8月号

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 8月号


                                                                   
「お知らせ」
    
◎ 9月の学習会
 
―6月27日に休講になった講義を9月19日に行います―
 日  時:9月19日(土)13:30~15:30   
 場所:東京経済大学 2号館 B301号教室                                    
 テーマ:「案外知らない“終の棲家さがし”の真実」                                       
 講師:岩城 隆就氏(有料老人ホーム代表・社会福祉士)

(岩城 隆就氏のプロフィール)
1951年生まれ。北海道大学工学部卒業。三菱商事㈱に入社。英国駐在を含め17年間プラント輸出業務に従事。1991年同社を退職し、高齢者ホーム草創の礎である有料老人ホーム「シルバーヴィラ向山」を運営する㈱さんわに入社。1997年高齢者向け住宅「アプランドル向山」を開設。2000年同社代表取締役就任。特別養護老人ホーム「土支田創生苑」の設立にも携わり、2004年9月まで理事長を兼務。ほかに(社)福祉社会研究所理事も務める。介護支援専門員、社会福祉士。

◎ 野外学習会のご案内

今年の野外学習会を「日本の海を守る」をテーマに下記のとおり行います。我が国の海防の歴史は黒船来航をもって始まりますが、特筆されるべきは日露戦争時、東郷平八郎率いる連合艦隊がロシアバルチック艦隊を迎え撃った日本海海戦でしょう。まず横須賀に行きその時の旗艦「三笠」を見学し、横須賀軍港めぐり(クルーズ)で現在の海上自衛隊、米海軍の艦船を外観いたします。昼食には市内セントラルホテルで横須賀ならではの「海軍カレー」を味わっていただきます。その後横浜に移動し、海上保安庁の資料館を訪れます。ここには北朝鮮の「工作船」の実物が展示されています。

秋の一日、島国日本の海防について思いを馳せていただければ有意義かと思います。
奮ってご参加ください。尚、当日の案内、注意事項等は、10月の会報で再度お知らせいたします。

【実施内容】
1. 日  時:10月22日(木)午前7時30分国分寺出発(7時15分までに集合
2. 集合場所:国分寺駅南口正面通り「はやし屋文具店」前(「いずみ観光バス」)
3. 会  費:5,500円(交通費、入館料、乗船料、昼食代、保険料を含む)、当日徴収
4. 募集人員:50名

【訪問先・見学場所】
軍艦三笠1

1.記念艦「三笠」(神奈川県横須賀市「三笠公園内」)
戦艦「三笠」は明治35年3月英国ビッカース造船所で竣工した当時最新鋭の戦艦でありました。明治38年5月日露戦争さなか、東郷平八郎率いる連合艦隊旗艦として、ロシアバルチック艦隊を対馬沖で迎撃し大勝利をおさめました(日本海海戦)。直後に佐世保港内で事故により沈没しましたが、修理され現役復帰、さらに廃艦、米軍接収など様々な運命を経た後、昭和36年に現在地に復元展示されました。当日は東郷司令長官が指揮を執った最上艦橋など、当時の資料がご覧いただけます。

2.横須賀軍港めぐり(クルーズ)(三笠公園からバス10分)
横須賀港は現在海上自衛隊および米海軍(第7艦隊)が基地として使用しています。最新鋭設備を誇る「イージス艦」はじめ護衛艦、掃海艇、海洋観測艦、潜水艦など多くの艦船が母港または寄港地として停泊しています。どんな艦船が見学できるかは軍事機密なので当日にならないと分かりません。 

3.横浜海上保安庁「工作船資料館」(横須賀からバスで約1時間)
横浜みなとみらい地区に移動し、海上保安庁の北朝鮮工作船資料館を訪れ、その工作船の実物が展示してある資料館を見学していただきます。
そこは横浜赤レンガ倉庫街に隣接していますので、各自お茶をしていただいたりお土産を買ったりして横浜港を散策いただけます。

【参加の申し込み】 ≪例年通り電話による先着順受付とします≫ 
申込受付日時 受付担当 電話番号
8月29日(土)午前9時~正午 増田 保武 042-324-9174
① 入館料のシニア割引適用を申請するため、受付時年齢をお伺いいたします。
② 会員の受付を優先し、家族・友人等で参加を希望される場合は会員受付時にその旨申し出てください。会員受付後、空きがある場合は会員受付時の順番にて受付の可否を連絡します。

◎ 学習会要旨の修正

会報6月号(284号)に掲載した羽佐間正雄氏のご講演、「東京~東京へ―オリンピックの原点」の要旨の一部を『  』内の文言から   の文言に修正いたします。
①P.2/下から4行目~『幼年学校に行ったのですが』―→幼年学校を目指す学校に行ったのですが
②P.3/2~3行目『一人は君原健二さん、但し、メダルには及ばなかったです。もう一人は、宇佐美彰朗さんです。宇佐美さんは3回行ってメダルには及びませんでした。』―→君原健二さんはメダルを獲り、宇佐美彰朗さんはメダルに及びませんでした。
③P.4/9~10行目『出来ないことを知らず、録画を見ながら放送したことがありました。100mの競争を録画を見ながら放送し、放送時間は57秒(笑い)という時代がありました。』―→出来ないことを知らず、やむなく100mを架空の実況でやりました。その時間、57秒もかかっていたそうです。







◎7月11日(土) 学習会の要旨 
藤田先生4

 日 時:7月11日(土) 13:30~15:30                             
 場 所:東京経済大学 2号館 B301教室  
 テーマ:「3.11東日本大震災の教訓~日本のエネルギー政策
     を考える 第二弾」                                          
 講 師:藤田 和男先生
    (東京大学名誉教授、芝浦工業大学MOT大学院(元)教授、
     Geo3 REScue Forum代表
 出席者:167名(会員:男性123名、女性:38名、非会員:男性4名、女性2名)

【講演要旨】

3年前の2012年の3月、同じテーマで皆さんにお話ししましたが、今日はその後の変化も折り込んで新しい視点でお話しましょう。
2011年の3月11日の東日本大震災は想定外の大津波が福島第一原子力発電所を襲い、未曾有の放射能災害が起きました。あれから丸4年経った現在でも、その原発の廃炉や放射能汚染事故の終息の明確な見通しが立っていない状況です。原子力の安全神話がもろくも崩壊したポストフクシマの低炭素社会の構築を目指すわが国は、いかにして産業・社会の動力源であるエネルギーの安定供給を確保するのか喫緊の命題を皆さんと一緒に考えてみましょう。

1.石油の輸入量と価格の推移(1)わが国の原油の1日当たりの輸入量は1973年(第1次オイルショック):498万バレル(1バレル=159リットル)、1995年:458万バレル、2010年:369万バレル、2013年:362万バレルで震災後は増えていません。増えたのは液化天然ガスで震災後25%も増えました。(後述)
(2) 原油の価格はこの40年間で55倍(1972年1.96$/b⇒2012年2月最高値109.77$/b)となり、為替レートを換算($=360円⇒79円)すると11.8倍となります。
(3)21世紀に入り原油価格の乱高下が起きていますが、これは市場の余剰資金が原油の国際商品先物市場に流入したためです。原油価格の決定要因には本来的な需給関係から生じる価格変動(ファンダメンタル)と産油地等の政情やテロ紛争など先物市場から決まる要因(プレミアム)を加味して決まります。
                                    石油1

2.東日本大震災がもたらしたもの
2004年以来の原油価格の高騰により、エネルギー高価格時代の到来で、エネルギー供給側の選択肢が多様化している折に「2011年3.11東日本大震災&原発事故」が起きました。
 ⇒「日本のエネルギー戦略の抜本的再構築」と「需要者側である日本が省エネ・省資源・環境対策の
   技術革新(グリーン・イノベーション)を行うチャンス」が訪れたのです。

(1)第1次エネルギー国内総供給量と構成比(%)の変化
藤田先生1-1
  注:再生可能エネルギーには太陽光、風力、バイオマスの他廃棄物や廃材発電等を含む

 上記比率は総供給量であり、これから輸出量と備蓄在庫変動分を差し引くと国内供給量となります。
さらに第1次エネルギーをエネルギー変換して「最終エネルギー」にする際に約33.4%が変換ロスとして失います。ですからロスを除いた実際の「最終消費エネルギー」は66%です。実はこの変換ロスは化石燃料を変換する際に起こるロスでして、このロスを如何に少なくするかも大事な省エネ技術です。

(2)発電のためのエネルギー源
 2013年度の最終エネルギー消費量3.34億toeの内、発電に使われているエネルギーは26.4%を占めます。しかし大きなマーケットである電力消費量は第1次エネルギー総供給量の16.8%に過ぎないのです。
下の表はわが国の総発電量の発電源構成について震災前後で比較しました。
 藤田先生2-2
福島原発の事故により、発電の軸になっていた原子力が失われ、化石燃料の大幅な増加をもたらし、CO2の増加にもつながったことが確認されます。

(3)原子力エネルギーをどう見るか
げんしりょく2

 大震災時の民主党政権は2030年に「原発ゼロ」を宣言し、核廃棄物の処理問題もあり国民の何割かは「原発ゼロ」を妄信しましたが、もう一度原発のメリットとデメリットを冷静に考えるべきでしょう。
<メリット>  ・廃炉にかかる処理費用は別にして、発電コストが安価であることは明らか。
        ・ウラン核燃料は既に十分確保され、安定供給保証。国内エネルギーとも言える。
        ・徹底的な原子炉の排熱有効利用の余地がある。
         ⇒現状は海の温度上昇を招き、時に魚を殺している。
        ・日本の原発建設技術の向上と保守技術は、将来の技術輸出となりうる価値がある。
        ・発電量に対するCO2 排出量が化石燃料に比べて極めて低い。
<デメリット> ・放射能廃棄物処理の厳しい国内の現状と課題
        ・地震国である日本で、今後の事故時に放射能汚染の国民の不安が増幅!
         ⇒高レベル放射性廃棄物(使用済み核燃料から再利用するウランやプルトニュームを抽
         出したもの)は、今後国主導で処分を行う基本方針が閣議決定されたが、具体案は決
         まっていない。

3.大震災が引き起こした教訓(1)地球温暖化問題
IPCC(国連の気候変動に関する政府間パネル)によれば1870年(産業革命時代)の地球温暖化ガス(CO2やメタンガスなど)の濃度は280PPMだったが、今年3月の世界平均(40箇所で測定)のCO2濃度は400PPMに達していると(NOAA)が今年の5月に報告、警鐘を鳴らした。450PPMを超えると北極の氷がすべて解けるとも言われ危機的な状況にあるようです。
今年12月パリで開かれるCOP21では2020年以降の抜本的温暖化対策の国際的枠組みの合意が喫緊の国際問題となっています。

(2)世界の国別1次エネルギー消費量(2013年度) 世界全体の総消費量:127.3億toe

                          藤田先生3-3
 ①上位10カ国で65.6%を占めており、特にトップ5カ国の取組み姿勢が重大事となりました。
 ②エネルギーの内訳は紙面の都合上省略しますが
・石炭への依存度の高いのは中国(67.5%)、インド(54.5%)あり、浄化技術等が必須になる。
・再生エネルギーの比率の高いのはドイツ(9.14%)、ブラジル(4.65%)、で日本は6位で2%。

(3)日本のエネルギー基本計画の取組み
 低炭素社会を築くためのエネルギーの選択(Best Mix)が注目されるようになりました。
 日本で電力を発電する場合、1kwh発電するのに石炭火力ではCO2を975g排出するのに対し、石油火力742g、LNG608~519gを発生させ、太陽光53g等々で原子力は25~22gです。CO2排出量がかくも少ない原発の廃止は大きな痛手となるのです。だから代替の火力発電ではCO2排出量が比較的少ない天然ガスにシフトせざるを得ません。
経産省の最終計画案では2030年の電源構成で原発比率(20~22%)と再生エネルギー(22~24%)に構成比を引き上げ、温暖化ガスの排出量を2013年の13.95億トンから2030年に10.42億トンへ26%の削減を図る野心的な目標を年末のパリ会議で提案する予定です。

(4)化石燃料の輸入量のアップと支払金額の増加
 大震災以降 円高・原油高から 輸入量の増加・円安 (円安はアベノミクス)による支払い額の増加がひいては国際収支の悪化に繋がりました。
 ①原油は2005年以降上昇に転じ、2014年迄は100ドル/bがほぼ定着しつつありました。震災前の
2010年度は円高・原油高での中で国際収支の経常収支は18兆円、貿易収支は8兆円の黒字でした。
大震災直後の2011年度から貿易収支は赤字となり、円安の進行で経常収支も減り続け、13年度には1.47兆円まで落ち込みました。円安と化石燃料の輸入量の増加で13年度は11兆円の貿易赤字でしたが、14年度は年央からの原油価急落のお陰で赤字幅が4.45兆円減少し、6.57兆円にV字回復しました。
②これに対し天然ガスの価格はアメリカ、イギリスでは共に安定していますが、日本の輸入価格は安   
定せず、かつ高価格で推移しているのは日本の輸入価格の契約が石油価格スライドだからです。
 原発停止の影響を見ると、日本のLNGの輸入量を比較すると2010年度の7,056万トンに対し13年度は8,773万トンへ約1,700万トン(25%)も輸入量が増加しました。一方、平均CIF価格は2010年49,720円/トン(約 11.5$/MMBtu程度@88.81円/ドル)から 2013年には76,837円/トン
(約16$/MMBtu程度@98.65円/ドル)に54.5%値上がりしました。すなわち数量増しと値上がりのダブルパンチでわが国の年間LNG輸入金額が2010年の3兆4718億円から2013年には7兆568億円と2.0倍に急増したわけです。(増加額は約3兆5,850億円/3年間)
                )エネルギー)(天然ガス

4.ポスト福島の教訓:「天然ガスシフトの時流を拓く」ことと「グリーンイノベーション戦略」
日本のエネルギー消費量の構成比を(1次エネルギー消費シェアで)2013年の世界レベルに比較しますと石油44.1%(世界平均33.9%)、天然ガス22.2%(同23.7%)、原子力0.9%(同4.4%)で明らかに石油偏重です。CO2の排出量比で見ても石炭100とした場合、石油76、LPG71、LNG62~53とLNGが有利なのです。更に埋蔵量で見ても天然ガスはアジア・オセアニア地域の埋蔵量が豊富です。
原子力に対する世論の壁を乗り越える努力をする一方、天然ガスの比率を25%に引上げ、石油依存を35%に下げ、長期的視点で自然エネルギー・新エネルギーの開発に進むべきでしょう。

(1)天然ガスの世界の生産量は3.37兆㎥で、産出国で消費されるのが69.3%、商業生産量は30.7%に過ぎません。この内68.6%はパイプラインによる販売で、LNGによるタンカー貿易は31.4%、即ちLNGによる消費は世界の天然ガス消費量の9.7%に過ぎないシェアなのです。それなのになぜアジアにパイプラインが建設されなかったのでしょうか? エネルギー収支が悪い、高価なLNGによる天然ガス輸送を強いられたわが国はまんまと欧米の策略にはまったのではないかと私は思っておりました。日本はもっと早い段階からパイプラインによる輸入を考えるべきであったのです。

(2)グリーンイノベーションの推進として
  ①エネルギー供給サイドの低炭素化の推進:化石燃料のクリーン化や原子力発電の安全を旨とした
   技術力向上。将来的にはレアーアースに付帯するトリウムを燃料とする溶融塩炉原発の活用などを
   含め。
    ⇒一つの基地で化石燃料(石炭、石油、天然ガス)をミックスした「次世代型化石燃料総合ガス化
   転換ハブ構想」を提案したい。
  ②省エネルギー技術の向上とスマート・エネルギーのシステム化の推進を更に進める。
  ③長期的高度技術研究計画の下に再生可能エネルギーの活用:水力、太陽光や風力、地熱等に加え
    相対的にCO2の発生が帳消しとなるバイオマス燃料による発電などもあります。
    バイオマスは現代において地球上で植物が光合成で大気中のCO2を固定し成長した燃料であり、
    これに着火し空気中のO2が反応し燃焼することによりエネルギーを利用しCO2を排出していま
    す。 (これを“カーボンニュートラル”と言う)
  ④循環型・低炭素社会構築のためのシステム整備:環境先進モデル都市の設計・建設や国際排出権
    取引(ET)やクリーン開発メカニズム(CDM)、共同実施(JI)の活用整備、そして地政学
    (Geopolitics)に基づく国際援助(ODA)やASEANやTPP国際協調の推進 が必要です。

5.私が期待するエネルギーの将来像  今迄述べてきましたが2030年のエネルギーのベストミックスを纏めると次の様に考えます。
藤田先生4-4
このベストミックスを実現するために2030年までにわれわれがなすべき技術研究領域は
     ①化石燃料の安定供給とクリーン化・総合的高度利用
     ②天然ガスの利活用による交通運輸部門の燃料多様化…ガソリン・軽油に偏重しない。
     ③原子力利用の継続とその大前提となる安全・安心の確保
      ⇒核廃棄物等に対する研究を進める一方、他国が原子力発電を継続しているので、技術の
      蓄積を温存するのみならず、技術輸出の芽を残す必要がある。
     ④情報技術の更なる進化により、省エネの促進とグリーンイノベーション。
     ⑤再生可能エネルギーの技術革新とコストの更なる低減。
   
 あっと言う間に2時間過ぎてしまいました。私の話はここまでとしますが、更にご興味のある方は配布の資料をご覧下さい。字が細かくて読み難いと思いますが、虫眼鏡がお役に立つと思います。(笑い)
藤田先生風景2

<質疑応答=要点のみ>
Q.メタンハイドレード(MH)の状況はその後どうなっているか。

A.本件にはアラビア石油に勤務時代から通算20年以上関わり、国のMH評価検討会の座長も務めて来たので経過はよく承知しています。お尋ねされた様なアメリカの圧力で開発作業が遅れている事はありません。しかし水深1,000m、100気圧の海底を掘削・採取するのはたいへん困難な作業であり、多額の操業・設備資金も必要です。
わが国は「ちきゅう」と呼ばれる深海の掘削船(Drill ship)は所有していますが、海底掘削や海底坑井仕上げに使うサービス海底専用船(ROV)を持っていないので、研究の場合はアメリカの船を借り、試掘費用もかなりかかります。サンプルの分析や資源量評価、シミュレーションモデルなど技術的には日本は先端を走っていますが、生産テスト操業で解決すべき課題も多く、なかなか難しいです。今後はアメリカ、カナダ等との国際協力が必要と思います。

Q.原子力発電についてどの様に考えられるか。又、核廃棄物の処理についてどう考えるか

A.福島原発で発生した放射能事故は深刻であり、今後何をするにもこれを教訓として周到な準備で行わなければいけない。日本の原子力発電は発電エネルギーの約30%分を担っていたことを忘れてはならない。再生可能エネルギーがクリーンエネルギーであることは誰でもわかっているが、原発がもたらした大量の電力をどうやって賄えるのか? 霞を食べて人間は生きられない。太陽と北風のイソップ物語は現代には無益です。      
世界的にみると原子力発電はフランス、アメリカ、ロシアを追い中国、インド、韓国などでも増えていく現実を前に、今迄培ってきたわが国の原発の技術的な蓄積と操業経験をスパッと放り投げて良いものだろうかと思い2030年で一次エネルギー国内総供給量の5%の数値を上げた。発電構成ならば原発は10%程度となります。

Q.水素は無限にあり、エネルギー以外にも活用価値がある様に聞いているが、利用できないか。

A.既に燃料電池として活用され始めています。しかし物事はステップ・バイ・ステップが大事です。すぐに目新しいものに飛びつくのでなく、例えば現在進めている太陽光の利用を更にレベルアップする方が大事です。又、宇宙発電や巨大レンズの集光熱利用など太陽光の熱利用の模索も必要でしょう。                 
(文責:小笠原正文)




≪お知らせ≫=======================================
  *特別企画「わたしの戦後70年」は今月は休載します。        
  *会報9月号は夏休みのため休刊します。
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◎ 7月18日(土) 学習会の要旨
長谷川先生1

 日 時:7月18日(土) 13:30~16:30                             
 場 所:東京経済大学 2号館 B301教室  
 テーマ:「映画を読む会―真珠の耳飾りの少女」                                          
 講 師:長谷川 倫子先生(東京経済大学コミュニケーション学部教授)
 講 師:渡邉 尚先生
      (欅友会顧問・元東京経済大学教授・京都大学名誉教授)
 出席者:157名(会員:男性100名、女性:47名、
          非会員:男性2名、女性8名)


【Ⅰ】映画の紹介 

                        真珠の耳飾りの少女2
               
真珠の耳飾りの少女
長谷川 倫子
原作: トレイシー・シュヴァリエ Tracy Chevalier
原題: Girl with a Pearl Earring
監督: ピーター・ウエーバー Peter Webber
脚本: オリヴィア・へトリード Olivia Hetreed
配役:グリート:スカーレット・ヨハンソン Scarlett Johansson
     フェルメール:コリン・ファース Colin Firth
     ファン・ライフェン:トム・ウィルキンソン Tom Wilkinson
     ピーター:キリアン・マーフィー Cillian Murphy
     コルネーリア:アラキナ・マン Alakina Mann
     カタリーナ:エッシィ・デイヴィス Essie Davis
     マーリア:ジュデイ・パーフィット Judy Parfitt

 コミュニケーション学部でメデイア・コミュニケーション入門の講義をしている。今回の作品は受講している学生に、劇中に登場するカメラ・オブスキュラの実像を紹介するために鑑賞させたものである。私が担当しているこの学部向けの講義ではメデイアの歴史を解説しているが、絵画もその歴史的な流れの中で大事な一部を占めていることを理解してもらうために取り上げている。世界で最初の絵画はアルタミラの洞窟壁画だと言われ、絵画から写真へ、写真が動き映画へ、そしてテレビに繋がるという視覚メデイアの発展に絵画は重要な橋渡しの役割を担っている。

 今回の講義に登場するフェルメールは17世紀のオランダの画家で独特の世界観を持ち、世界の人を魅了し、日本でも人気のある画家の一人。この物語を書いたトレイシー・シュヴァリエはこの画家の「真珠の耳飾りの少女」に触発されて小説を書きあげ、この映画はその小説を映画化したものである。

 フェルメールは生涯オランダの古都デルフトで過ごし43歳で亡くなるまで30数点の作品を残した。当時市民国家となっていたオランダでは、画家のパトロンが従来の教会や王様から一般市民となり、ごく普通の市民まで絵画を購入するようになり、市民の日常的な姿が描かれた絵画がたくさん残されている。

フェルメールの絵画の特徴のひとつは青い色彩で、これには高価な顔料であるラピスラズリが用いられている。フェルメールは結婚して程なく裕福な義母の家に同居するようになり、当時、高価であったブルーの顔料―ウルトラマリーンブルーを義母の経済的支援を受けふんだんに使えるようになったと言われている。

もう一つは光の効果である。フェルメールの作品のスタイルは、そのほとんどが北向きの自宅のアトリエの左側の窓から差し込む光のなかに佇むうつむき加減の女性の一瞬を切り取ることで静謐な世界が作り出されている。「真珠の耳飾りの少女」の絵画には、それぞれの目と真珠の二箇所に白点が入れられていて、左上の窓から差し込むこの柔らかな光の効果が少女の魅力をましている。

当時を物語る興味深い装置もこの映画には登場する。日本から輸入した有田焼に感化されたものだと言われているデルフトのタイル。写真というメデイアに欠かせないカメラの前身とも言える装置であるカメラ・オブスキュラは当時の画家が外の風景を描くために使っていた。フェルメールが使っていた証拠はないが映画においては重要な場面にでてくる。このように細部までこだわることで17世紀のオランダがこの映画に再現されている。
 「真珠の耳飾りの少女」の絵画はオランダ、ハーグのマウリッツハイス美術館に所蔵されている。

【Ⅱ】「映画の解説」
 
17世紀オランダの天才画家フェルメールの一枚の肖像画に秘められた愛の物語をモチーフにした小説を映画化。少女の濡れた唇、憂いと情熱を湛えた瞳、今にも何かを語りかけてきそうな表情を浮かべた一枚の肖像画は3世紀以上の時を生き続けてきた。少女が女へと移り変わっていく瞬間の生の輝きを見事なまでキャンバスに封じ込めたこの絵画には、果たして、どういうドラマが存在したのか?その謎めいた背景を解き明かす名作と言える。

 舞台は、1665年、オランダのデルフト。ヒロインは、17歳のグリート。事故で失明した父に代わり家計を支えることになった彼女は、画家のフェルメールの家に住み込みの使用人として雇われた。子だくさんのフェルメール家で、一日中重労働に追われる毎日。
 そういうなかで、美的感覚の鋭さをフェルメールに認められたグリートは、絵の具の調合の仕事を任されるようになった。そして、狡猾な策略をめぐらせるパトロンのファン・ライフェン。彼の挑発に乗せられ、フェルメールは、グリートをモデルにした絵を描くことを決意する。      (文責:中村俊雄)

【Ⅲ】時代背景
渡邊先生2

16-17世紀という時代                                渡邉 尚

16-17世紀はオランダの黄金時代であり、この時代を短い時間で説明するのは極めて難しい。まとまりのない話に終わることになろうが、皆さん、すばらしい映画を堪能なさった後なので、腹ごなしにコーヒーでも一杯、のつもりで聞き流していただきたい。
まず、映画とつなげるために申しあげると、1650年ころデルフト、アムステルダム、ハーレムの小さな三角地域に700人の画工(画家は手工業者)がおり、年に7万枚を制作していた。黄金時代に制作された絵画の総数は数百万枚に上るだろうといわれている。絵画市場を支えたのは一般大衆であり、多くの画工は注文生産でなく、見込み生産で絵を描きまくった。絵画が大衆消費財になる社会は、どのようにして生まれたのか?

ところで、「コーヒー」は、オランダ語の「コフィ」から来ている。オランダ人がコーヒーを飲むようになったのは17世紀前半、したがって、出島の商館でオランダ人に接する日本人にもコーヒーを飲む機会があり、そのため「コフィ」が日本語にとりいれられた。
さて、先ほどから「オランダ」と呼んでいるが、正確には「ネーデルラント」である。ネーデルラントの一州「ホラント」をスペイン語・ポルトガル語で「オランダ」と呼び、これが日本語になった。新井白石は『西洋紀聞』(1709年)で「ヲゝランデヤ」、「ヲゝランド」と表記している。「オランダ」は江戸時代以来の由緒ある表記ということになる。とはいえ、ブリテンをイングランドと呼ぶのに似た便宜的用語法にすぎず、正確を期すためには「ホラント」と「ネーデルラント」を区別しなければならない。

資料の地図でお判りのように、ネーデルラントは南北に分かれる。北部が1581年に成立し、1795年まで存続した連合ネーデルラント共和国であり、これが今日のネーデルラント王国の原型である。南ネーデルラントとほぼ重なるのが、今日のベルギー王国である。また、16世紀のネーデルラントは海に浮かぶ島の集合の趣がある。これは何を意味するか。ネーデルラント人は中世から営々と干拓事業を重ね、少しずつ国土を拡げてきた。それはいまでも続いている。干拓地の排水用の風車はのどかな景観を生み出しているが、ネーデルラントの歴史は何よりも、恐るべき北海との闘争の歴史である。海岸に堤防を築き、守るためにワーテルスハップ(堤防共同体)を結成した地域住民が、一致団結して海と戦ってきた。「世界を創ったのは神だが、オランダを造ったのはオランダ人だ」という言葉があるほどで、ネーデルラントの水利土木技術は世界一である。
                                オランダ風車2

ネーデルラントの黄金時代は、1568年勃発の対スペイン独立戦争(八十年戦争)とともに始まる。これは同時に宗教戦争であり、また植民地争奪戦争でもあった。当時ネーデルラントを支配したスペイン国王のフェリペ二世はカトリック世界の守護者をもって任じ、宗教改革によりプロテスタントが増える一方のネーデルラントを弾圧するために、陸軍、海軍を次々に動員した。その資金は新大陸のメキシコからもたらされた大量の銀である。しかし、この宗教弾圧がやがて国力の衰退を招き、制海権を失ったスペインは世界帝国の座を失った。代わって海上覇権を握ったのが、新興のネーデルラントである。

とはいえ、ネーデルラントの黄金時代も長くは続かなかった。1648年ウェストファリア条約でスペインに独立を承認させ、名実ともに最強の海上帝国として国力が頂点に達したときに、衰退が始まった。レンブラントもフェルメールも破産して、貧窮のうちに死を迎えたことは、ネーデルラントの黄金時代の終りを告げるものであった。 
ところで、グリートが雇われたフェルメール家はカトリックであったが、当時のネーデルラントの政治的実権を握ったのは、プロテスタントのカルバン派であった。カルバン派にも強硬派と穏健派との内部対立があったが、総じてネーデルラントのカルバン派の特徴は、他宗派(メノー派、カトリック教徒、ユダヤ教徒等)に寛容だったことである。寛容、中庸、節制、勤勉の生活倫理が、身分差をこえて定着していたことも、注目に値する。
これと対照的なのが、ジャン・カルバンが直接統治したスイスのジュネーブである。かれの神権政治下で異端審問により、58人が処刑(多くは火あぶり)されたという。

それでは、小国ネーデルラントがなぜ大国スペインに勝てたのか?15・6世紀のスペインは現在のアメリカ合衆国に相当する超大国であったのだ。ここで、イギリスの経済学者ウィリアム・ペティ『政治算術』(1690)の分析を紹介しよう。かれは、連合ネーデルラント共和国のなかで最も強力なホラント、ゼーラント2州に焦点を合わせ、これとイングランド、フランスを比較する。人口規模はこの両州が100万人、イングランドが1000万人、フランスが1350万人であるとして、この最も小さいネーデルラントが両大国を経済力で凌駕した要因を次のように挙げている。

―良い位置にあった。ライン、マース、スヘルデ三大河の河口にあり、肥沃な土地に恵まれていた。
―水運の便がよく、海運業と貿易業が発達した。漁業も栄えた。とくにニシン(「北海の銀」)漁は東インド会社より利益が大きいといわれていた。
―カルバン派の生活倫理と信教の自由。

ペティが見落としたものに、北極海の捕鯨漁がある。捕鯨は燈油用鯨油の取得が目的であった。グリートが明るいカンテラ(「カンデラール」というオランダ語に由来)をかざして家の中を動きまわり、パトロンのファン・ライフェンを晩餐に迎える夜に外で煌々と篝火を焚き、豪華な宴席が蝋燭で光り輝く。当時、照明は贅沢の極みであり、高価な鯨油をふんだんに使えることは富の象徴であった。これが技術上は照明器具や光学器械(望遠鏡、顕微鏡、暗箱)の発展を促す一方で、絵画芸術で陰翳への感性を磨きあげ、レンブラントやフェルメールを生んだのも、うべなるかなと思われる。

黄金期のネーデルラントは、最初の近代的国民経済ともいわれ、また、世界史上、後にも先にもこれほど狭い地域に経済力が集中した例がないともいわれている。政治体制は7州の議会から送りこまれた議員が、外交、軍事の権限を持つ連邦議会(スターテンヘネラール)を構成し、各州議会では州内各市の参事会から送りこまれた議員が各市の利益を代表し、市参事会は上層市民が実権を握っていた。こうして各都市上層市民を基盤として下から積みあげる民主主義が、ネーデルラントの政治風土をいまなお刻印している。

黄金時代のネーデルラントを語るうえで欠かせないのが、東西両インド会社である。1602年設立の合同東インド会社(VOC)は、東洋全体を活動範囲としたが、とりわけ重要なのが「東インド」(現在のインドネシア)である。現在のネーデルラント王国とインドネシア共和国との面積比は1:45。ここを350年間にわたり徹底的に収奪したのだから、いかにネーデルラントが膨大な富を蓄積したかがお解りいただけるだろう。

映画との関連で重要なのは、VOCや西インド会社(WIC)からもたらされる、アジア・アフリカ・アメリカ産の植民地物産である。その代表例が染料、顔料である。鮮明で褪色しにくい青色(ラピス・ラーズリ=瑠璃)や赤色(コチニール)は植民地からもたらされた高価な染・顔料で、薬局で売られていた。八十年戦争の間1609~1621年まで休戦期間があったが、これが終わるとスペインとの海戦再開で植民地物産の価格が高騰したため、絵画が一斉に白黒になってしまったといわれている。植民地獲得はネーデルラントに絵画芸術の黄金時代をもたらす必要条件だったのだ。

東西両インド会社が植民地で重ねた言語に絶する暴虐な原住民支配は、国内における寛容とおよそ正反対である。たとえば東インド初代総督クーンが現地でまずやったことは、ジャカルタを焼き払い、オランダ風の都市バタビアを建設することであった。次いで各地で原住民から土地をとりあげ、胡椒、ナツメグ、丁子、コーヒー等の植民地物産の栽培を強制した。そのためどれほど多くの原住民が餓死したことか。カルバン派の行動にみられるヨーロッパ内外におけるあからさまな二重道徳は、理解を超えるものがある。

ともあれ、戦国時代にポルトガル、スペイン、ネーデルラントという西欧列強が次々に日本に触手を伸ばしたにも拘わらず、日本が植民地化されずに済んだのは、幕藩体制がこれに対抗できる軍事力を備えていたからにほかならない。
最後に、当時のネーデルラントの社会的特徴を挙げる。1)清潔好き、2)子供好き、3)初等教育の普及、4)身分差、性差が小さい。こう並べたてると、江戸時代とかなり似ているのが意外である。洋の東西に隔てられた異質の両国が対等の国交を持ったことは、世界史のなかで稀有な事象である。これまたネーデルラントの黄金時代を彩った色調であろう。

(質問)フェルメールの絵を見ると、女性が手紙を書いているものがあるが、当時、郵便制度はあったのか?

(回答)トゥルン&タクシス家が16世紀のうちに神聖ローマ帝国・ネーデルラント内の郵便事業を独占する認可を得て、17世紀には広域的な郵便馬車制度が成立していた。とはいえ、独立戦争期のネーデルラントで、これがどれほど機能していたか疑問である。また、デルフトのような一都市内における局地的な私信、小包の日常的流通の便宜を図る仕組みがあったに違いないが、実態は不詳である。


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                16・17世紀という時代         欅友会学習会用27/07/17 渡邉 尚
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