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10月会報

                           10月会報花3
                                                            

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◎お知らせ



◎野外学習会の最終案内(10月26日 水曜日 実施) 


今年度の野外学習会は参加希望者が多く(67名)、一部の方にはご要望に応じることが出来ず、先着53名の方に参加いただくことになりました。誠に申し訳ございません。ご理解とご協力をお願いします。 

[参加メンバー]                             (敬称略、五十音順)
10月会報バス旅行参加者リスト2


☆参加取り消しの場合は、10月21日(金)午後3時までに、ご連絡をお願いします。
これ以降の(当日含む)キャンセルは費用の全額又は、一部を負担して頂く場合があります。

【連絡先: 渡辺 義広  電話:090-7243-2050】

《概略スケジュールと見学場所》

7:30 出発――→(外環道、常磐道)―→(9:00 守谷SA)――→10:00 地図と測量の科学館――→
11:20 JAXA(食事、ツアー) ―→15:00 筑波実験植物園―→(16:45 守谷SA)―→国分寺着解散18:30

《ご注意下さい》

 集合時間:10月26日(水)午前7時15分集合(厳守ください) 全員揃い次第出発します。
 集合場所:JR国分寺駅南口 正面通り、南町都営アパート西側の「画材 次男坊」前
      「いずみ観光」大型バスが駐車しています。当日国分寺南口にて案内もあります。
 会  費:4,500円(バス代、交通費、昼食代、入場料、JAXAツアー費用、交通傷害保険料等) 
      当日、バス乗車時に徴収いたします。

必ず携帯:① 顔写真付きの本人確認書類「運転免許証」「パスポート」「住民基本台帳カード」等一点、
       ただし、65歳以上の方で免許証等のない方は「健康保険証」で結構です。
       当日携行されてない方は JAXAの見学ツアーには参加できません。
        なお、健康保険証は上記にかかわらず携行頂くよう願います。                
        (本件につき不明な点は 渡辺まで問合わせ下さい)            

       ② 名札(学習会で使用しているもの)・・・・裏面の記入をお忘れなく。    

緊急連絡先: 増田 保武(090‐8017‐5163)、 渡辺 義広(090‐7243‐2050)




         10月会報300号記念募集投稿


欅友会創立の翌年、1984年(昭和59年)4月17日、B5の紙1枚に手書きの会報が創刊されました。下がその縮小版です。第1号では『国分市民大学同窓会報』と仮称しましたが、会の名称が「欅友会」に決定した第2号からは『欅友会会報』に改めました。
会報は年数回の不定期刊行から年7回、年10回と回数を増やし、2004年からは年11回発行しています。創立34年目の今年12月には第300号に達します。

そこで、ささやな記念に「わたしと会報」というテーマで原稿を募集いたします。投稿の思い出、印象に残っている記事、その他会報を読んでこられて思い出すあれこれを、400字以内で書いてお送りください。多数の方々のご投稿を期待しております。なお、タイトルと名前は文字数に含みません。
締切は11月15日です。原稿は8ページ下部の連絡先までファックス、メール、郵便でお送りください。
  
      ↓会報第一号
     会報1号2

  

◎アンケート集計結果    


前ページの会報第1号にもありますように、欅友会(第1号では市民大学同窓会)は最初の学習会からアンケートで皆様のご意見等をお聞きしてきました。現在も寄せられたご意見・ご要望については早急に対処するよう努め、学習会テーマに関するご提案等は次年度からの企画を考える際の資料にしています。

今年度の(野外学習会を除く)学習会参加者のべ人数は2,077人、そのうちアンケートにご協力下さった方は1,050人。出席率については2013年が41.9%、2014年が40.1%、、2015年が43.4%、2016年(今年)が49.1%と上昇しています。また、本年度全講座に出席された方は(役員を除き)12名です。ご出席ありがとうございました。

〔2016年度学習会出席者数及びアンケート提出数〕
10月会報アンケート纏め



7月会報わたしの1

7月会報忘れ得ぬ言葉1
(1)



花森安治の言葉                      宮武 光吉
10月会報「花守安治」

「君たちのやろうとしていることは、交通事故に遇いそうな人に対して注意するようなもので、交通事故に遇った人の手当てをするより地味であり、世間からは余り認められないかも知れないが、とても大事なことだと思う。」

この言葉は、学生時代に農村の保健予防活動に出かける資金集めに、顧問教授の紹介を貰って、暮らしの手帖社を訪問し、なにがしかの寄付を依頼した時に、花森安治さんから直接聞いた言葉です。「とと姉ちゃん」の花山編集長とは違って、温顔でしたが鋭い目つきで話されたのが、印象に残り、私にとって「忘れ得ぬ言葉」の一つになっています

。爾来40年余り、主として保健予防・公衆衛生行政に従事してきましたが、一昨年の暮れに脳梗塞を発症、頸動脈内膜剥離術を受けることになり、担当医から、「この手術は、再発予防のためです。」と説明され、自分自身のこととして、この言葉を思い出し、施術を承諾したのでした。

「大切なものは目に見えない、心で見る」  広瀬 義隆
                                   10月会報「星の王子さま」

いまから50年ほど前、学生時代のドイツ語の講義ではアントワーヌ・ド・サン=テクジュペリ著の「星の王子さま」のドイツ語訳が教科書でした。原著はフランス語で「Le Petit Prince」で1945年11月に出版、日本語版は内藤濯訳で1953年3月に出版されています。

日本語訳版、英訳版など何度も読み、著者のサンテクがこの「星の王子さま」から伝えたかったことは何だったのか?そこにはパイロット(サンテク自身)と星の王子さまとの会話を通して、著者サンテクから地球人への強いメッセージがありました。

「心で見なくちゃ、ものごとは良く見えないのさ、肝心なことは目に見えない」というセリフを繰り返しています。「大切なものは、目には見えない、心で見る」
これが、私の忘れ得ぬ言葉になっています。そして、九歳になる孫に「星の王子さま」のお話をヒツジの絵などを、描かせながら、この言葉を伝えました。

幻の「初心貫徹」            内古閑 徹 
10月会報「学校」
 小学校の先生が、中学校入学を祝して生徒各人に色紙を書いて下さった。小生には、墨痕鮮やかに“初心貫徹”と書いていただいた。入学を果たした喜びで、将来に向かって初々しい決意を、忘れるべからず、やり遂げようと己を引き締めた。同時に小生の名前の一字を選んでくださったことに、大変勇気づけられたことが、忘れられない。

 この四字熟語の格言を、現在の今まで、節目節目で、あの時の決意を心に想い浮かべて、心の糧に過ごしてきた。
 最近ふと気になり、辞書を引いたところ、この言葉がない。あるのは、“初志貫徹”“初意貫徹”“初心一徹”“初志一貫”など。残念なことに、その色紙は今、もう手許にない。

私が、今日まで“初心貫徹”と思っていたのは、幻であったのか。はたまた、先生の造語であったのか。先生にお聴きしたら、「そんなこともありましたかな」とはにかみながら微笑まれるかも。

「文章はその人の知性を表す、文字はその人の人柄を表す」                    望月 温
                                10月会報「文字文章」
社会人になった頃、会社の上司や先輩には戦前軍の学校を卒業した職業軍人の方が何人かおられた。この先輩の皆さんは大変優秀であるだけでなく、人間的にも魅力のある人が多かった。

当時はワープロなどと云う便利な機械が存在せず、毎月提出する業務報告書はカーボン紙を挿んだ薄い報告用紙にボールペンで書いて提出する為、この作業が元来悪筆の私の悩みであった。月報は、自分の上司から研究所長に回り、最終には図書室に保存される仕組みになっていた。

入社後暫らくしてから、職業軍人であった上司から「文章はその人の知性を表す、文字はその人の人柄を表すと言われる。将来恥をかかない為にも文字を書く練習をするように」。併せて「昔、軍の学校で陛下と言う文字を階下と書いて退校になった生徒がいた。退校理由は不敬と云う事ではなく、字を間違えるような上官は部下を殺すと云う事であった。

緊張感を持って文章を書き誤字には気を付ける事」と言われた。私の生涯忘れ得ぬ有り難い言葉であった。

わたしの忘れ得ぬ言葉            内田 豊

10月会報「雑草」

私は高校時代、文科系の或るクラブに所属し部活をしておりましたが、そこで厳しくも思いやりのある素晴らしい顧問の先生に巡り合い指導を受けることが出来ました。

そして卒業を迎えた時、先生から贈られた言葉が「踏まれても根強くしのべ道芝のやがて花咲く春は来るらむ」でした。
これを「道の辺りに生えている道芝は、いつも踏まれているのに耐えて春になると青く茂り花を咲かせる」人生の歩みもこれを範としなければならない。と説かれていました。

つまり、長い人生においては決してバラ色で楽なことばかりではない。困難なこと、辛いことの方が多いかもしれないが、辛抱強く真面目にコツコツと努力すれば必ず報われる。と諭されたものと思っています。

以来、私はこの言葉を「座右の銘」と心得、自分に対する戒めとして来ました。
そして、結婚式等で祝辞を述べる際にも、また現役時代には社員に対して様々な機会にこの言葉を引用して話をして来ました。
これからも機会あるごとに世代を超えて、この言葉の意とするところを話し伝えて行きたいと思っています。


「動けば変わる」             名取 瑞穂

                                      10月会報「動けが変わるハト」

平成2年子供が都立全寮制秋川高校へ入学。問題が多く親たちが改善運動を始めた。合言葉は「動けば変わる。闘いは楽しみながら」この言葉を常に糧として闘った。
都立高へ初の勧告を弁護士会から出す事に成功し閉校へ。

当時情報公開の開示請求は1枚40円。事実を知りたいが真黒塗り。学校日誌、教頭日誌、舎監日誌365
日3年分他で10万円近い支出。10円にならぬかと運動。情報連絡室長から40円は妥当と公文書で回答。課長会議で検討が始まり議会で通る迄数年かかるとの事。実際10円になるのに4年近くかかった。

三宅島噴火で児童が親元を離れ、秋川高校の空き寮へ入居。1棟に1台の公衆電話で不便だった時、私個人でNTT多摩中支店公衆電話部へ交渉、各寮1台ずつと売店へ、計4台増設。教頭先生から三宅島の子供が助かったと感謝の言葉。携帯電話のない時代のこと。先生とは今も賀状の挨拶は続いている。動けば変わる‼ 私にとって忘れ得ぬ言葉となっている。


「山川草木悉(ことごとく)有仏性」と共に 
              神尾 龍三郎 (写真も)

10月会報「神尾さん写真」

私の読経は、定年後わが家に残されていた江戸時代からの経本に触れたときから始まる。その頃、無性に仏教本を漁っていて掲題の言葉と出会った。

登山が趣味から自然との触れ合いが多く、今夏も花の名山・加賀白山に出掛けた。その道のりで心に残ったのは、下山途中に見つけた花の終わったチングルマ(稚児車)の美しい群生で、不思議な仏性(あわれ)を感じ思わず足が止まった。

この想いは、十一面観世音菩薩立像が明治の廃仏毀釈のため白山山頂から山麓の寺に降ろされた事実を知ったときにも生じた。仏性のはたらきと信じる。日本人の信仰は、自然崇拝から神仏習合の時代を経て今日に至っている。いま私の心は、神・仏・自然そして社会との融合ができ、霧があがった山のように輝いている。

地図と写真を見ながら、思わぬ副産物(思考の時間)をいただいたことを謹んで霊峰白山に感謝する。

「近藤君、声のトーンが低くなったね」    近藤 裕
                                  10月会報「白山」

昭和10年、私が5歳の時父は病死しました。昭和20年3月、故郷鳥取県の極貧の中で母が急死、7月に次兄が戦死、8月敗戦、姉たちは満州、年末に長兄が準戦病死しました。中学3年の私と小学5年の妹との二人は孤児同様の身の上となり、私は学校の中退を迫られ、何度か自殺しようと思いました。

そんなある日、尊敬していた大阪の中学の先輩が、心配して訪ねて来て下さいました。涙が出るほど嬉しく、大雪の中を駅まで迎えに行きました。終日いろいろと励まして頂き、翌日駅まで送って行きました。

その時先輩が言われました。「近藤君、きみ、声のトーンが低くなったね」。一瞬なんのことかと思いましたが、すぐに気がつきました。この一年、悲しいことばかり続いたので、声が暗くなったのだと。
それからはいつも明るい声で話すように心掛け、その結果人生が開けて、現在の幸せを呼び込んだのだと思います。私の終生忘れ得ぬ言葉です。

私の人生の指針になっている言葉や好きな言葉等 
                      倉田 晃

                                    10月会報「本言葉」

1. 人生常に前向きに~サミエル-ウルマンの詩「青春とは」~岡田義夫訳 
青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。<中略>人は信念と共に若く、疑惑と共に老いる。人は自信と共に若く 恐怖と共に老いる。希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる。<以下省略>             

2. 心の持ち方~
人に接する時は、暖かい春の心、仕事をする時は、燃える夏の心、考える時は、澄んだ秋の心、自分に向かう時は、厳しい冬の心            
3. 「人貧乏」は駄目~人生学の師‐森 信三 
友人が多いのは、人生を豊かにする 心友-親友-真友-畏友-遊び友だち…. 一生つきあえる友だちを多く持ちなさい。「人貧乏」では、老後が暮らせません   

4. 物事の解決の為の対処法は~着眼大局、着手小局~。







◎会員の声



音楽雑感(その1)            内山 晴信

私が「組織運営」に興味を持ち出したのは学生時代の体験が大きく係わっている。

昭和40年代、レコードが結構高く、あらかじめ「レコード芸術」「Stereo」「音楽の友」などのクラシック音楽関係の雑誌を読んで、個々の演奏の特徴や収録状況(音域・音の伸び・各楽器のバランスなど)を頭に入れ「相場感」を養うことが大切なことであった。
加えて、FM放送で(NHKやFM東京)流される演奏を聴き、「そのレコードを買うかどうか」を判断していた。これは、多くの愛好家がやっていたことで、資金には限りあり「新発売されるレコードを片端から買うことは不節操」「学の無い下品な行為」と馬鹿にする風潮があった。また、この「選別過程」を通じて、「正当な論評をする評論家か否か」「企画・制作するレコード会社の真剣度合は如何に」「国内で販売権を有する日本のレコード会社のやる気度合」を検証。良いもの・悪いものを峻別する能力を養う効果もあった。

そのような時期のある夜(1970~1971年頃)、中学校時代に親に買ってもらった高性能のFMラジオをつけた。途中からであったので、曲名、指揮者やオーケストラ名は不明。

「第一ヴァイオリンの伸びやかな音と音量・音質の安定感」「地味な音域担当の第二ヴァイオリンやビオラの音もきちんと拾えている」「金管楽器も派手にどぎつくならず、伸びのある音」「全般にどっしりとしてはいるが暗い音色では無く、適度な明るさもある」「余裕を持って楽々演奏しており、相当な腕前のオーケストラ」。いったいどこだ・・・「ベルリン・フィルか」「ヴィーン・フィルか」いや違う。

「コンセルトヘボウの、ほんわか・親しみやすい音色とも異なる」「ロンドンのフィルハーモニア管弦楽団や米ボストン交響楽団でも無い」「余裕綽綽の腕前といえばフィラデルフィア管弦楽団ながら、あそことも違う」「幻のオーケストラといわれ、めったに聴く機会のないレニングラード・フィルか?(ソ連の中でも洗練された楽団)」など思い巡らせている内に演奏が終了。

アナウンサーが「ただ今の曲はマーラーの交響曲第6番(当時は、あまりなじみのない曲)、ゲオルグ・ショルティ指揮シカゴ交響楽団の演奏でお送りしました」と告げた。
私は咄嗟に「これがあのゴツゴツしたシカゴ響か?」と疑問を持つと同時に「数年前、立て直しのためにショルティが音楽監督に就任した」ことも知っていたので、「早期に立て直し・梃子入れ効果が出た」と納得。
10月会報「ショルティ」

 また、ショルティならば、当然レコード会社は英デッカ。第二次大戦でドイツの潜水艦のスクリュー音を捉える軍事技術を、戦後にレコード制作に転用。音域の広さ・音の伸び・音の分離も抜群。低音から高音まできちんと収録。メイン・テーマで掻き消され殆ど聴き取れない中音域の楽器や音量の小さな楽器の音もマルチマイク方式で収録。指揮台に上がってオーケストラを指揮している状態が再現される。

レコード業界随一の会社。
シカゴといえば、「アル・カポネなどが暗躍していたギャングの街」「中西部から放牧牛をカウボーイが運び込み、屠殺・食肉加工する街」「独墺からの移民が多くドイツ語新聞が発行されている」「現在全米第二の都市」など言われてはいたが、日本人にとって馴染みの薄い地域。全米五大オーケストラの一つではあるが、1960年前後のフリッツ・ライナー指揮のRCA録音は音域狭く、音の分離や伸びが無く録音が下手。(同じRCAでもボストン響はすっきり収録。結局シカゴ響担当録音チームが二流)。その後の常任指揮者がパッとせず低迷。
そのような状況をショルティが短期間に再建したので、「組織活性化」の実例を見た。

それ以降、「旧大陸はベルリン・フィルハーモニー、新大陸はシカゴ交響楽団(フィラデルフィア管弦楽団に代わり)」と表現力・演奏技巧で世界一二を争う実力楽団として世界中から称賛された。・・・しかし、日本では「アメリカのオーケストラ」と軽視する風潮あり・・・「組織運営とはやり方次第。大幅に悪化することもあるが大幅に改善することもある」「個々人の能力を引き出すのは指導者の役目」「人生送るならば有意義に過ごそう」など、社会人となってからも今に至るまで、私の行動指針となっている。 
                                   

<参考1> ゲオルグ・ショルティ(1912~1997年)について
                                           10月会報「ショルティ2」

オーストリー・ハンガリー帝国に生まれた。ユダヤ系であったのでナチスの迫害を避けるため、二次大戦中はスイスに亡命。戦後、ドイツ・ミュンヘンのバイエルン国立歌劇場を振り出しに、フランクフルト国立歌劇場、ロンドンのコヴェント・ガーデン王
立歌劇場(いわゆる「ロイヤル・オペラ」)の音楽監督。10年以上に亘るロンドンでの活躍と1972年にドイツ国籍からイギリス国籍に変えたこともあり、エリザベス女王から「ナイト」(一代限りの貴族)の称号を受ける。1969~1991年シカゴ響の音楽監督、その後「桂冠指揮者」の名誉称号を受けた。

<参考2> 全米五大オーケストラ  設立年代順
①ニューヨーク・フィルハーモニック (1842年)
②ボストン交響楽団 (1881年)   ③シカゴ交響楽団 (1891年)
④フィラデルフィア管弦楽団 (1900年) 
⑤クリーヴランド管弦楽団 (1918年)   

(※「音楽雑感」は「その4」までを随時掲載します)

 
                               10月会報「河野さん挿絵」

                                 (挿絵:河野平八郎会員)

≪お知らせ≫
★欅友会会員対象の東京経済大学図書館利用カード、秋の申込期間は10月31日で終了します。ご希望の方は図書館カウンターまでお急ぎください。

★月の半ばを過ぎても会報が届かないときには、下の連絡先までお知らせください。

≪訂正とお詫び≫  
★7月号掲載の芳賀先生の要旨中、3ページ国分寺の簡単な年表と地形のなかに『1854年 玉川上水通水』とあ
りますが、これは『1654年 玉川上水通水』の誤りです。お詫びして訂正いたします。

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