3月学習会要旨

◎2月21日(土) 学習会の要旨 
日時と場所:2015年2月21日(土)午後1時半~3時半 
      東京経済大学E102教室にて
テーマ:「哲学者ミシェル・フーコーのテキストから現実を批判
    するとはどういうことかを考える」
講 師:相澤 伸依先生(東京経済大学経営学部准教授)
出席者:164名(会員:男性118名、女性43名、非会員:女性3名)

相澤先生2

【講演要旨】
1.自己紹介
 専門は哲学、倫理学で、特に20世紀フランスの哲学者ミシェル・フーコーの思想を研究、倫理学の面からのフーコー研究は珍しく、これまでとは違う新たな研究をしたいと取り組んでいる。
 東経大では2010年以来、一般教養科目としてフランス語と倫理学を教えて居り、フーコーについて詳しく話す機会は少ないので、今日、皆さんに専門のフーコーについて話せるのは大変嬉しい。
 学内では学生時代にフランスに海外留学した経験を生かして、最近増えている留学生との交流のサポートを行ったり、図書館活動の活発化(選書の企画、読書会、図書部だよりの発行など)を行って、学生の図書館利用の促進を図っている。
4月以降は国外研究員としてフランスでの研究活動に入るが、今日これからお話しするフーコーの研究を踏まえ、少し角度を変えて20世紀フランスの女性運動の歴史を研究したいと考えている。

2.ミシェル・フーコーの思想の紹介と、その重要概念「批判」「権力」について考える
 今日は、フーコー思想の重要概念である「批判」「権力」について、解説したい。これらの言葉は、日常的な用法とは異なる意味で用いられている。以下では、とりわけフーコー独自の哲学的解釈を明確に説明したい。
 レジュメの冒頭に、高校の教科書からフーコーについての若干の解説を引用したが、これだけでは説明不足なので、これからの話で補足説明していきたい。
 素材として、フーコーの著書『性の歴史Ⅰ.知への意思』『フーコーコレクションⅥの「啓蒙とはなにか」』の二冊をベースに話を進めることとする。
A.フーコー(1926~1984)の代表的著作『狂気の歴史』『臨床医学の誕生』『監獄の誕生』
『セクシュアリティの歴史』の何れもが歴史の本で、哲学者が歴史を書くことに、フーコー哲学の特色がある。
  フーコーの哲学は、カント以来の「批判」の伝統のうちにあり、その試みは「思考の批判的歴史」と
  呼ぶことができる。そしてその批判は、我々が行う事、考える事、語る事の主体として自らを構成し、
  認識するように我々を導いた出来事を巡る歴史的調査として行われる。
  フーコーによれば、我々人間は、真空状態で生まれるのではなく、過去に積み重ねられた歴史的条件
  の中に制約されて存在する。当たり前だと思って受け入れていることも、実は歴史的に作られてきた
  もので、絶対的、必然的ではなく、偶々偶然そうなっているだけである。とすれば、人間は現実を無
  批判に受け入れるのではなく、現在の在り方を超えて、自分の在り方を新しく創出出来る可能性を持
  っており、その可能性を歴史調査によって焙り出す努力こそが「現在の批判」であり、フーコーの「哲
  学すること」である。

                               ミッシェル・フーコー

B.『性の歴史I.知への意思』の第4章では、上記の歴史調査を行うための道具立てとして、「権力とは
  何か」が論じられている。ここでフーコーは、伝統的な「権力」の概念とは異なるアンチテーゼとし
  ての新しい「権力」の概念を提示している。即ち、伝統的には、上から下へ抑圧する力を[権力]と
  呼ぶが、彼はむしろ物を生み出したり、動かしたりする力を「権力」と呼ぶべきだと主張する。
  フーコーは、伝統的な権力を、「法―言説的」権力と名付ける。これは、人々または事物の本来の自由
  な、真なる在り方を抑圧するものだとされる。したがって、この概念を受け入れることは同時に、本
  来の自由な真理を得ることで、抑圧的権力から解放されると言う考えも受け入れることに繋がる。し
  かし、真理は権力の秩序には属さず本来的に自由と親近性があるという伝統的な考え方はそもそも誤
  りであり、権力と無関係な真理は存在しないとフーコーは言う。真理はフーコーの考える「権力」に
  因って作られるもので、その権力は伝統的抑圧的なものではなく、真理を生産し、その真理を用いて
  積極的に我々に働きかけるものである。
   フーコーの言う権力は、実在的なものではなく、戦略的な状況における力関係を意味する呼び名に過
  ぎず、それ自体は良いものでも悪いものでもない。それは制度でも構造でも特定の人に与えられた或
  る種の力でもなく、所与の社会における複雑な戦略的状況に与えられる名前である。その特徴は、
  1.人間関係のあらゆるところで働く下からの力(微視的権力)。2.誰かが所有したり行使したり奪
  ったり分割出来るような実在的なものではない。3.意図的、志向的であると同時に、非主観的に働
  く。4.ある関係において、互いが抵抗する自由が残されている場合にのみ権力が働く。
   (抵抗の可能性が無い状況は支配であり、権力関係ではない)

フーコー権力・監禁

  フーコーの考えでは、抑圧に反対する試みは、解放されるべき真理の存在を想定することに繋がり、
  その真理を知ろうとする知への意志を生みだす。つまり、抑圧に抵抗することは、真理の生産、知を
  造り出すプロセスに取り込まれてしまうのだ。
  この「権力」を捉えるためには、言説と言う見えるものを通して見えない権力を見えるようにし、さ
  らに戦術的にどんな言説があるかを分析し、戦略的には如何なる目的がその言説を存在させ有用なも
  のにしているかを分析することが必要になる
C.現実の批判
  今の在り方に疑問を感じた時、フーコーの言う権力と、その戦術、戦略の概念を使って現状分析を試
  み、それを歴史的に考えてみることは、批判として有効である。このような批判の実践は、現状が偶
  然の積み重なりであり、絶対的ではないから、それを受け入れる必要はなく、自分も社会も変容が可
  能であることを明らかにする。この開かれた未来を示す点で、フーコーの思想は、我々に希望を与え
  てくれるものであると理解できるのである。

                          相澤先生風景

 3.質疑応答 
Q1.自分の理解が何処まで正しいか自信はないが、フーコーの学説は哲学よりも社会学 政治学に近く何故構造主義哲学と呼ばれるのか? 又、大学時代に習ったサルトル以前の哲学とはかけ離れているように感じるが?
A1.彼の提示する概念が哲学のみならず、色々な分野で広く活用できるだけに、特に日本での紹介のされ方が社会学、政治学、文学の側面を強調されてきた歴史的経緯があり、哲学者としての存在感が薄まったと思われる。構造主義者という評価は、認識の枠組みがルネサンス、古典主義、近代と時代ごとに異なるというフーコーの議論を受けてのものと考えるべきだ。
   人間の存在の認識を伝統的な大きな概念で捉えるのではなく、歴史的に見る点で20世紀的ではある。しかし、自身でも「カント以来の批判の伝統のうちにある」と言っており、決して哲学的伝統を踏み外してはいない。

Q2.今日、いろいろ難しい概念のお話だったが、これらの概念を使って、現実の社会、例えば現在の日本の政治情勢などを分析できるのであろうか?
A2.例えば、「女性の活用」という言説がメデイアで取り上げられているが、それがどのように報じられているか、positiveにとりあげられているか、negativeにとりあげられているか、その言説の目的は何かなどを分析することが権力の分析になる。

Q3.「真理」は如何に捉えるべきか? 首相の言か、反対者の言か?
A3.誰の言が真理かは俄かに決め難く、もし簡単に決まってしまえば、その決まり方そのものに何らかの力が働いたとフーコーは見る。

Q4.日本が抱える問題、現状を相澤先生は哲学的にどう考えられるか? 又、学生のどんな回答に先生は合格点を与えるか?
A4.正直に言って日本の現状のようなマクロの問題ではなく、身近な対人関係などにフーコー的哲学を適用することにむしろ関心が深い。東経大での倫理学の講義では、脳死や安楽死など具体的な生命倫理学の問題をとりあげて、学生の考えを聞くようにしている。正解は一つではなく、学生自身が自分の考えを他人に根拠づけて説明できるかどうかを基準にして採点している。

Q5.例えば「海外」という概念は日本独自の思い込み概念で、そう言う概念が通じない学生などに今日のように難しい話を理解させるのは至難の業と思うが。
A5.学生それぞれの思い込みを極力自覚させて、自分以外の意見も尊重できるように教育しているつもりである。

Q6.今日の話で出てくる「権力」とか「知」とかの概念をより正確に理解するためには、それに相当する英語を教えて頂くともっと理解し易いと思う。また、権力から解放されるべき真理の存在を知る為に知への意思が生まれ自己や社会の変容に繋がると言うような発想は日本には全くなく、憲法の人権思想も含めてすべて外来文化であり、日本の知識偏重教育に代って自分をどう生きるかと言う哲学をどんどん取り入れる必要を強く感じている。
A6.知はknowledge、「権力」はpowerだがこれを「権力」ではなく「力」と訳した方が近いと思う。アンチテーゼは思考を深める良いツールであるので、学生同士でテーゼ・アンチテーゼを通じて議論を深める方向で努力したい。

Q7.レジュメの最初にある狂気・性・刑罰などは具体的にどういうことか?
A7.フーコーはこれらの現象を近代特有の現象として取り上げ、狂気と非理性の区別の成立、正常な性関係と異常な性の関係の区別の成立、刑罰と監獄制度の成立などを歴史的に検証した。この作業自体がフーコーの考える批判であり、哲学である。

Q8.フーコー自身がホモセクシュアルであったことが彼の学説に影響があっただろうか?
A8.彼が同性愛者であったことは確かだが、自身でそれを表明したことはない。彼にすれば性的志向
    などは、あえて語る必要のないことだということを暗に主張しているのだと思う。
                                       (文責:天野 肇)
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