5月号

                                  5月バラ(1)
     
      
   
     
 5月号                                                                                                               


              
ご案内とお知らせ

◎会員懇親会のご案内 
☆下記の通り会員交流の場を設けました。ぜひご参加ください。
  日時場所:5月23日(土) 学習会終了後、葵陵会館内学生食堂
  会  費:3,000円 
★当日は軽い食事と飲み物などを用意しています。東経大の学生アカペラサークルによる歌を聴きながら、
談笑をお楽しみください。
★東京経済大学の堺学長、手塚眞生涯学習委員会委員長、岡本英男教授ほか、国分寺市からは井澤市長、
松井教育長、講師の羽佐間元NHKアナウンサー、岩城隆就氏、藤田和男東京大学名誉教授がゲストと
して出席される予定です。
お申込みは5月14日(木)までに、メールか電話で下記までご連絡お願いします。会費は当日お支払いください。既に申し込まれている方でも、5月18日(月)までにお申し出がある場合のキャンセルは、返金に応じます。  【連絡先】中村 俊雄/090-6245-4968

◎27年度欅友会役員の担当職務決定 
                                  
 役員会で下記の通り決定しました。(敬称略)
   会 長:増田保武                         
   副会長:長谷部元信 大崎尚子 上村享子 中村俊雄
   会 計:市橋治郎
   会計監査:江原政智 南波貞敏
   総 務:赤池秀夫 天野肇 飯沼直躬 小笠原正文 那須睦子 野崎博多 三宅良一
       八代はるよ 山田健 横塚紘一 渡辺義廣
   相談役:岩本 繁(東京経済大学理事長)
       堺 憲一(東京経済大学学長)
       松井敏夫(国分寺市教育長)
   顧 問:渡邉 尚(元東京経済大学教授、京都大学名誉教授) 

◎伊藤伴さんエベレスト登頂断念

エベレスト登山中にネパール地震(4月25日発生)に遭った伊藤伴さん(東京経済大学経営学部2年)から大学へ届いた連絡によりますと、登山隊は全員無事、しかし、隊は5月1日、以降の登山の中止を決定しました。会員の皆様には募金にご協力を頂きました。感謝してご報告いたします。

     
◎5月の学習会のお知らせ                                    
 日 時:5月23日(土) 13:30~15:30                   
 場 所:東京経済大学 1号館 A 405教室                                 
 テーマ:東京から東京へ―オリンピック原点(テーマが変更になりました)              
 講 師:羽佐間 正雄 氏(元NHKアナウンサー)                         
(講師のプロフィール)                          
1931年生まれ。東京都出身。スポーツジャーナリスト。元NHKチーフアナウンサー。NHK退職後は嘱託契約の専属キャスターとして実況を担当していたが、1993年以降は完全にフリーとなり民放に活躍の場を広げた。㈱オフィスカノン代表取締役会長。オリンピック実況11回、ゴルフ、プロ野球、サッカー、陸上競技、スキーなどカバー範囲は多岐にわたる。1987年には「全米スポーツキャスター協会賞」の特別賞を日本のスポーツアナウンサーとして初めて受賞し、殿堂入りした。著書に「実力とは何か」(1987年)、「勝者の流儀」、(2008年 大和書房)ほか。

◎4月11日(土)学習会の要旨                                             岡本先生1
     
テーマ:日本は絶望的なほど財政危機か? 
場 所:東京経済大学 2号館 B301教室     
講 師:岡本 英男 先生 (東京経済大学経済学部教授)
出席者:190名(会員:男性142名、女性34名        
         非会員:男性12名、女性2名)  
 
【講演要旨】
はじめに本日の私の話は、おそらく、皆さんの8割ぐらいの方が賛成されないのではないか、と思いながらお話しをしたいと思っております。
今日のテーマの今の財政をどう見るかとなると、おそらく、危機的と思われる人の方が、この会場にも多いことでしょう。ですが、確かに国債の累積は大きいし、赤字はずっと続いているが、何とかなるだろうと思っている人も少しはおられるのでは。私は何とかなるだろうと思う方ですが、但しそのためには、基本的な原因が何であるかをまずしっかり押さえるべきだ、とする立場です。日本経済の歩みや国債の累積の原因、そしてアベノミクスの背景と意義について正しく理解している人が意外に少ないと思うからです。

Ⅰ 日本財政の現状
1.過去からの推移
新聞や雑誌などからの圧倒的な情報は、日本財政は非常に危機的とされるもので、皆さんはそれを見聞きしておられる。だから皆さんが危ないと思われるのはある意味で当然のことで、私が大丈夫だと言えば、本当か、と言うのが世の中の雰囲気です。今日の資料を見ればますますそう思えて来るでしょう。
資料①「一般会計における歳出・歳入の状況」は、平成2~3年以降、歳出の伸びに対して税収が伸びていない状態を表わしており、その差は当然国債で埋められます。但し最近数年の税収は上向いており、税収に関して安倍政権はそれなりの役割を果たしていると言えますが、大きく見れば、大丈夫かと言う疑問は残る。財務省は「我が国財政を家計にたとえたら」火の車だと説明しますが(資料①下図)、これは事実です。ただ問題はあり、そのことは後で話します。
資料②「公債残高の累増」によると、昭和40年代はほぼ均衡財政で、平成10年代になって特例国債の発行が伸びて来た。これに、名目経済成長率の推移を重ねて見ると、この、国債の発行はバブルの崩壊とデフレでほぼ説明できます。これも後ほど説明します。

2.国際比較
外国との比較では(資料③右上の図)、日本は2004年~07年に回復の兆しもありましたが一貫して大幅な赤字が続いており、特にリーマン・ショック以降に回復が見られない(ドイツは2012年以降ほぼ均衡財政)。下の図表の「債務残高の対GDP比」を見ると日本は240%に近い。以上のように、日本の財政が悪いというのは明らかです。そこで、なぜこうなったのかについて次にお話しします。
                                   財政3

Ⅱ 財政赤字の継続と国債累積の原因
1.財政赤字の淵源
井手英策『財政赤字の淵源』(2012)という本があります。彼は、日本の赤字財政の原因を、一つはアメリカの要請で公共投資をやるような体制協力のようなところに、もう一つは、租税抵抗という形でなかなか増税出来ない日本財政の体質的なところに求めています(佐藤滋・古市将人『租税抵抗の財政学』も同じ)。しかし彼らの問題点は、90年代以降の日本のデフレにほとんど触れていないことです。
国債残高のGDP比は国債残高÷名目GDPですから、分母の名目GDP(名目成長率)が伸びないと下がりません。だから、先ほどの240%という数値もある意味で自然なことです。名目成長率がなぜ伸びなかったのか、これは、92年(平成2年)位から税収がどんどん下がっていること(資料①)と関係します。この頃に特別減税を実施したから皆さん方も覚えているでしょう。それは、減税しないと景気の落ち込みが一層激しくなると想定されたので実施した。当然税収は下がります。一方、一般会計歳出では、高齢化が進む中で社会保障費などが増大する。そこで、問題は平成元年~4年に掛けて、ここで何が起きたのかということです。さらに、平成8~9年には国債の発行がぐんと伸びています。こう言ったところに彼らは焦点を当てるべきです。つまり、我が国のバブルとその後の長期に亘る不況の問題と、いまの国債の累積問題とを関係づけて考える必要があるのです。

2.日米2つのバブル(1920年代のアメリカと80年代の日本)とその崩壊
土生(はぶ)芳人は、1980年代の日本のバブルと1920年代のアメリカのバブルを比較すると、株式と土地を合わせた資産増加額の対GDP比(アメリカは対GNP比)は、アメリカは177%、日本は722%と日本の方がバブルの規模がはるかに大きいと述べています。そしてアメリカのバブルの崩壊は1929年秋のニューヨーク株式市場の暴落に始まり、日本のバブルの崩壊は1990年年頭の株価暴落で始まった。両者とも株価と地価の暴落が続きましたが、圧倒的に日本のバブルの方が、規模が大きい。この事実をわたくしは重視しています。

3.バランス・シート不況
リチャード・クーも同じことを言っています。資料⑤の図1-12は株価と地価の下落の状況を示しており、失われた富は1500兆円以上(⑤図1-13)とすさまじい資産暴落でバランス・シート不況が起きた。どう言うことかと言うと、80年代後半の4年間に企業は借り入れを増やしていった。しかし、バブルが崩壊すると、企業は自分たちのバランス・シートを綺麗にするべく借り入れ返済に走る。それが長い期間に亘って続いた(⑤図1-11)。
このように考えると、国債の累積とか長期に及ぶ赤字財政の見方が変わってきます。図1-14では、これだけすさまじいバブルとその崩壊にもかかわらず、実質GDPは伸びている。だから、失われた20年と言うよりも、良くやった20年、低成長でもやっていけることを証明した20年、ではないかと言う説もあり、そう言う見方もできます。その場合、例えば図1-16を見ると、バブル崩壊以降の追加の財政赤字は460兆円、これによって実質GDPのプラスを維持したことになります。財政政策は一定の効果があった、と言うのがリチャード・クーの主張です。

またポール・クルーグマンは、自国の通貨で借り入れをする国は、借金がかなり高くても公債償還についての心配をする必要はない、デフレ下の積極的財政政策はより有効な解決策である、と言っています。その点は私も同意見です。2008年の経済危機以降、ドイツを例外として財政政策有効論が強くなっています。リフレ派の浜田宏一は金融政策のみが有効と言うが、他方、財政政策の有効性を説くリチャード・クーは、量的緩和については批判的です。私は金融と財政の両輪でデフレからの脱却を図る方が望ましいと考えています。最近の経験を踏まえて不況の場合は特に財政政策は有効との意見が強くなっており、このような見方をとると日本の財政赤字と国債の累積に対する見方も少し変わってきます。

お配りした資料の「消費増税延期と日本財政」は昨年の11月末頃に書いたものですが、私は「80年代後半の日本のバブルは20年代のアメリカのバブルよりもはるかに大きかった。アメリカではバブル破たん後に不況は大恐慌に発展したのに対して、日本ではバブル崩壊後の長期の不況下においても1%近い実質成長率を維持した……このように財政は日本の社会と経済の崩壊を食い止めるうえで大きな貢献をしたが、その分財政は大きく傷ついたのである。それゆえ、財政の立て直しもきわめて長期の計画のもとに経済と社会の状況を考慮しながらなされなければならない」としました。これは私の主張です。つまり国債残高の累積問題も決して悪くはなく、一種合理的な理由があったのです。では、国債の残高問題はどうなるのか。

                                   財政4

Ⅲ 国債問題の正しい考え方
借りたお金は返さなければならない、と一般的に言われている。ただ、政府の債務と国家の債務は違います(資料⑥図10-1参照)。外国に対して借りるのが国の借金。日本の場合、国債の95%以上が国内で保有されている。つまり政府が民間に借金をしている(民間から見ると資産になる)。日本の対外純資産は2013年で325兆円もあり、20年連続で世界1位を維持する最大の債権国です(外国から借りる必要はない)。アメリカは482兆円のマイナスです。そして、例えば2001年に破綻したアルゼンチンの場合はドルで外国から借金をしていた。ギリシャの場合も自国通貨での借金ではない。まず日本の国債は、国の借金ではない、という認識をしてほしい。

個人や家計の借金は良くないと考えられています。しかし家計と政府は違う。個人の場合は生涯の借金は生涯の内に返済しなければならないが、国家は永続的な存在で、その点を踏まえる必要があります。国家は国民生活の安定のために、例えばすごい失業が出た時には減税や公共事業をするとか、社会保障制度でカバーするとかしなければなりません。その点は家計とは異なる。財務省は税収確保のために家計にたとえて説明しますが(資料①)、そのたとえは正しくないと思います。不況期に財政赤字が出るのは、ある意味で自然なことです。税収が減る一方で、社会保障は簡単に削減できないからです。91年のバブル崩壊後のバランス・シート不況時には法人部門が利益を蓄積している。唯一政府が赤字になることによってバランスをとっている(資料⑤1-15b)。

青木泰樹は、経済内の貨幣流通を貨幣の産業的流通(財・サービスの取引といった経常取引に伴う貨幣の流通量)と金融的流通(金融取引に伴う貨幣の流通量)との2つに分けることによって、国債の機能を上手に説明しています(資料⑥)。国債発行は、この貨幣循環から見れば、民間に滞留する不活動貨幣を政府が取り込み、公共投資等を通じて活動貨幣化するもの(図10-2)。本来であれば産業的流通と金融的流通が直接にうまく関わるような関係が望ましく(図8-3)、そうすれば政府の国債発行による公共投資も不要になります。但しバブル崩壊後の民間経済が縮小しているような時に、政府が国債を発行して金融市場に滞留している資金を引き揚げ、それを活動資金として現実の経済に投入することによって経済を活性化する。そのような国債発行は本来の役割を担うものと言えます。

それが、不況下で増税と言うのは、政府が活動貨幣を産業的流通から引き揚げて国債の償還に充てることで、活動貨幣を不活動貨幣に送り込むことになる。これは一番やってはいけないことです。家計で借金を借金で返済する(「借り換え」でやる)となれば問題になるが、政府に関して言えば、何人かの学者が言っているように、その「借り換え」も当り前のことだと言えます(そして、それは実際頻繁に行われていることです)。経済が不況だから「借り換え」で凌ぐ、政府がそのような行動をとることは至極当たり前のことです。
したがって、増税はインフレ気味の時にやるのが良い。てきめんに物価が下がる。ただタイミングが重要。安倍首相は、個人的な好き嫌いはともかく、タイミング良く増税延期を決定した。経済で大事なのは実体経済であり、私は特に雇用の拡大が最も重要だと考えています。

繰り返しますが、一番やっていけないことは、デフレから脱却していない時の増税です。しかし、好況になれば増税するというコンセンサスは必要です。国民の不安を鎮めるために民間が保有する膨大な国債を徐々に(計画的に)日銀に移し替えていくことが望ましいこと、そして増税にするにあたってどのような税が望ましいかといった問題については、別の機会にお話しすることにして、以上で私の話を終わりにさせて頂きます。ご静聴ありがとうございました。
                    岡本先生3

【質疑応答の大要】(紙面の都合で内容を一部編集させて頂きました。)

Q1:先生は、不況下の増税は最悪だ、財政危機の心配はない、と仰いますが、多くの財政学者が消費税を上げなければ成り立たないと言っており、わたくしも一般会計予算の現状を見ると、健全財政は必要なことだと考えます。その点について、先生のお考えをもう一度お聞かせ下さい。
:わたしは、その人たちの考え方は間違っていると思っています。2006年に財政が破綻すると言った人もいますが、まだ国債価格は暴落していません(その事実が彼らの誤りを証明しています)。→Q1:もう少し詳しく説明して下さい。→A:それは(今日の話の中で説明した通り)、家計と国家は違うと言うことです。国家は社会の安定を図ることの方が大事、雇用の維持の方が大事です。→Q1:それでは財政はもたなくはありませんか?→A:ここ2~3年の財政状況は僅かながらも良くなって来ています。→Q1:消費税は?→A:消費税は良くなった時に上げれば良い。しかし当然不況下では上げてはならない。

Q2:先生は、安倍政権の増税延期は正しいと仰いましたが、2017年には上げざるを得ない。その時に景気が悪かったらどうなりますか?
:その時には上げない方が良いと思います。→Q2:しかし延期はできないのでは?→A:国会で延期の変更を賛成多数で議決すれば可能です。→Q2:もう1つ、外国に対する借金ではないと言っても政府の借金は借金、いずれは返済しなければなりません。その際、政府はインフレ政策を採らざるを得なくなるのではないか。そうなると制御不能になることはありませんか?→A:政府は2%のインフレ目標でやっているが、そのコントロールは金融の引締めや増税などの手法で可能と考えます。そう簡単ではありませんが。

Q3:財政規律をきちっと守って行くことが大事だと思いますが、先生の話は大丈夫だから現在の財政赤字は放置して良いと聞こえて仕方がない。いまの政治を見ていると不安があります。何か歯止めを掛けないといけないのではありませんか?
A:政治不信のあることは分かります。しかし不況下で財政規律を厳しくすることは、「角を矯めて牛を殺す」ことになる。吉川洋氏や井堀利宏氏のような財政規律派の先生も数多くおられますが、むしろ彼らは日本の「失われた20年」の責任を問われるべきではないか。80年代のバブルを誰が引き起こしたのか考えてみる必要があると思います(「供給の経済学」でもって規制緩和を唱和した者の責任を)。

Q4:私は、以前、20年位前のハンガリーで起きたハイパーインフレについて詳しく調べたことがあります。このインフレは、例えて言うなら、日本の国民1億2000万人の一人一人に1兆円を与えても足りない位の大きさのものでした。そのようなインフレが一体どうして起きたのかを現地に行って調べたのですが、その原因は分かりませんでした。しかし、それでも国民の皆さんは元気に明るく生活しており、不思議に感じたのですが、今日の先生のお話を聴いて、ハイパーインフレが起きても国民は決してダメにはならない理由が良く分かりました。ありがとうございました。
(文責:横塚紘一)


◎ 4月25日(土)学習会の要旨                              
テーマ:戦後70年をどうむかえるか―「戦争の記憶」をめぐる争点を考える―  
場 所:東京経済大学 2号館 B301教室                                          
講 師:戸邉 秀明 先生(東京経済大学経済学部准教授)                              
出席者:186名(会員:男性141名、女性38名
        非会員:男性4名、女性3名) 
戸邊先生3
                
【講演要旨】 
Ⅰ.予想できましたか? こんな「戦後70年」-はじめに
1.戦後60年/戦後50年と比較するために遡ってみると……
① 対話の途絶えた東アジア、「隣人」同士で募る嫌悪感(2015年)
② 靖国参拝で政冷経熱、中国では反日デモも(2005年)
③ とにかくお詫び・反省をして未来志向へ(1990年代後半)
 →アジアとの友好関係で言えば、この20年あまりで大きく後退
 →1990年代前半(=冷戦崩壊、日本経済の斜陽はまだ実感できない)の時期には想像できなかった
2.3つの方向からの「戦後」批判 
 ① 中国政府、韓国政府からの「軍国主義復活」批判(本当に戦後になっていないのではないか?)
 ② 政権自らによる「戦後レジームからの脱却」の声(戦後の価値観は日本にとって有害だ!)
 ③ 内外の戦争・植民地支配の被害者からの訴え(私たちにはまだ戦後さえ来ていない!)
  →大多数の「日本人」にとって「聞いてない」批判の声。これにキレるのではなく対処するには?
  →「すぐに解決」の処方箋はもちろんない。しかし、「脅えない」「だまされない」ための方策はある
3.本日の内容・流れ 
*「戦後」批判の焦点となっている「歴史認識問題」や「戦争の記憶」をめぐる諸問題の現状を検証

Ⅱ.どんな争点が出ている?-それは本当はどんな問題なのか
1.「慰安婦」問題
 ① いま一番ホットな「戦争の記憶」?
  a.『朝日新聞』による「慰安婦」の「連行」証言「誤報」訂正・謝罪(2014.9)
   →同時に出た原発事故報道「誤報」謝罪とも、同じ「吉田」という人物なので余計に増幅
   →信用の失墜、さまざまな非難が集中(関係のない元記者にまで脅迫がくる「便乗」まで)
   →だが研究者や関心のある記者の間では、この元ネタに信憑性ナシ、は1990年代後半から常識
 (朝日は初期の報道でこの証言を引用、その後、問題がわかって以後も訂正を出さず)
  b.ライバル社等、メディアの朝日中傷合戦
  →読売・産経は朝日タタキに奔走。政治的背景の違い(イデオロギー)よりも“お客の奪い合い”
    (背景にあるのは、新聞という古いメディアのジリ貧状態 →奪い合いどころか一緒に地盤沈下)
  →便乗して「慰安婦」関係の証拠資料がみなウソであるかのような明確に故意の記事も(特に週刊誌)
  →ネットにみられる「朝日=エリート」タタキによる憂さ晴らし
 (悪化する格差社会のなかで「既得権益」保持者への匿名の中傷が増大)
  c.政府与党によるメディア企業に対する特異な非難
   →「国益」を害した、という大合唱。まるで「慰安婦」関連の事実がすべてなかったかのように「捏造」を強調する議員   たち。
   →自民や維新の女性議員が、このような朝日批判の急先鋒に立っていることも、今回の特徴
② 国際社会が非難している“動かない事実”
  a.「従軍慰安婦」=「性奴隷制」という国際的理解は、この「誤報」の証言を基礎にしていない
   →国連の「慰安婦」問題のレポート(クマラスワミ報告)はより確実、多様な史料に依拠して論証
  b.国際的に非難の対象となっているのは強制的に兵士の相手をさせることそのもの
   →仮に「強制連行」の有無だけを叫べば、日本の倫理的水準そのものが疑われる(疑われている)
   (商行為だ、業者がやったんだ、という論法自体、当時も、まして現在では人権観念の欠如の典型)
 ③ 覆せない「河野談話」  
  a.政府=日本軍の関与を根本的には否定できない安倍政権
   →米国議会・政府が注視している(「韓国ロビー活動の入れ知恵」ではすまない日本への不信感)
  b.より明確な強制によって「慰安婦」にされた欧米系女性の存在をなぜ無視しているのか
   →そもそも自覚がない?(「韓国がうるさい」という意識しかないのでは?)
   →韓国の右翼・サブカルの恣意的な「慰安婦」報道を叩いて喜んでいるだけの日本の排外主義者は韓国の合わせ    鏡にすぎない
 ④ 一連の「慰安婦」問題報道から見える日本社会
  a.韓国・朝鮮に対して、不利なことは絶対認めたくない、という態度で貫かれている
   →問題は「国の誇り」でしかない ~韓国の右翼と同じ
    ~そのために、よく使われる論法 「どこでも同じ事をやっている」「元慰安婦は金が欲しいだけ」
   →〈女性の人権侵害〉という根本の問題が置き去り(現代日本社会の人権感覚がよくわかる)
  b.背景にある「植民地支配の罪は認めたくない」意識
   →一般の人種差別とは異なる日本型排外主義の根源といえる

2.領土問題(竹島・尖閣・北方領土)
 ① 確かにもともとあった、しかし……
  →領有権の論争は国交回復の時期に集中したが、冷戦期には互いに「棚上げ」や黙認の状態に
 ② 2012年の奇妙な事態
  →竹島、尖閣諸島、いずれも実効支配をしている側が問題を大きくしたのはなぜか?
  →国内の政争のために領土問題が道具にされた側面(お互いが後にひけなくなる)
 ③ 近代以前に遡るような「先取(占取)権」争いに決着はない(「固有の領土」論の危うさ)
  →近代以前の古文書を持ち出しても証明にならない(双方とも自分に都合のよい解釈をしているだけ)
  →そもそも海洋・海底資源の発見がなければ国家はまったく関心がなかった
 ④ 置き去りにされた北方領土の問題 
  →まずは領土問題と切り離した元住民の訪問等の権利や先住民の権利回復が必要ではないか?

                  沖縄問題(2)

3.沖縄問題 
 ① 沖縄戦裁判(別名、大江・岩波裁判、2005-2011)+ 沖縄戦教科書問題(2007)
  a.「集団自決の軍命はなかった」と元部隊長・遺族が大江健三郎・岩波書店を提訴
   2005.7提訴→2008.3大阪地裁→2008.10大阪高裁→2011.4最高裁(いずれも原告敗訴、確定)
   →なぜ直接の情報源である沖縄ではなく大江/岩波を訴えたのか?
  b.原告側主張を受けて文科省は高校日本史教科書の「集団自決」の強制性記述の削除を強制
   →通説を覆す全く異例の検定(官僚では出来ない「変説」←強い政府介入抜きにはありえない)
   →沖縄を中心に抗議、撤回要求。最終的に、ほぼ検定以前の記述を回復
    (沖縄では保革を問わず「抗議」で一致 →現在の「オール沖縄」形成のきっかけになる)
 ② 基地問題をめぐって相次ぐ、日本政府への批判を表す沖縄県民の選挙結果(2014.11~12)
  a.「基地負担」の軽減どころか最新鋭基地の建設による基地の固定化という実態
   →「都市部から離れれば良いじゃない」は、戦場体験を語りつぐ沖縄には通用しない
   →「基地がある」=「攻撃目標になる」(しかも沖縄の米軍基地は沖縄を守るための基地ではない)
  b.「基地で食ってる」という沖縄観は、今では通じない
   →基地跡地の民間利用の方が多くの雇用・税収入を生み出すことは、沖縄ではよく知られている
4.ヘイト・スピーチ(hate speech)
 ① エスカレートする民族差別(特定「在日外国人」への差別)
  →言葉による「嫌がらせ」「脅し」どころか外国人学校への襲撃事件まで(2014.有罪確定)
  →日本の場合、東アジア諸国の「陰謀」や「脅威」を“根拠”とする攻撃が多いことが特徴
 ② 沖縄の人びとも「外国人」?
 →基地反対の運動に対して繰り返される「非国民」「中国の回し者」という非難
5.空襲被害補償請求訴訟 etc. 
 ① 救済されない民間人の戦災被害
  →「国民みんな被害を被っている」という論理で、司法は門前払いを繰り返してきた
  →被害を低く見積もろうとする国の原爆症認定(政府の姿勢に対しては司法からも批判が出ている)
 ② 戦争被害補償に関する圧倒的な軍民差別、軍隊内差別
  →軍隊と民間人の「線引き」は戦後70年間、生き続けている
  →「兵隊さんに報いるのは当然」ならば、なぜ戦時中の階級に基づく「恩給」格差があるのか
  →しかもアジアに散在する兵士の遺骨に対して、政府は“無関心”

Ⅲ.どうしてこうなったの?-アジアの四半世紀、日本の四半世紀
1.周辺諸国の発言力の増大、および緊張の高まり 
 ① 中国・韓国の大国化・先進国化
 →日本では、なお「遅れた社会」との認識。しかし世界の工場であり市場。「お得意様」ゆえに募る反感
 ② 各国の抱える国内問題の捌け口としての「愛国」や排外主義
  →日本も含めて、国際競争力のために国内の「平等」や「福祉」を犠牲にしてきたツケ
2.冷戦以後の国境を越えたネットワークによる「市民」の力の増大 
 ①「声を挙げられない人々」への国際的な支援の広がり(NGO活動等)
  →各市民の「地元」を通じた立法府による決議・立法による批判の波
 ② 独裁者や国家の罪に対して「正義」の実現を求める広い国際世論
  →個人の罪を国際司法が裁く場の整備(ex. ユーゴ内戦)
  →各国内でも国民・住民参加による「和解」や過去の不正義の糾明が進む(ex. 南アフリカ、韓国)
 ③ ただしボーダーレス、「市民力」は「愛国」や排外主義が広がる条件でもある(光と影、両面がある)
3.日本の国力低下と被害者感情の増大
 ① バブル後の「失われた○○年」/「東アジアの奇跡」の対照的イメージ
  →日本経済の“斜陽”の最大原因は産業空洞化なのに……
  →「自己責任」や「勝ち組/負け組」を煽るマスメディア(格差社会の構造的問題への指摘は乏しい)
  →「在日特権」等の中傷を典型として、「既得権益」「抵抗勢力」なるものを見つけ出し、叩くことで自分たちの尊厳や権   利が回復できたかのような報道や発言が横行している
 ② 被害者感情の蓄積と不満の捌け口としての排外主義
  →往年の大国イメージと現実のギャップから不安にかられ、外に敵を作って安心したい人々の増大
  →北朝鮮による拉致=国家犯罪の確認を契機に2000年代半ばから一気に増大
  →それを自己の政治的人気につなげたいと考える政治家が増えている現状(小泉人気から常習化)
4.戦争と植民地支配に関して忘れられている基本的事実 
 ① 植民地支配、および日本軍の侵略によるアジアの巨大な損害(多くの潜在的能力を奪った)
 ② 賠償ではなく経済援助で済ませてきた戦後日本とアジアの関係
  →疲弊した社会の復興のために経済援助を選んだ独裁者たち(日本政府が責任を認めなかったため)
 ③ 個人への補償はしていない
  →国交回復・経済援助と引き換えに、日中韓各政府は個人の被害補償請求権を奪ってしまった
  →同じ論理はサンフランシスコ講和条約で日本政府も飲まされている
   (現在、これらを乗り越えるために様々な裁判が国境を越えて提訴されている)

Ⅳ.東アジアの政治地図をどう見る?-歴史に深く規定されている東アジア
1.北朝鮮/韓国/日本の現指導者たちの深い因縁 
 ① 金正恩:北朝鮮最高指導者
  →祖父は北朝鮮建国者=「首領様」金日成(抗日パルチザン指導者、反対派の粛清の上に世襲独裁へ)
 ② 朴槿惠:韓国大統領
  →父は朴正煕元大統領(軍人、クーデタ後自ら大統領に。約20年の独裁、韓国を高度成長に導く)
 ③ 安倍晋三:日本国首相
  →母方の祖父・岸信介(東條英機内閣閣僚、A級戦犯、戦後首相で安保改訂を主導)
 ④ 彼らの政治的威光の源泉は、すべて日本の「満洲」支配に求められる
  →そして三者の一族すべての「戦後」の栄達に深く関わっているのがアメリカという存在
2.問題の根源としての日米関係 
 ① 東アジア各国間の“不和”の根源にあるアメリカの力
  →米国の東アジア外交の根本方針はなにか? 米国にとって理想的な状態は、アジア各国が不和によって友好関係  を結べない状態(米国は常に二国間関係によって有利な立場を維持)
 ② 安倍外交はどんな意味で「戦後レジーム」からの脱却なのか?
  →アメリカへの従属によるアジアへの強気維持、という構図は変わらないどころかいっそう深刻化
  (しかしアメリカは、これ以上、日本を「甘やかす」だろうか?)

              戦後7雄年(3)


Ⅴ.戦後70年をどうむかえるか?-おわりに
1.さしあたっての焦点
① 「安倍談話」の内容はどうなるか?
② 集団的自衛権をめぐる解釈改憲、新しい安全保障法制、沖縄の新基地建設はどこまで進むか
  →でも本当にこれが脱「戦後」? しかも私たちにとって望ましい「脱」?
2.「国益」とはいったい誰にとっての利益なのか?
① 自分たちに都合良く国を動かしたい者がもっとも安易に利用したがる用語が「国益」「愛国」
(日中韓いずれも同じ)
→その影で本当に苦しみ、報われていないのは誰か?
② 国を単位としてものを見るのではなく、尊厳あるあたりまえの個人を単位として国際社会も見ること
→「国の誇り」では、私たちが本当に守りたい人や暮らしは、守れない
(排外主義が東アジアを覆う中でも、そのことに気づく人が国境を越えて増えてきている)
3.「生き証人」=戦争体験者がいなくなったときのために
 ① 勝手な解釈が横行して止められなくなる時期に入り始めている
  →しかも70年前とは全く異なる形で、人間を大切にしない社会ができあがっている
   (排外主義が本格化しない保証は全くないのが現状の日本社会)
 ② 日本が東アジアで生きていくために本当に必要な課題を解決するための時間は限られている
  →基礎的な歴史の事実を確認・共有し、将来に禍根を残さないような区切りが必要
   (これを通じて、東アジアの国家間同士の現実的な利害調整への道が開ける)
                      戸邊先生5

【質疑応答】
:今、世界の地図には白地図が2箇所あります。一つは南極、もう一つはサハリンの南半分、南樺太です。南樺太についてはどう考えたらよいのでしょうか。
:南樺太は戦争末期にソ連によって占領され、日本は講和条約でこの地の権利を最終的に放棄しています。戦前に南樺太に住んでいた人々の諸権利の問題は残っていますが、これと北方領土の領有権とは別の問題です。ただしこれらいずれの地域でも、先住民の人々の権利回復の問題があります。

:東南アジアの諸国が戦後、植民地支配から解放されたことに日本の戦争が貢献していることについて、今日では教科書に書かれていません。これについて先生のお考えは?
:いわゆる「大東亜戦争」で日本政府が唱えた「東亜の解放」は連合国に対抗するために出された宣伝であり、文字通りには実現されていません。宣伝のために形式的に独立させた国があったものの、戦争遂行に必要な資源のある地域には独立の名目すら与えず、収奪を続けました。日本が起こした戦争を利用して独立や民族解放を目指したリーダーたちはいましたが、彼らによって勝ち取られた欧米列強からの独立を、日本の功績とは言えません。なお、東南アジア諸国の独立に際して、残留していた元日本兵が独立運動の側に立って戦闘に加わり、貢献したことは事実ですが、彼らの行為は当時の日本政府とは無関係です。

:領土問題ですが、問題の根本は資源問題ではないかと思う。なにか解決策はないものでしょうか。
:その通りですね。たとえば尖閣諸島では海底油田絡みの資源問題が根本にありますが、「国有化」以前は中国との具体的な対話の可能性はあったし、いまもか細いながらあります。他方、竹島の場合は、過去の日本の植民地支配の問題に絡んで焦点になっており、今後の好転はなかなか難しいと思います。竹島の地位だけではなく、もっと総合的な両国関係の改善の中で解決するしかないでしょう。

:安倍総理の外交方針と比べ、日中国交回復当時の田中角栄首相の方針はとても懐が深かったように思うのですが。
:田中に限らず、彼らの世代の政治家には戦争で苦労した体験があり、アジアに何をしたかは公式の場での発言はともかく、みな知っています。ですから、自民党の政治家たちでも何らかの償いの感覚があったのです。特に田中派と呼ばれた派閥に属する政治家たちにはそのような姿勢が見られました。しかし、岸信介に連なる派閥、さらには戦争体験を持たない今の世代の政治家に、彼らのような度量を求めるのは難しくなっています。(文責:飯沼直躬)


  特別企画      わたしの戦後70年 その1

「わたしの戦後70年」     遠藤 賢司  
 終戦時16歳、今では80を超えましたが、23歳で東京に就職、疎開先の茨城県から荻窪に転居、以後中野、国分寺と定年まで中央線で通勤してまいりました。その間、社会の情勢も大きく変わりました。就職は戦後の復興期で、朝鮮戦争が始まった年でした。数年後の高度経済成長時代は経済が好転、10%もの成長率で神武景気と呼ばれました。また所得倍増計画が立てられ、64年にはオリンピック開催、新幹線も開通しました。その後70年代の二度の石油ショックと、90年代初頭これまで高騰していた地価、株価の下落などバブルが弾け、経済の低迷期へと移ってきました。この様な変化の時代を、30数年車窓から見てまいりました。88年に定年退職してからは家でごろごろしていますが、満員電車で通勤していた頃が懐かしく思い出されます。この数十年間で線路は高架になり駅や沿線の町並みもすっかり変わりましたが、戦後80年の社会はどうなっているでしょうか。

「わたしの戦後70年」     宮武 光吉  
 戦後70年、敗戦時は8歳だったので、世代論でいうところの「焼け跡派」です。親たちが、家族の生活に汲々としているのを、横目で見ながら、貧しいながらも「自由」を満喫することができたと思います。どこもかしこも、復興の槌音が鳴り響き、人々は生き生きと暮らしているように見えました。
そのような世相に、一石を投じたのが、戦後15年目に起こった「60年安保」で、当時の大学生は多少なりとも、この運動の影響を受けました。学生大会、デモ、運動の高揚と、挫折。そして、各々はちりぢりになり、社会に巣立っていきました。考えてみると、あの騒動は、戦後というよりも、明治以来のわが国の近代化をめぐる混乱に終止符を打ったものではなかったかと思います。
あれから、55年たち、当時の岸首相の孫が登場し、戦後レジームの脱却を提唱しているのは、何たる歴史の皮肉な回帰なのだろうかと、沈思黙考する昨今です。

「極貧から社会奉仕へ」     近藤 裕(85歳)
 戦前に両親を亡くし、終戦の年に長兄は準戦病死、次兄は戦死、姉達は満州で、妹と二人孤児同様の身の上となった。鳥取県の海岸の町で、野草や海藻を拾って食べ、後に町工場の書生として居候で、やっと旧制中学を卒業した。昭和23年広島財務局に就職、公務員として20年勤務し、その間16年夜学や通信教育等で学び、税理士の資格を取得して開業した。
 それまでいろんな人にお世話になって一人前になったので、これからは世の中にご恩返しをしようと思った。立川税理士会会長、三多摩税理士会会長、全国税理士共栄会常務理事、国分寺市財産価格審議会会長、国分寺市固定資産評価審査委員会委員長、高齢者介護財団理事長、国分寺ロータリー・クラブ会長などを歴任し、現在もなお多忙な毎日を送っている。

「 思い出のビスケット」     倉田 晃   
 私は戦時中、九段から福井へ疎開し、昭和23年三鷹の小学校へ入学しました。当時自宅前は雨が降ると泥んこ道となり、時々糞尿を運ぶ牛車が通る状況でした。近所の周りの景色とはそぐわない大きな屋敷があり、そこの主は英国人で毎夕NHK ラジオで英語によるニュースを流すアナウンサーでした。時々庭を開放して映画会を催し、近くの親子が招かれました。広い庭は全面芝生で覆われ、室内はモダンなリビンクやキッチンが整い、我々の生活環境とはかけ離れた光景でした。映画会ではガムやチョコレート等に混じって、ミルクビスケットが必ず配られました。その味はそれまで味わった事のない、それはそれは舌に蕩けるような感触で、今でもあの甘さは忘れられません。その頃は砂糖がなく、サッカリンかズルチンで甘味を出すのが普通でした。そのミルクビスケットを最近見かけたので早速食べてみましたが、その時の方がずっと甘かったように思えました。

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   たくさんのご投稿をありがとうございました。順次掲載しますので、少しお待ちください。
   なお、引き続き、第2次募集をします。題名と名前を除いた本文が、原稿用紙1枚以内,
   または文字数400字以内でお願いします。締め切りは5月末日です。
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修正2015年スケデュール5月

                                  
 ★スケジュールは事情により変更、中止する場合があります。予めご了承ください。                   
  ○学習場所 東京経済大学の教室                 
  ○各学習日とも土曜日 13:30~15:30            
  ○下記の学習は時間帯が異なります。                   
         7月18日  13:30~16:30          

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