懐旧と愛校心に駆られ、2014年2月に入会した。以来、会報を毎号楽しみに愛読している。同年12月の279号に東経大校訓「進一層」「退一歩」の寄稿文と挿絵を投稿してから、節々の斬新な企画に興味を惹かれ、「俳句」「短歌」「私の戦後70年」にも拙文の類を投稿してきた。

 短期間で完全に投稿常連組になった感があるが、大崎編集長の見事な企画力と編集力に感嘆して、少しでも協力したいとの思いと、好奇心旺盛人間の発露であり、何卆ご容赦頂きたいと思う。「文は人なり」と云うが、会報から作者の温かい人柄との出会いを実感するのは実に嬉しいことである。私は読書と書く事が好きで、現在も東経大市民講座も受講しており、加齢に伴う頭脳の老化防止に努めている。会報300号の歴史の重みを噛みしめ、役員の皆様のご苦労に感謝しながら、今後も熟読させて頂くつもりである。

「わたしと会報」 

                                     鶴野 哲夫
 
 私は友人の紹介で欅友会に入会して4年になる。興味ある学習テーマや野外活動など、シニアの私にとって最良の生涯学習の場となり、満足感は大である。運営に無報酬で携わる役員の皆さまと会場提供の東経大には感謝に堪えない。毎号会報には諸先生の講演記録と共に会員の投稿文も載せられ、何よりの会報と思いながら味読している。
 
 仕事を離れ文書作成の機会もなく、用事は電話で済ますためか、文字を忘れ語彙減少を痛感する近年である。入会間もなく会報編集の大崎さんに強く勧められ、会員の声に「追憶の大連を訪ねて」を投稿し掲載された。わが苦心作は満更でもないと思った。ある日ITで欅友会を検索し、偶然拙文を発見し一驚を喫する。友人にも伝え賛辞を貰う。会報投稿の努力は脳力回復に役立つことを実感している。作家の情景描写など意識して読むようになり、類語辞典を脇にテーマを選択し作文するのはボケ防止の最高の薬である。折を見てこれからも挑戦のつもりである。


「会報300号を迎えて」                    
                                     高根 佳子

 会報は大変役に立っています。私が欅友会に入会したのは、もう30年も前のことですが、三十周年記念誌で昔の役員さんの名前を色々思い出しました。10年も前の暑い夏の午後、国立に自転車で行ったときに車と接触をし、膝を痛めたその場に役員のYさんが居合わせて介抱して頂き、チョコレートを下さったのが忘れられません。
 
東経大とのご縁は、石丸先生の万葉集の講義を友達と一緒に聴いたのが最初でした。あれからもう何十年も経ちました。三十周年記念誌に載ったNさんの「遺稿」は繰り返し読んでいます。また、欅友会が会員の協力で某財団からの寄付金を得て蘇生したことも思い出しました。皆様のお力添えで、今後も欅友会の会報を楽しませて頂きとうございます。


「欅友会の会報について」    
                                    内山 晴信

 欅友会に参加したのは10年ほど前なので、会の発足当時からの会員や会運営に携わる幹事の方々に比べて新参者ではあるが、「多様性」の観点から本稿を提出する。

 会報を見て学習会の内容で「頭に残っていること」、逆に「忘れていること」を思い出すと共に「テーマの幅広さ」「講師の多様さ・レベルの高さ」を再認識。良い生涯学習会に巡り合えたと感謝している。7月恒例となった映画上映分では「菓子の包装紙を集める戦時中の兵隊」「小津安二郎の映画」「ベアテの憲法」「フェルメール・首飾りの少女」は今も記憶に残り、また、映画では無いが今年度4月の「思いがけない日本美術史」は、収録してある「絵巻・図の一部」が記憶を鮮明に呼び起こしてくれた。

 これからも会報を読むことで「忘れかかっている情報の再入力」に役立たせ、反復することの大切さを認識し、「良きご縁」を大事にして生活していきたい。
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                                    (欅友会とこしえに)



◎特別寄稿



鉄を踏む

                             欅友会顧問 渡邉 尚
 

 今秋の野外学習会は、国土地理院科学館で星埜由尚・元院長が案内役を務めてくださるという、思わぬ福を授かりました。星埜先生を紹介したのは私です。ところが、4カ月前までそのお名前さえ存じあげなかったのです。それがなぜ?そのいきさつをこぼれ話までに記しておきます。
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今年6月、札幌で学会が開かれた折、乗り鉄の私は往復とも北海道新幹線を利用しました。車内で目に触れたJR北海道の広報誌に、初めて知る星埜先生の談話が載っており、先生が伊能忠敬の研究家であることも知りました。私は軽井沢夏期大学の世話人も務めており、日本地図史の専門家の出講を仰ぎたいと念じておりましたので、帰京後すぐ見ず知らずの星埜先生に依頼状を出しました。

すると、折返し快諾のお返事が届いたばかりか、自分は高校の後輩ですと書き添えられておりました。この奇遇に驚いた私は、お礼状で欅友会の科学館見学の予定に触れたところ、また折返し、なんなりとお手伝いをしますとの、願ってもないお返事、この朗報をただちに増田会長にお伝えした次第です。

もしも私が乗り鉄でなかったら、星埜先生のお名前を知る由もなかったことを思い、私は今後とも鉄を踏み続けるつもりです。
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★300号の記念に、顧問の渡邉 尚先生にご寄稿をお願いいたしました。先生には学習会のテーマ
選定をはじめ、欅友会運営の諸場面でご助言をいただいています。



◎会員の声




人生途上 80年

                                     宮原 昰中
 

 敗戦の際は国民学校の4年生だった。入学は分校で、1、2年が一つの教室で授業を受ける複式学級、中山間部(現広島県府中市)の田舎だったので、B29が家の真上に飛来するも、爆弾の1つを落とすでもなく、のんびりした村だった。原爆投下の8/6(府中市は広島から70㎞で、原爆の直接の影響はない)も、8/15も雲ひとつない快晴の日だった。当日は川で魚を追う日々だった。しかし、翌月9月17日には枕崎台風が襲来、大災害を蒙ることになった(広島県の死者3000人超)。橋はすべて流失し、学校へは行けなくなった。仮橋で復旧するまで、約2ヶ月自主休校とあいなった。5年生からは本校でまともな授業を受けたが、教科書は墨を塗り使ったように思う。

 中学校は新制の2期で、教科書は1枚の紙を32枚に折り畳んだものを自分で切り、本の形として使った。地元の高校に入り、その2年生の9月17日の体育祭の日、バスケットの代表として出場のため登校中、何を間違えたか自動車と相撲をとり、6m下の川に「突き落とし」をくらった。骨折ひとつせず、「幸いに…」と自分では思ったが、医者は「生きている中では最悪の結果で、骨折した方がよかった」と宣もうた。そのとおり、年内いっぱいは内出血多量のため歩行不能で難儀をした。
12月会報野球1

 以後はろくに運動することもなく6年が過ぎた。社会人になって、早速草野球のチームを結成して、2番ショートでプレーし、年間約30試合こなした。20歳代の終わりには、このチームの監督になったが、1年で他へ転勤と相なった。
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 新天地ではテニスに打ちこみ、夏は箱根の山中で炎天下1日8時間休みなく打つこと連続4日、体力証明の青春だった。40歳代になり、サッカーに魅力を感じ転向、60歳までプレーした。この間、小学校のコーチを(土日祭の全てを捧げて)5年間やった。サッカーをやめた還暦からは、非積極的(消極的とは言いたくない)運動として、バス・エレベータ・エスカレータには乗らない大原則を貫いて生活している。
                                   12月会報サッカー1

 本業の仕事の方は、本職の化学研究からスタート。青化ソーダ(猛毒)のプロセス開発に従事、九死に一生の経験もしたが、プロセスの開発が終了して、企業化できた(化学研究丁度100ヶ月)。これを機に草創期のコンピュータ部門に移った。最初は技術計算と称して、プロセスフローシミュレータを開発した。これは本邦では最先端を行くものであると自負していた。続いて全社システムの構築も手がけた。 この間、裁判専属のスタッフも2年間勤めた。

 還暦で会社を定年退職して、続く10年間は若い人に教えてもらうことを楽しんだ。こちらも古希で定年退職して、いよいよ毎日が日曜日ということになった。その後については既に記した。(欅友会会報№284(2014.6.4)p.7)半寿間近だが、とに角生誕三萬日。米寿、卒寿、白寿、茶寿、皇寿とどこまで迎えることが出来るかよりも、PPKで逝くことを念じている今日この頃である。


◎来年の会費を納付されましたか                       
           
会費の払い込みはもうお済みですか。来年1月の学習会までに会員を確定させる必要があります。
なるべく年内早めに、遅くとも12月末までに、11月に郵送した専用の払込取扱票を使って、
郵便局からお振り込みください。会費金額が二本立てになっていますので、会報11月号で確認し、
間違いないようお振込みください。
新たに入会希望される方には振込用紙をお送りします。このページ下の連絡先までお知らせください。



(編集後記)
12月会学習会風景1

上は今年1月の学習会の写真です。この熱意溢れる光景を見たくて、役員一同は来年度の開講準備に勤しんでいます。皆様には会員登録をお忘れなく。知り合いの方々を誘ってお申し込みください。
来年もまた、学習会でお会いしましょう。
大崎尚子


                            12月会報東経大銀杏
                                 (東経大大銀杏)
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